【大切なお知らせ】金糸雀 立夏 Rikka Canary

地崎守 晶 

【大切なお知らせ】金糸雀 立夏 Canary Rikka

 黒い背景に【大切なお知らせ】と書かれたサムネイルがどれだけバーチャルストリーマー・〈金糸雀かなりあ 立夏りっか〉のリスナーを傷つけるか、私はよく分かっていた。

 配信を始めると、明るい黄色を基調としたセーラー服風の衣装を身につけたアバターが画面右に、チャット欄のコメントが左に表示される。目線が下を向き、形の良い眉はハの字に下がっている。


『はじまった』

『まさか……』

『こんりっか』

『嫌な予感がするけど信じたくない』

『嘘だよね……?』

『引退するならさっさとしろあほくさ』

『久しぶりにかなりあちゃんの声聞けた(T_T)』


 予想していたコメントの反応だ。私は緊張を抑えて、口を開く。


「カナリヤーのみなさん、こんりっか~

 ずいぶんお休みしてご心配をおかけして、本当にごめんなさい。

 しばらく配信や投稿が出来なかったのは、運営さんとの相談に時間がかかっていたからです。

 アタシ、金糸雀 立夏は、今月いっぱいをもって、所属事務所”ヒトトセ”を卒業します」


『あたってしまった』

『とても つらい』

『どうして!?』

『特に炎上とかもなかったよね』

『誕生日ライブは!?』

『炎上でやばいのはアヤメとかだからな』

『はい解散。3年持たなかったね』

『歌だけでおもんないとおもってた ゲーム下手』

『5月で……せめて誕生日配信はやってくれないか 来週だけど……』

『立夏の歌がないと生きてけないよ』


「えっと……すみません、歌って欲しい曲とか、去年のオリ曲の感想とか、お休み中もたくさん書き込んでくれてたの見てたんだけど……ほんと、ごめん。アタシの歌を聞いて、好きって言ってくれたカナリヤーのみんなが大好きって気持ちは、今も変わりません。

 でも、卒業までにみんなに聞かせられるような歌を届けるのは、正直難しいです。

 聞いてもらえるなら、半端なコンディションじゃ歌えない、聞いてくれる人に失礼、ってアタシのスタンスは、前に説明した通りです。卒業した後、やりたいことと、やらなきゃいけないことがあって、そのための準備でどうしてもバタバタしてしまって。配信も、これで最後になります。楽しみにしてくれてた人には申し訳ないんだけど、誕生日の配信は出来ないです、ごめんなさい」


 どうしても声が揺れてしまう。

 でも、台本通りにしゃべれた。


『やりたいこと?』

『体調不良でやめるわけじゃないのか』

『立夏の歌へのプライド、知ってるからこそ絶対歌ってなんて言えない……』

『前向きな理由、なのかな』

『どーせ男だろ』

『↑さっきからなんだお前 でてけよ』

『BANしてるけど追いつかない、スマン』

『別の箱に移籍か、それともVじゃない仕方で活動するのか(希望を持たせてくれ)』

『↑だからそーいうことこの場で言えるわけないって』

『最後にこの枠で「カナリーイエロー」歌ってくれないの!?』


 スクロールされるコメントの流れが早い。金糸雀 立夏がこんなにも思われていたことを改めて実感する。


「ごめん、本当にこう言うしかないんだけど、どこかで活動するとかは未定です。

 でも、前向きに次に向かう、ってことだけは分かってほしいな」


『立夏がそういうなら……』

『ライバー本人がそう言うなら俺たちは信じて送り出そう』

『うん……』

『きれーごと言ってんなー』

『でも大きな炎上や他ライバーとの不仲説とかもなかったし、』

『わかったよ金糸雀……』

『歌みた動画聞き返すからチャンネル消さないでくれ運営、頼む』

『円満卒業、だよな』

『ゲーム実況も好きだったよ』

『御免やっぱり、つれえわ』


「みんな、ありがと。このチャンネルは、基本的には運営さんが残しておいてくれる予定だから」


 ここからは、台本にない言葉だ。けれどせめてこのくらいは。


「アタシは……立夏は、名前の通り夏の近づく、気持ち良く晴れた日にデビューさせてもらいました。

それから、めーぷるママに仕立ててもらった素敵な衣装で、歌ってみた動画をノスタルジアさんに仕上げてもらって、たくさん好きな歌を歌わせてもらいました。

 一緒にリスナー名や推しマークを考えた時から見てくれるカナリヤーのみんな、歌ってみたからチャンネル登録してくれたみんな、メン限で歌練習を励ましてくれたみんな、改めて本当にありがとう。

みんなにかわいがられて、いい歌だねってほめてもらえて、立夏は本当に幸せなカナリアでした。

 みんなにお返しできるものがなくって本当に残念だけど、よかったらまた、アタシの歌を思い出してもらえると嬉しいです。

 アタシの気持ちは、リストにある歌に込めてきました。

 じゃあ……短いけど、これで終わります。本当にありがとうございました。

 さようなら」


『(/_;)』

『おつりっかって……言えよ……』

「さよならか」

「うん、リピートで聴いてくるわ……」

『逃げやがった』

『かなりあちゃん……』

『さよならって言えないよ』

『おつりっか……(>_<)』

『おつりっか……』


 配信を閉じ、泣きそうな顔の”金糸雀 立夏アバター”を停止させる。

 ソフトを閉じ、マイクの接続を切り、声を変換していたアプリケーションを停止、ローカルディスクから完全消去する。

 SNSで用意していたコメントを投稿してから、台本のテキストデータを削除。反応をシミュレートしていたAIを落とし、こちらはUSBメモリを抜く。

 二重に確認し、最後にパソコン本体をシャットダウンする。

 息をついて、椅子から立ち上がり、体ごと振り返る。


「終わりました」


 私の元の声で行った報告に、彼女は――本物の金糸雀 立夏である女性は、赤くなった目を向けて、頷いた。口を開くが、先ほど私が再現していた声は出てこない。

 彼女の声帯に病変はなく、ストレス性の症状のようだが、回復の気配がないまま、今日を迎えてしまった。

 彼女の所属する運営会社と、彼女自身の希望で、私の仕事が求められた。炎上への謝罪、重要な案件配信、そして卒業/引退配信において、どうしても本人が実施出来ない際にバーチャルストリーマーの”代役”を努める私の。

 彼女は手元のタブレット端末に書き込んだ言葉を私に見せ、頭を下げる。


――本当に、ありがとうございました 


「……はい」


 すべての配信者が、納得行く形で幕を引けるわけじゃない。

 金糸雀立夏の場合、それは大好きな歌を歌う声、リスナーと交流するための声を喪うことだった。

 その事実を隠したのは、運営の暗い思惑なのか、彼女本人の信念のためなのか。それは私の知るべきことじゃない。

 私はただ代役アンダーキャストとして、完璧に演じるだけだ。

 だからこそ、代わりに歌うべきではなかった。コメントの中にはこの場で最後に聴きたいとの希望もあったけれど、それは彼女のものだから。


「途中で台本と違うことを言って、すみません。けど、私は今でも覚えてます。あなたの歌声を初めて聴いた日のことを、あの伸びやかでかわいらしい、名前にふさわしい声を」


 一人のリスナーとして彼女の歌が好きだった、それは事実だから。

 せめて織り交ぜたアドリブに、金糸雀立夏との打ち合わせからほんの少しだけくみ取れた思いを込めて。

 はっと彼女が顔を上げた。細い喉が震える。声にならない言葉。深々と下げられた頭を見て、私は指先で目元に滲むものを拭った。



 歌を忘れた、カナリア。

 彼女は代役が降ろした幕の向こうで姿を消すのだろうか。

 それとも、いつか月夜の海で再び歌を紡ぐのだろうか。


 それは、誰にも分からない。

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