第3話 天使の笑顔

 治療は順調とは言えず、一進一退の様相を見せていた。

 落ち着き、心神喪失状態でなくなることによって逆にフラッシュバックを起こすことが増えた。

 そういう時、真尋まひろは「お父さん、お父さん」と大きな声を上げて取り乱すので私が出て行って彼女が落ち着くまで抱きしめ続けた。


 本来ならPTSDの治療としてEMDR療法など、心的外傷を引き起こした事件や事故を想起させる治療法が存在するが、まだ幼い真尋には酷だと判断した。

 特に真尋にとっては、自分が原因で父親の伊周これちかが死んだという強い思い込みが出来上がってしまっているためにその思い込みを解かない限りは治療が進まない状況だった。


 私は真尋が落ち着いている時は彼女を病室から連れ出して院内のプレイルームで遊ばせた。

「先生、お人形さん」

「うん、そうだね。可愛いね」

「うん」

「そのお人形さん、ちょっと持ってて」

「うん」

「じゃあ、今からがこのお人形さんを魔法にかけてあげるね。見ててごらん」

 私はそう言ってお人形さんに魔法をかけた。ごく簡単なことで手品でよく使われる手法である。

 種自体は人形に仕込んであり手に仕込んである磁石で表情を変えることができるのだ。

「はい、このお人形さん、笑ってるでしょ?」

「え? 笑ってないよ」

「そう? じゃあ、もう一度魔法をかけるよ」

 私は彼女の前で手をすっとお人形さんの顔の前に滑らせると魔法をかけた。

「あ、笑ってる!」

「ね? 笑ったでしょ?」

 私はそうやって真尋に笑顔を取り戻してもらうことに専念した。

 しかし、それは同時に私が私の天使の笑顔を見る方法でもあった。


 私はその笑顔を見るたびに胸が熱くなり、その笑顔を自分のものにしたいと思うようになった。

 しかし、彼女はあくまでも伊周という父親のことを忘れることができず、彼女を入院させて距離を取っている母親を求めていた。

 真尋の母親は毎日真尋に会いに来た。会わないことによる罪悪感に耐えられないのだろう。何かにとりつかれたように毎日会いに来る。


 ある日、私が真尋の病室に向かうと母親が面会に来ていたのであいさつした。

「こんばんは、この後少しお話をさせていただいてよろしかったですか?」

「こんばんは、いつもお世話になっております。はい、私の方も先生から真尋の様子を聞かせていただければと思っていました」

 彼女は寝付いた真尋の頭を優しくなでている。そこには一時の切羽詰まった空気はずいぶんと薄れていた。


 本来は真尋の母親もしっかりとした治療を受けなくてはならないのだが、今はどうにかありついた職場で慣れない登録事務の仕事を覚えることに追われていた。


 真尋の治療費も負担になっているはずだ。いつか問題になるかもしれないが、私は真尋のカルテを治療費が1円でも安くなるように改ざんしていた。

 病院にバレると困ったことになるだろうが、投薬治療がほとんど行われていない真尋に関しては私の診療次第ということになるので露見しにくいだろうと思う。


「本来は貴女にも治療を受けていただきたいのですが……」

「そう言っていただけるのは嬉しいですが、私の方は問題なく生活できていますので……」

 キーパッドでドアのロックを解除して一緒に入ったカンファレンスルームで彼女に切り出す。

「私はこれから真尋ちゃんに催眠療法を導入していこうかと思っています」

「催眠療法ですか……それは大丈夫なのでしょうか?」

 母親は不安そうな表情を浮かべている。


「真尋ちゃんはずいぶん落ち着いて精神的に回復して私の前では笑顔を見せることも増えてきました」

「笑顔ですか……もうどれだけあの子の笑顔を見ることが出来ていないか……」

 私がこっそりと録画しておいた私の天使の笑顔をスマホで出して彼女に見せる。

「ああっ……ああああっ」

 その動画を見て彼女は号泣する。私は彼女が泣き止むまで彼女の背中をさすり続ける。


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追記 こちらの作品は木沢 真流様に医療監修していただいております。

ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/works/16818093077151693564/episodes/16818093077491729468

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