第41話
夜会も半ばを過ぎてはいたものの、飛ぶ鳥を落とす勢いのモルトニア侯爵家主催の夜会というだけあって、まだ殆どの客は宴に興じていた。
しかし先ほどオーウェンとのやりとりのせいで疲れを見せたアナを気遣って、ロビンは帰ることに決め、侯爵夫妻に挨拶をする。
元々今回の夜会の主たる目的は、マグダレア男爵夫妻がモルトニア侯爵夫妻とも、その令嬢である王子の婚約者・ジュディスとも変わらず良い関係を築けていると周囲に見せつけることだ。
それはもう十二分に達成したと考えていい。
挨拶の際にアナが疲れてしまったようだと告げれば、ジュディスは『宿泊していけばいい』と心配してくれたが、ロビンはそれを丁重に断った。
原因がモルトニア侯爵家と同じく国王派のブラッドリィ家のオーウェンにあると知れれば、問題になりかねないからだ。
とはいえロビンは侯爵にだけ『ブラッドリィ伯爵令息からアナに直接、接触があった』と正直に伝えておいた。
それを聞いて侯爵がどう出ようが、ロビンの知ったことではない。
彼にとって大事なのは、愛する妻なのだから。
「……ごめんなさい、ロビン様」
「気にするな。初の夜会で俺も疲れていたからちょうどいいさ」
「でも……」
「顔色があまり良くない。やはりアナも疲れたんだろう、久しぶりの夜会だったから」
「……そうね、少しはしゃぎ過ぎたみたい」
オーウェンが原因の気疲れであるとわかっていても、ロビンはあえてそこに触れない。
その気遣いに感謝しながら、アナもただ疲れたということにした。
玄関ホールに向かえば、使用人がすぐにマグダレア家の馬車を玄関先に呼ぶと言って動いてくれた。
他に帰る客はおらず、玄関ホールもがらんとしたものだ。
馬車を待つ間に壁に掛けられた絵を二人で眺めていると、ホール脇の廊下が俄に騒がしくなるのを感じてアナはそちらに視線を向ける。
ロビンも同じように見ていると、何やら男女が喧嘩をしながらホールに近づいてきているようだ。
すると、ドレスを身に纏った女性が廊下からホールに飛び出たかと思うと、そのままに振り向きざまに履いていたヒールを脱いで廊下の方へと投げつけ、階段を裸足で駆け上がっていったではないか。
使用人たちまで揃って目を丸くした状態で、次いで廊下から靴を片手に現れたのはモーリスであった。
「ミィナ……ッ」
愛する妻の名前を呼んで登場するなど、まるで過去に彼と見に行った歌劇のようではないかと思わずアナは思った。思ってしまった。
周囲の視線に気付いたらしいモーリスはバツの悪そうな顔をしてから、アナに気付いて目を見開いていた。
そして、まるで引き寄せられるかのようにフラ、フラと危うげな足取りで歩み寄ってくる。
そのことに眉をひそめたロビンが、オーウェンの時のように立ちはだかった。
「……マグダレア卿。いや、今はマグダレア男爵だな。叙爵、おめでとう」
「ありがとう、同じ男爵として祝いの言葉、痛み入る。挨拶をしてもらって悪いが、俺たちはもう帰るところだ」
「そ、うか」
モーリスが、ロビン越しにアナを見る。
アナも、モーリスを久しぶりに見た。
今日の夜会には彼も参加していたのだろう、侯爵夫妻やジュディスと挨拶した際には、ジュディスのもう一人の兄――つまり侯爵家の長男と挨拶をしたものの、あの場にモーリスはいなかった。
おそらく、侯爵がモーリスと会わないで済むよう、気を遣ってくれたに違いない。
「……恥ずかしいところを見せた」
「あの方は、奥様ですか……?」
「ああ、これ以上あの場にいたくないと……」
モーリスの妻についても、噂はアナのところまで聞こえてくる。
下位貴族となったモーリスだが、その妻となったミィナは貴族社会に馴染めず苦労しているようだ。
「……彼女は今からでも俺に爵位を捨て、平民として生きることを望んでいる」
だが、モーリスはそれを選ぶことができない。
彼女の手を離すこともできなかった。
ミィナの奔放さに惹かれ、自由な魂に惹かれた。
屈託なく笑い、踊る……それが彼女らしさであるのに、貴族としての型に填め込む方が間違っているとモーリスにも分かっているのに、やはり手放すこともできなければ共に逃げ出すこともできずにいる。
そう、逃げ出したところでモルトニア侯爵家が許さないだろう。
貴族としての面子を汚し、
「……マグダレア夫人。綺麗になられた」
「……」
「幸せか?」
「ええ、とても」
そうか、とモーリスが掠れた声で呟くように言った。
もしもあの時運命の恋に浮かれず、会いにも行かずにいられたら。
今も家族が笑顔で、傍に寄り添うように微笑むアナがいて、自分も笑えていただろうか。
そんなことを考えて、モーリスはそれがただの幻であることを痛感する。
あの時選んだのは、自身だ。
ミィナと想いを交わし、選んでしまったのだ。
モルトニア侯爵家が彼らを許すことはないのだろう。
それは家門の一員であるモーリスが一番知っていることだ。
跡取りではないから構うまい、自分が責任を負うから構うまい……そんな甘えがあった。
そしてそれは本当に、甘い夢でしかなかった。
「……アナ」
「アナは俺の妻ですよ、モルトニア卿」
「……」
思わず呟くようにモーリスはアナの名前を呼んでいた。
それをロビンが一蹴する。
手に入れていたはずなのに、それを無下にしたのはお前だと言われたような気がしてモーリスは自嘲の笑みを浮かべる。
そう、手放したのは自分だ。
「……失礼する。お二人も、どうぞ帰路お気をつけて」
モーリスは、肩を落として去って行く。
今頃、部屋では
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