ハードボイルド・ユージ

春雷

第1話

 俺の名はユージ。どこからどう見てもハードボイルドだ。俺は今日もバーにいる。バーで一人、グラス片手に・・・、グラスを片手に・・・、その、グラスを傾ける。

 マスターに注文する。水の水割り。俺はまあ、何と言うか、酒に弱い。

 夜がだんだん更けていく。

 カランコロン。バーのドアが開いて、誰かが入ってきたようだ。やれやれ。今日は一人で飲みたい気分だったんだがな。せっかくの貸切が台無しだ。

 どこの誰が、こんな辺境の地の、しみったれた、流行ってない、こんなバーにやって来たのか、と振り返って、ドアの方向を俺は睨んだ。

 そこには棒グラフと円グラフがいた。

 棒グラフと円グラフに手足がついた、謎の生物がバーにやって来た。やれやれ。グラフなんてまったくもってハードボイルドじゃない。ガキじゃないんだ。そんな教育的な存在は家でミルクでも飲んでろってんだ。

 棒グラフと円グラフはどういうわけか、俺の隣に腰掛けた。円グラフが俺のすぐ隣にいる。グラフとカウンターを共にするとはな。

 ハードボイルドじゃないものは、俺の好みじゃあない。俺はもう帰ってしまおうかと思った。こんな夜はくだらない。しかし、ここで席を立つのも癪だ。俺はしばらくここで飲むことにした。まずい水を啜る。長い夜になりそうだった。グラスの中の氷が溶け、カラン、と音を鳴らした。何故か、それは寂しさに似ていた。

 棒グラフはギムレットを、円グラフはホワイト・ルシアンを頼んだ。

 ふん、まあ、なかなかのもんじゃないか。

 俺はグラスを揺らした。くだらない夜が、面白くなりそうな予感があった。なるほど、こういう予感は悪くない。心地の良い夜の方が、心地が良い。こういった時の直感というものは、大概当たる。

 やれやれだ。

 棒グラフと円グラフは話を始めた。特に耳を澄ませたわけではないが、狭い店だし、それに、こいつらは俺のすぐ隣にいる。話はすべて耳に入って来た。棒グラフがギムレット片手に、昨日よお、と話し始めた。

「昨日よお、俺は映画館に行ったんだ。バッファローストリートにあるクソッタレな映画館さ。そこで俺はマフィア映画を観ていた。悪くない映画だった。俺は夢中になって観ていた。主人公のタフガイが敵を蹴散らしていく様は、割と爽快だった。俺はなかなかにこの映画が気に入った。もう一度観てもいいと、思ったくらいだ。しかし、一つだけ不満があった」

 棒グラフは一度話を切って、ギムレットを啜った。そしてまた、嗄れた声で話を続けた。

「映画自体に不満があったわけじゃあない。俺が不満だったのは、前の席に座っている男が、ぶつくさ映画に文句を言い続けていたことだ。あのクソッタレ親父、映画の上映中ずうっと文句を言い続けていたんだ。そんなに文句があるなら今すぐ席を立って、家に帰ってマスかきゃあいい。何がそんなに不満なのか知らないが、奴はずっと映画に文句を垂れ続けた」

「そんな奴ァ、ぶん殴っちまえばいい」と円グラフが言った。

「当たり前だ」と棒グラフ。「俺は映画が終わったあと、エンドロールも観ずに外に出ていこうとした、そいつを呼び止めた。ちょっと待ちやがれ、と。お前、映画の上映中ずっとクソみてえな文句を垂れ続けていたな。映画は静かに観るものだ。幼稚園で習わなかったか? お前の足りない頭でよぉく考えやがれ。選択肢は二つだ。俺に謝るか、殺されるか。今すぐ選びやがれ。靴を舐めて許しを乞うなら、お前の顔面に一発で許してやらんこともない。俺はそう言ってやった。するとそいつ、いったい何て言ったと思う?」

「ふん、大体想像がつく」と円グラフ。

「奴さん、俺は誰にも謝らねえ、俺は文句を言いたい時には文句を言う。俺はそうやって生きて来た。お前みてえな田舎のチンピラに、とやかく言われる筋合いはないね、と奴はそう言ったんだ。数独の分際でよお」

「数独ってのは、生意気な奴が多い」

 そうだったのか、と俺は思った。数学界ってのは、思ったよりタフな輩が多いらしい。俺は認識を改めることにした。やれやれ。こんな夜は、やれやれだ。

 棒グラフの話はまだ続いている。

「俺はカチンと来た。だから、数独の野郎を撃った。ありったけの鉛玉をその身体にぶち込んでやったのさ。奴はあっけなく死んだ。そしてちょうどエンドロールが終わった」

 俺はなかなか、ゾッとする思いだった。なるほど、そう簡単に人(?)を殺してしまえるとは、そうか、こいつら、見どころがあるかもしれないな。

 俺は怖くて銃など持ったことがない。

 今度は円グラフが話し始めた。嗄れた声で。こいつも嗄れ声だった。円グラフは、俺にもそういう経験がある、と言った。

「ついこの間の話だ。銀行強盗をした帰り、俺は裏切った仲間を二、三人始末した後、ハッパを吸いたくなって、ルートの店に行ったんだよ。するとあいつ、ハッパはもう売り切れちまったよ、なんて、ほざきやがるんだ」

「何ィ? 平方根のくせに生意気な。そんな奴ァ二乗してやれ」

「俺もそう思ったが、俺は冷静だった。まあ、待て、と。ルートの店で売り切れちまうなんてことは、今までなかったことだ。なら、何か裏があるはずだ。俺は考えた。誰かが買い占めたんじゃあないか、と。そしてルートの野郎に訊いた。俺のハッパを買い占めやがった、クソ野郎の名前は何だ、と。そしたら、またあいつらだった」

「数独か」棒グラフが苦虫を潰したような顔になる。いや、実際には表情というものはないが、そんな感じがした。そういう雰囲気が彼にはあった。

「その通りだ」円グラフは頷く。「数独というのは碌な奴がいない。映画に文句を垂れ、ハッパを買い占める。俺はルートからそいつの住所を聞き出した。でも数独の野郎はいなかったんで、そいつの家に火ィつけてやった。奴の家が燃え上がるのは、なかなか悪くない気分だった」

 がははは、と棒グラフは笑った。つられて円グラフも笑った。俺は笑わない。水の水割りをごくりと飲んだ。ひどく喉が渇いていた。

「そういやあよお」と棒グラフは言う。「俺がぶっ殺した数独の野郎、自分の家が燃えたって言ってたぜ。お前が燃やしたのかって、俺に訊いてきやがった。あん時はどういう意味かわからなかったが、なるほどな、お前が燃やしたのか、円。こりゃあクソ愉快な話だ。ぐわはははは!」

 二人は酔いも回り、いよいよ楽しい気分になって来たようだった。俺はといえば、彼らの気分に反比例するように、気分が下がっていった。くだらない夜は、やはりくだらない夜になったのだ。俺は、やれやれ、と呟くと、マスターに金を渡して、店を出た。釣りは貰わなかった。

 外に出ると、街は排気ガスの匂いで満ちていた。風が吹いている。ほこりっぽい都会の風だ。頭上には月。欠けた月を見るのは、どことなく切ない気分だった。

 俺は眠らない街を歩いた。闇が俺を覆い、吸い込んでしまうようだった。ハードボイルドを気取るのは、少しだけ休んでいようと思った。

 俺の名はユージ。孤独なユージ・・・。

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ハードボイルド・ユージ 春雷 @syunrai3333

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