そして、これから

「すまない、アナ!」


 帰って来るなり大声で謝罪をする夫に、アナは目を丸くする。

 大慌てで帰ってきたのか、ロビンの額には汗が浮かんでいる。


 それを見てアナはすっとハンカチを手に取り、夫に歩み寄って汗を拭った。


「どうしたの? ロビン」


「すまない……今日は早く帰ると言ったのに、遅くなってしまったから。ああ、本当に済まない。もしかして晩飯をまた待っていてくれたのか?」


「ふふ、そこまで遅くないわ。今から支度してもらって食べましょう?」


「本当にすまない……」


 しょぼくれる夫に、アナは柔らかく微笑んだ。

 ロビンが朝早くから夜遅くまで出ていたのは、領内で山崩れがありその陣頭指揮に立ったからである。

 とはいってもそれは数日前に起きたもので、被害状況の確認や対策、それに乗じた夜盗退治などで走り回ってその残務処理を粗方終えたところで、避難した村人たちの様子を見に行くというきちんとした公務である。


(おそらく、村人たちから引き留められたのでしょうね)


 お礼を言いたい、したいと願う人々の言葉をロビンは断れずにいたのだろう。

 見回るべき場所もたくさんあるだろうし、そうした人々が安心して暮らせる領にしたいといつだって願う良い領主であるから。


 そのため、今朝方出る時に『今日は早く帰ってくるから夜は一緒に食事を取ろう』と約束して出たロビンは申し訳なく思っているのだ。

 なんと可愛らしい夫だろうとアナは思う。


「今日もお疲れ様でした。街道整備の書類は資料と一緒にまとめてあるから、明日にでも一度目を通してくださる?」


「どこか引き受けてくれそうな商会があったのか? うちはあんまり予算が取れないからなあ」


「先日、貴方が山賊から助けた方がいらっしゃったでしょう、旅人の」


「ああ、いたなあ。六人ほどいたからどの人かはわからないけど」


「そのうちのお一人が、商人の方だったんですけど……うちが街道整備で木材を安く手に入れたいと聞いて、あの日のお礼代わりになればと申し出てくださったの。ロビンの人徳ね」


「へえ、ありがたいなあ……!」


 マグダレア男爵領は、今もこれといった特産はなく、これまで国有領として領主不在で特に変化のないままの暮らしが続いていた土地であった。

 ロビンが領主になってからは街道整備や山林の整備、山賊や夜盗対策といったものを精力的に取り入れ、人々の雇用とした。


 といっても地方の男爵領であるがゆえにそこまで金銭的に余裕があるわけでもない。

 だがアナもロビンの考えに賛同し、彼女は嫁入りの持参金を惜しげもなくそれに投入した。


 元々夫婦となっていた二人であるが、子爵令嬢として改めて・・・男爵となったロビンに嫁いだという名目の、ベイア家からの持参金である。

 加えて、ロビンが叙爵された中で褒賞品の中にある金銭もそれに使われた。


 常に使うことができるような額ではないが、自然災害や防衛に関して惜しんでも仕方がない。将来を憂いてのことだ。


 資金を使うことを惜しまない領主が現れたことに、領民は喜んだ。

 変化には戸惑うこともあったが、少なくとも悪いものではないと彼らも柔軟に受け入れてくれたのだ。


 おかげで最近は『特別なことはないけど、マグダレア領は人々の気が優しくて過ごしやすい土地』と言われて、移民先として人気な場所に名が上がっているらしい。

 それとなく他の貴族たちからそんなことを手紙で聞いているアナとしては不思議に思うばかりだが、それでも夫の努力が報われているのだと思えば誇らしい気持ちだ。


 基本的に事務仕事や他貴族たち、商人たちとの話をすることが多いアナは邸宅に常にいて、あまり社交場には顔を出さない。

 高位貴族家でもないのだから、茶会や夜会を頻繁に行う必要もなければ参加する必要もないのである。

 とはいえ、参加すべきものには足を運んでいるので問題はない。


「そういえば、以前お話したかしら。ディアナさまがご出産なさったの」


「ディアナさま……ああ、近衛騎士のバーネット公爵令息の妹君か」


「そうよ。元気な女の子ですって。お祝いの品は何がいいかしら……」


「ああ、そういえばこの間仕留めた鹿の革があるだろう、あれで靴を作ってあげたらどうだろうか」


「靴は気が早いんじゃないかしら?」


「成長したらその靴を履いて遊びに来てもらいたいって気持ちを込めて」


「……それは素敵ね」


 ロビンとアナがマグダレア男爵となり、早数年が経過していた。


 現在、ジュディスは王子妃から正式な王太子妃となり、精力的に活動して女性たちの憧れとなっている。

 ディアナは本人の希望通り医官となり、卒業時に発見した新薬から今では薬学の研究者として名を馳せている。

 ディアナの兄ブライアンは近衛騎士を経て、王太子の護衛騎士となった。

 海を渡った先の国にいるアナの文通友だち兼読書友だちであったオフィーリアはその国でも有名な作家となり、今ではその翻訳をアナが手がけている。

 他の読書クラブの友人たちも、皆幸せであった。


 アナの双子の片割れヨハンも、縁あって結婚し、今では一児の父である。

 ベイア領は安定しており、マグダレア領との仲も良好だ。


 対して、ブラッドリィ伯爵家は再び財政難に陥っているようである。

 ベイア子爵との共同事業が終わってしまい、その後、手を出した商売も上手くいっていないようであった。

 特に次期領主であるオーウェンは頼りになる友人たちとも疎遠になっているようで、社交界でも苦労しているとロビンたちの耳にも届く。

 オーウェンの妻ミアは教育の甲斐なく、社交場に現れては顰蹙を買い、とうとう癇癪を起こして揉め事を起こし離縁されて実家へと戻されたという。

 運命だなんだと騒いだ結果がそれであったので、両名共に新しい縁には恵まれていないようだ。

 だが、努力でなんとかなるだろうとそれを聞かせてくれたジュディスは笑っていたので、ロビンもアナも曖昧に笑って返しておいた。


 モーリス・モルトニアは夫婦揃っていつしかモルトニア侯爵家から姿を消していた。

 騎士として地方に赴任が決まったらしいが、それが真実であるかどうかは定かではない。

 何せ、あくまでそこはモルトニア侯爵家が所有する、飛び地の領地で――そこにある枯れたと思われる鉱脈の再調査もあるようだから、外に情報が漏れないのは当然かもしれない。

 運命の女性として迎えられたミィナはいつまで経っても貴族に馴染めず苦労していたというが、離婚したという話は聞かないので今も彼らは共にいるのかもしれない。

 ようやく貴族の家から脱したと安堵しているかも知れないが、いつ諍いが起きるかわからない危険な地域だというので、自由を得たと言えるかどうかは難しいところだ。

 そちら努力次第だと笑って教えてくれた王弟に、やはりロビンもアナも曖昧に笑うしかできなかった。


 過去にロビンに想いを寄せていたエドウィーズも、気付けば王城から姿を消していたらしい。

 王太后の侍女として失態をしたからとも、見合い話が、など可能性はいくつもあったが、他の侍女も知らないと口を閉ざしたことから踏み込む者はいない。

 ただ、枢機卿が異国の地へ布教のために旅立ったというので、もしかしたら家族揃ってのことだったのかもしれない。

 先日、エドウィーズに似た娘が泣きながら遠方に嫁いでいく姿を見かけた商人がいたらしいが、定かではない。

 アナにはあずかり知らない話だ。


「……ねえロビン、今年の冬はゆったりできるかしら」


「ああ、できると思う」


「嬉しいわ」


「……すまないアナ、いつも寂しい思いをさせる」


「いいえ、いつだって貴方は私のところに帰ってきてくれるもの」


 もう、アナにとって『すまない』という言葉は恐ろしいものではなくなっていた。

 いつだって夫のその言葉は、彼女を気遣うものであるともう知っているからだ。


「だからね、愛しいアナタ。もうそんなに謝らないでくださいな」


「アナ」


「すまない、よりも、愛しているって言ってくれた方がずっと嬉しいわ」


「……愛してるよ、誰よりも」


 数奇な運命を辿って出会った二人が、気がつけば誰よりも幸せになっていた。

 これはそんなお話。


************************************

これにて完結です!

長らくお付き合いありがとうございました(*´∀`)

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【連載版】「すまない」で済まされた令嬢の数奇な運命 玉響なつめ @tamayuranatsume

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