Government Children

三茶吾郎

招集

 村田釉は一人の男を追っていた。相手は思想犯だ。

 釉は日本中央情報局(JCIA)に属している。JCIAは政府直属の諜報機関兼秘密警察である。貧困層の生まれで、四歳の時に金銭的に育てる余裕がないということで孤児院に預けられた。極めて劣悪な環境で非人道的な処遇を受け続ける日々。そんなある日、JCIAの構成員が孤児院を訪れて、彼女をスカウトした。それからは射撃訓練、武器の手入れ、模擬戦、体づくりなどに明け暮れ、着実に技術を体得していく。そして今年から正式に構成員となり、国家公安部第四課実働部隊に配属されたのだ。


 男は路地をやみくも逃げ惑う。進めば進むほど道幅は狭まり、やがて体を横にしないと通れないほどに。ぐいぐいと押し込んでなんとか隘路を抜け出すも、少女に先回りされていた。男は振り切ろうとするも、スライディングタックルをくらい転倒。背中を膝で押さえて圧迫され、右腕を引っ張られ、捻り上げられた。その華奢な体からは想像のできない力で。

 

 激痛にもがき苦しみながらも何とか振り下ろそうとするが、さらに膝に力を入れられ、「ゔぅ…」となにか嘔吐しているかのように喉を唸らせる。       

 程なくして、男は抵抗するのをやめた


 コンコンと、短く機械的な動作でノックする。中から小さく「どうぞ」と返ってきた。

「失礼します」と言って、ドアを開ける。コーヒーの香ばしい匂いが鼻にすーっと入ってきた。

 

 岸辺は来訪者には目もくれずに手元にある資料に集中している。


「例の男、連行しました」

 

 そうかと頷き、それでやっと顔を上げる。無数に皺が刻まれてるのと、瞼のたるみ、上唇の直上と下顎に無造作に生える髭が確認できた。目は枯れ切っている。


「君は南日本人民革命軍を知っているか」


「ええ、もちろん重々承知しております。新宿爆破事件、新島事件などを引き起こした、親北派のテロ集団のことですよね。それでその組織があの男となにか関係でも?」


「ああ、大いに関係している。奴は組織の協力者であり、資金や武器の援助などをしていた」と岸辺は答えた。「奴だけではない、ここ最近その組織の関係者が多数検挙されている」と言って、コーヒーを舐めるようにすする。


「それでだ、私は新たに対策部隊を創設しようと思う。構成員は主に孤児院出身の十五から十七ほどの少年少女。歳は若いが精鋭ぞろいだ」


「ええと、それは…」と少し当惑する。


「君には期待している。詳細は後日、隊長から説明があるだろう。もう下がって良いぞ」と言って、再び手元の資料に目線を向ける。


 あまりに婉曲的な言い回しだったもので数秒ほど戸惑い、その場に固まる。やっとのこと膠着が解けて、では、と釉はカタカタと棒のように出て行った。失礼しました、と言う余裕もなかった。


「失礼します…」


 おどおどと入室し、じっくりと室内を観察する。だいぶ放置されていたのか埃っぽく、壁は茶色に変色していていた。西側にはまたひとつ細いドア、中心には長机、ふたつの革張りのソファがそれを挟んで置かれており、どちらも随分使い古されているようだった。幸子は誰もいないことを確認し、後ろ手でばたんと扉を閉め、ふと振り返る。


「ヒッ…」

 

 微かな悲鳴をあげて、肩をぶると震わせる。


 そこには、壁にもたりかかり腕を組む少女がいた。その子はとても小柄で顔はほっそり、目じりは少しばかりつり上がっている。繊細な髪は短く切り揃えられていて、どこか生真面目さを感じさせる。


「なんでそんなところに」率直な質問をする。


「落ち着くから」


「…はぁ。とりあえず、そこにいると危ないですよ。誰かが勢いよく来たら…」と話していると、ガチャリとドアノブが回転し、扉からキィキィと烈しい異音が漂う。そして今度はドスッという鈍い音が響いた。


 痛ッと、先程の少女は頭を抑えて抱え込む。


 あまりに想定どおりのことが起こったので、幸子はただ呆然とするしかなかった。安否を問う気持ちにもなれなかった。


 入室してきたのは、これまた楚々とした子であった。くりっとした可愛らしい目をしていたが、見合えば、その視線に貫かれてしまうのでないかと思うぐらいのしたたかさがあった。


「あら、ごめんなさい。そんなところにいるとは思わなかったわ」と言って、肩の少し下まで伸びた艶のあの髪を掻き分ける。


「大丈夫かしら…たんこぶとかできてない?」


「大丈夫…大丈夫よ 」

 

 額を抑えながらおもむろに立ち上がる。

 長髪の少女はだといいんだけど、と眉を落としながら返す。そして緩慢な動作で扉を閉めた。

 額を痛めた少女は部屋の端っこへと向かって座り込んだ。長髪の少女は窓際に寄り掛かり、遠望にふける。幸子はソファーへと向かう。座面は埃だらけで、それをササッと払い除けて腰を下ろした。


 室内は物憂げな空気で満ちている。誰一人言葉を発することはなく、静寂で冷たい。それが幸子には耐え難かった。かと言って、自分から会話切り出そうという勇気もなく、こんな時にも人見知りをする自分に心底嫌悪していた。今の彼女にはただ耐えることしかできない。いつにも増して日光が眩しく感じて、ジリジリと心が焼かれる気分になってくる。ゆっくりと深呼吸をしてまぶたを閉じた。


 それから数分して四人目の来訪者が現れた。


「なんであんたがここにいるのよ!」


「それはこっちの台詞。入る部屋間違えてるんじゃないの?」

 長髪の少女は窓から入ってきた虫を追い払うかのように返す。

 

 うっ…と顔をしかめて、左右に束ねられた髪をいじり、「私も呼ばれたのよ、その新設される対策部隊ってやつに!」と威勢よく反論した。


「……はぁ、あんたが?冗談でしょ」

 そんなわけない、とひどく狼狽し、その子の方へ歩み寄る。しかしそれを露骨に避けて、扉も閉めずに部屋の端っこへと向かった。


「あんた立ち上がってみなさないよ」

 

 短髪の少女はもったりと尻を上げた。

 やっぱりチビね、と目線を落としてジロジロと相手の顔を覗く。


「私よりふた周りも小さいじゃないの。そんなんで役に立つのかしら。でも、小さいと潜入もしやすそうね。私には無理だなー」と嫌味を口にして、ポンっと彼女の頭に手を置く。


「いやあんた潜入苦手なだけでしょ。てかやめなよ、強がるのはさ。また友達いなくなるよ」と長髪の少女が言う。

 

 うるさい、と声を上げる。


「とにかく!!あんた弱っちそうだから私の言うことを聞くこと。いい?」


「……どけろ」


「なに、なんて言ったのかしら?体だけじゃなくて、声も小さいのね」


「どけろって言ってんだよォ!その手を」

 頭に乗せられた腕をぎゅっと掴み上げる。


「痛い、痛いって。離して、離せよおい」

 

 しかし、さらに力を入れる。爪先が手首にくい込んでいていく。幸子はあの…と止めに入ろうとするが、そのヒステリックな瞬間的な激昂に押されて、口を噤む。もはや誰にも歯止めをかけることはできないと思われたが…


「お前ら初日から喧嘩かー、先が思いやられる」

 

 その女は開きっぱなしだった扉の枠にもたれかかり、はぁと大きなため息をつき、頭髪をくしゃくしゃと搔く。二十三、四ほどの若い女ーといってもこの中では誰よりも年長者であった。

 

 腕を掴む力が弱まった。咄嗟に振り払って、鋭い眼光を向ける。それに対し、短髪の少女はさらに鋭く睨み返した。そんな険悪な雰囲気に割って入るように話を続けた。


「とりあえず、全員そろ…ってないか。あと一人いないな」と言っていると、のそのそとやってきた。「遅くなりましたー」と、聞いてるとこっちまで気力を失ってしまいそうな気だるそうな口調で、ほそぼそと発する。


「…って、麗華さん!?」


 突然ピシッと背筋を正す。どうやら知っている顔だったようだ。


「本当に遅れて、すいません」

 少年はうざったいほどぺこぺこ頭を下げる。


「今回は許す。次からはもっと早く来るように」

 

 はい、と深く承知する。


「というか、麗華さんがここにいるということは…」


「うむ、そうだ。私がこの部隊の隊長に任命された」


「まあ、まずお互いを知ることから始めよう。自分の名前、歳、趣味、あと何か一言を。自己紹介ってやつだ。やりたいやつから手を挙げろ」


 はいはいと、ツインテールの少女が手を挙げる。


「清水朱里、歳は十七歳、趣味は料理かしら。ここでは私がリーダーだから、よろしく」


「狙撃しか取り柄がなく、そのせいで所属していた部隊では成績最低クラス。そのくせ強がり」と麗華が付け足す。


「それとここでのリーダーは、私だからな」

 

 朱里はむっとするが、何も言い返せない。


 次は私と、短髪の少女が名乗り出た。


「村田釉、十六歳、趣味は食べること。よろしく」


「近接戦闘に長けているが、協調性が欠け、命令違反も頻繁に繰り返している」

 

 釉は少し眉をぴくっと動かしたが、やはり彼女も言い返せない。それからしばらく沈黙が流れる。幸子は固唾を呑んだ。


「なんだ、次はいないのか?」と麗華が聞くが、残りの三人は誰も前に出ようとしない。しびれを切らして、「四郎、お前がやれ」と少年を指名する。


「ええ、俺ですか?でも…」


「やれと言ったらやるんだ」麗華は圧をかける。


「分かりましたよ。やればいいんでしょう、やれば」と言って、前へ出る。


「…四郎。高倉四郎っす。歳は十六で、趣味はううん…特になし。よろしくお願いしまぁす」


「人を欺くことを得意とし、諜報では類稀な才能を発揮するが、時間にルーズで遅刻常習犯。毎回ヘラヘラと謝るが、反省はしていない」


「いやっ!そんなこと──あります…」

 

 はい次と麗華は声を張り上げる。

 幸子は長髪の少女の顔を覗くが、目も合わせようともしてくれなかった。

 

 じゃあ…私で、と重い口を開く。


「と、東門幸子です。十五で、趣味は音楽を聴くこと。仲良くしてもらえると嬉しいです…」


「潜入調査などでは秀でるところはあるが、小心者で優柔不断、行動するのも遅い」

 

 幸子の垂れた眉はさらに下がり、八の字になった。


「最後は私ですか…」と深くため息をつく。


「堀江麻紀、都市は十六、趣味は読書かなぁ。よろしくね」


「頭脳明晰、判断力にも優れ、場をまとめられる技量もある」


「なんでこいつだけ!」と朱里が口出しするが、それを無視して話を続ける。


「これでわかった通り、我が部隊は問題のあるやつばかりだ。しかし、ここに招集されたということはそれだけの原石でもあるということ。これから私がお前らを磨き上げ、必ず成果を上げさせてやる」と豪語した。


「そんなお前らにはまず…」と言いながら、掃除用具入れから箒とちりとりとバケツ、そして雑巾を取り出した。それを朱里に受け渡す。


「ええ、掃除…なんで私たちが」


「これから使う部屋を掃除するのは当たり前なことだろう。つべこべ言わずにやることだ。これもお前らを磨くことに大切なことでもある。それじゃ頑張れよ」


 麗華は後ろ背をみせ、ドアノブに手をかける。


「自分はやらないのかよ!」


「バカ!麗華さんは俺たちと違って、忙しいんだよ」


「そうそう、私は色々忙しいのー」と言って、去っていった。

 

 クソ、とつぶいて、朱里はバケツを放り投げる。そしてパタパタと箒を振り、ホコリをかき集め始めた。幸子は暗い廊下に出て、右手にある閑処へ。洗面所の白石のくぼみにバケツを置き、蛇口を捻り、ジョボジョボと水を汲む。満タンにして戻ってくると、朱里が釉に向けて頭を下げていた。


「先は悪かったわ、さすがに言いすぎた」


「いやこっちこそ、悪かった。手首大丈夫?」と訊く。


「ちょっと痕になったけど、大丈夫よ」と少し笑みを含めて、返した。

 

 幸子は部屋の左半分を雑巾がけする。右半分はもう既に釉が終わらせていた。所々黒ずみ、カビをを見つけて立ち止まり、除去しようとするがどうも落としきれず、断念して、また前進する。それを何度か繰り返していた。


「そこ!サボってないで、やりなさい」


 麻紀は窓をキュキュと拭きながら注意する。

 四郎はソファーの乾拭きもしないで肘置きに腰をかけていた。


「分かりましたよー」と言って、ぼろ雑巾で力弱く座面を擦る。意欲がないのは明白だった。


「ちょっとそれで拭かないでよ。この綺麗なの使って」と真っ白な雑巾を手渡そうとする。それを四郎はバッとひったくるように受け取った。


 そうこうしているところに麗華が戻ってきた。   

 だがひどく硬い表情していて、それはなにかとても重大なことを告げるのだろうという予感をはらませていた。

 

 麗華は静かに口を開く。


「全員、一旦掃除はやめだ」

 

 幸子は何かあったんですか?と訊く。


が動き出した」

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Government Children 三茶吾郎 @dazai1207

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