第3話 飛翔
先に地面から足が離れたのは――銘絶だった。
右足でアスファルトを一蹴り。たったそれだけの動作だったというのに彼女の身体は浮き上がり、自身の二倍はあるであろう高さへと飛翔していた。
人間離れした脚力。そのあまりの衝撃に開いた口が塞がらない漱であったが、銘絶が律の間合いへと突入した瞬間、彼の常識は更に吹き飛ぶ事となる。
「……せいっ」
銘絶は持っていた槍を車輪のように一回転させ、頭の後ろまで槍先を運んだ。その動きが何を表しているのか、それは漱の素人目にも分かるくらい単純な動作であった。
(隙を殺したのか)
通常、槍を叩き付ける場合には二つの予備動作を必要とする。振り上げ、力を込めて振り下ろす。突き刺すよりも殴る方が強力とされている槍の攻撃における基本の動きであった。
だがしかし銘絶の槍術は基本の一切を斬り捨てており、理想的ではあれど誰もが不可能として無視してきた攻撃方法だったのだ。それは電動のこぎりのように穂先を前回転させ、必須であった二つの予備動作を省略するという力業。
過去に思いついた人間は居ることだろう。しかし勢いを殺さずに槍全体を回転させるには柄と穂を半径とした円周、それを収められるだけの空間が必要なのだ。
――だからこそ飛んだ。
銘絶は驚異的な跳躍によって自身と地面の間に空間を作り出し、槍が一回転できる程の距離を人為的に生み出したのである。
理想を可能にするだけの脚力、柄と穂先を含んだ距離感覚、相手の間合いに到達するまでの計算。その全てを熟知してようやく到達出来る御業を初撃で躊躇いなく放つ彼女は、まさに猛将と言うのに相応しい戦闘力であった。
「この一撃、受け止められたら褒めてやるよっ」
空中からの落下により勢いを増した槍。そこへ銘絶は自身の体重を上乗せし、必殺の一撃を繰り出した。
対する律は太刀を地面と水平に構え、迎え撃つ姿勢を見せる。武器の見た目のせいであろうか、細くしなやかな彼女の太刀で銘絶の攻撃を相殺出来るなど、漱にはとても思えなかった。
――空気をえぐるような速度で槍が振り下ろされる。
風圧が少し離れた場所に居る漱へと届くくらいの衝撃を放ちながら、穂先はアスファルトをガリガリと削り取った。その爪痕、ぱっと見だけでも長さ数十センチへと及んでおり、人間が受けていた場合には左右真っ二つになっているであろう破壊力。
そんな攻撃の真正面に立っていた律は……
「んだとっ」
銘絶が驚愕の声を露わにする。
確かに彼女の槍は地面を貫き、長い割れ目を残す形でめり込んでいた。だがその傍らに、無傷のまま刃文をギラつかせる鬼のような武者が一人。律は槍先が自分へと到達する寸前、刀身を少し下げることで銘絶の攻撃を僅かにずらしたのだ。彼女と相対した際に身体を縦にして、相手と垂直になるようにしたのはこの為。被弾するであろう面積を最小限にまで減らしていたのだ。
「貴様が雷鳴のように戦うと言うのであれば、我が剣術は清流。力任せの一撃なぞ軽くいなし、死の川へと誘おうぞ」
大きく生まれてしまった隙。それを見逃してくれるような未熟者は漱以外、この場に存在しなかった。
だんっ、と大地を揺るがす踏み込みで銘絶の槍を押さえつけ、その柄に沿わせる形で刃先を滑らせる。自身へと迫り来る刃に銘絶が取れる行動はたった一つ。武器を捨てて退避する事。
だが……
「この私がっ」
突然、彼女は槍を手元からへし折った。
バネのような反動を生みながら二つに割れた柄はそれなりに長く、勢いに欠ける律の太刀を止めるには十分な道具であった。これには銘絶も一瞬だけ安堵。にやりと笑いながらバーベルを扱う要領で、向かってくる刀身目がけて柄の破片を振り下ろした。
「落ちろ――」
その刹那、律の手元がぐにゃりと歪む。
打ち落とそうとしていた刃は蛇のように曲がりくねり、蛇行した軌道を作りながら銘絶の反撃をするりとかわした。
「――青龍一刀」
ぼそりと律が呟いた。
障害物を回避した彼女の刃が向かう場所は一つだけ。白銀の鎧に身を包んだ猛将の首、それも頭部との境を目がけて一直線に走る。冷たい金属の刃が肉を裂き、水面を割る船のように将の首を切り抜けた。
くるり、銘絶の頭が宙を舞う。
刎ねられた彼女の首は間もなくして地面へと落ち、ごろごろと兜の擦れる音を立てながら転がったのちに漱の方を向いて停止した。
「うっ」
反射的にえずく漱。
銘絶の目には既に光りが無く、近くでは頭部を失った事に気づいた身体がどしゃりと倒れる音が響く。彼はそれに気がつくと更にえずき、最後には抑えきれなくなった吐瀉物が決壊したダムのように溢れ出た。
胸が痛い。食道がズキズキと痛み、全身が悲鳴を上げているのが分かる。たった今、漱は殺人の瞬間を目にしたのだ。
数分前にときめきさえ覚えた女性の首が目の前に転がっている。初めて見る本物の殺傷された死体を前に、彼の精神は限界を迎えていた。鳥肌が立ち、瞼の裏には銘絶の視線が焼き付いている。鼓膜にだって彼女の声がこだまのように響いており、平和な日常出身の彼が絶望するには満ち足りた内容であった。
「どうやら間に合ったようで」
呼吸が困難になるくらいまで吐き戻し、げっそりとした顔の漱へと律が少し歩み寄った。彼女の顔は優しい笑顔で、「人殺しを何とも思っていない」と見て分かる表情。当然ながら漱はその態度に恐怖を感じ、足だけでは無く手からも力が抜けてしまった。
ずるりと地面へ崩れ落ち、うつ伏せになりながら必死に目だけは律の方を見る。そんな彼の反応に焦った彼女は急いで太刀を鞘へと収め、水溜まりのように流れ出た血をよけながら漱の身体へと駆け寄った。
「怯える事は無い。我はお主を救う為、急ぎここへと参ったのだ」
「僕を、なん……で」
喉を痛めたのだろうか、上手く言葉を発することが出来ない。
律は倒れている漱を抱えて起こし、腕で背もたれを作るように支えた。
「お主、先刻とある老人を助けただろう。実はその方とは顔見知りでな、血相を変えて救助を頼まれたものだから急いで参上仕ったのだ」
「そう、なんだ。後でお礼、言わなきゃ」
途切れ途切れになりながら言の葉を紡ぐ漱を見て、律はふっと微笑んだ。
戦っている時には修羅の形相だった彼女の柔和な一面。それを間近で見た漱はごくりと唾を飲み、絶景を見た時のような感動を覚える。そして「もし戦いの女神と出会ったのならばきっとこういう感じなのだろう」と、強い安心感に浸るのだった。
「見たところ難民、というわけでは無さそうだ。かといって敵国の間者にも見えない……うむ、お主を我が集落へと案内してやろうぞ」
「え、ちょっと」
律は彼をひょいと持ち上げ、お姫様抱っこをする形で腕に抱えた。
成人男性が見知らぬ女性に特殊な抱えられ方をするなど到底目も当てられず、漱は顔を真っ赤にして両手で瞼を覆った。そんな乙女のような反応がツボに入ったのか、律は「はっはっは」と高笑い。
そうして二人は不思議な空気を生み出しながら集落へと向かって進むのだった。
神戦姫 瀬野しぐれ @sigure_sigusig
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