第2話 赤光
「今から、とある情報を紙に書いて渡します。それを僕らがある程度離れてから開いて頂き、お互い去るというのはどうでしょう」
一か八かの苦肉の策。成功すれば漱も老人も無事に難を逃れられるが、この話が通らなければ二人とも彼奴等の餌食となる。メリット、デメリットを理解している人物で無ければこの交渉は水泡に帰するのだ。
「いいだろう」
(よし、乗ってきた)
心の中でガッツポーズを取る漱。だが次の一言が彼の前進を襟首掴んで後退させる事となる。
「だが逃がすのはそこのジジイだけだ。お前は残れ」
顔には出さないが唖然とする。
予想はしていた返答。しかしいざそのカードを切られてみれば、想像より遙かに深い絶望が精神を蝕んだ。
漱の提案した取引の欠点、それは「主導権を相手が握っている」という致命的なモノであった。とはいえこの弱点を回避する方法など到底無く、彼にとっては苦し紛れの最善策であったと言えよう。
女性の切り返しに漱が出せる答えは一つ。
「分かりました。それで手を打ちましょう」
「よし決まりだ」
「おら老いぼれが、さっさと行きやがれ」
枯れ木のような身体を揺らして老人はふらふらとその場から逃げ出した。逃亡の最中ちらちらとこちらを窺っていた事から、申し訳なさは感じているのだろう。
彼の背中が廃墟へと消えるの見届けると漱は懐からメモ帳とペンを取り出した。これは普段からペンと紙を持ち歩く彼の癖による物。不安症な漱は「通り魔に襲われた時」や「轢き逃げに遭った時」、「何か重要な事柄をメモしたい時」など杞憂とも言えるパターンを恐れて常に筆記用具を持ち歩いていたのだ。
漱はさらさらと紙に情報を書き、半分に折って女性へと手渡した。それを受け取った女性も律儀な事に、老人の姿が消えたかどうか横目に見てから紙の端へと指をかける。存外、そこまで悪い人間では無いのかも知れない。
紙面に記されていたのは物資が豊富に残っているであろう店の場所。ここが崩壊した世界だというのであればスーパーやコンビニ、その他食料品を置いていた店はとっくに漁り尽くされている事だろう。そこで漱が記載したのは観光地、それも地元民しか知らないような隠れスポットの名称であった。
この世界が崩壊してから一体どれほどの月日が経っているのかは分からない。しかし食料品を取り扱う事の多い観光地であれば、保存の利く食品などが残っている可能性が大いにある。それを見越してのこの情報。
「……なるほどな」
女性はにやりと笑う。どうやら受け取った内容に納得したようで、これには漱も心の中で胸を撫で下ろした。
「確かに明日をも知れぬ身の奴らがこんな場所に行くわけねえもんな」
女性は紙を再び折り、懐へしまう。
「おい、そいつを連れて行くぞ」
「へい」
漱は男達によって取り囲まれ、後ろ手に手首を束ねられた。みしっ、と骨が軋むくらいの握力で掴まれた両手首は声にならずとも悲鳴を上げている。このまま長距離を歩かせられるのかと思うと、彼の気はますます遠くなるのだった。
◆ ◆ ◆
うだるような日差しと青々とした快晴が漱の黒髪を焼き付ける。ぽたぽたと地面に落ちる自分の汗を見つめながら「ここから次の一手はどうしようか」なんて考えてみるも、そう簡単に答えは出なかった。
情報量があまりに多すぎる。突拍子もない事への適応力が高いと自負する漱であったが、流石に今回ばかりは脳の処理が追いついていない。
「隊長、こいつをどうするんですか」
「そいつは使える。私には分かるんだ。それに――」
女性はちらりと漱を見た。
「楽しみ方ならいくらでもあるしねえ」
そう言いつつ舌舐めずり。彼女の眼光はさながら飢えた獣のようで、獲物である漱を簡単に震え上がらせた。
四人は駅前から離れると大通りを経由しビルの建ち並ぶ繁華街……だった場所へと足を踏み込んだ。
連行される中、現状を把握する為の材料を探して辺りを見回す漱。彼の瞳に映ったのは駅前でも遠目に見た群生する植物、そして「ついさっきまで人が居たような」廃墟であった。店先に設置されたテーブルの上には割れたコップが転がっており、ボロボロになった
まるで一瞬にして人だけが消えてしまったような状態。
「おい止まれ」
歩く度に鳴っていた鎧の音が止む。
女性が遮断機のように槍を横にして後ろを歩いていた三人を制止したのだ。その上、不穏な空気に皆が困惑する中、彼女だけは口角を上げて目をギラつかせているではないか。
漱はごくりと固唾を吞み、生暖かい液体を頬に伝わせた。
――かしゃり。
今まで鼓膜に触れていたものより遙かに軽い鎧の音。辛うじて漱の耳にも聞こえたソレはゆっくりとした感覚の拍数で、それでいて流れるような早さでこちらへと近づいていた。その雰囲気はさながら半紙に染みこむ墨のよう。
やがて皆が停止してから一体何秒経っただろうか。そう感じてしまうくらいの緊張と沈黙が場を支配する中、四人の前方に人影が一つ躍り出た。
「兵か、いや将か」
槍を握る女性の手に力が入る。
近づく人影はやがて鮮明になり、その全貌が明らかとなった。
腰に太刀を佩き、真紅の鎧を身に纏った姿はまさしく戦国の世を彷彿とさせる赤備えのような武者。ただし一点気になる事があるとするならば、彼では無く彼女であった事。艶やかな黒髪を後ろで束ね、凜とした顔立ちの女性なのだった。
女武者は四人の前でゆっくりと歩みを止め、何も言わぬまますらり。二尺はあるであろう刀身を鞘から走らせ、地金をぎらりと冷たく輝かせた。それを見た男達は慌てて臨戦態勢になり、腰に据えていた直剣を荒々しく抜き身に。一瞬にしてそこは戦場となったのだ。
だが、白鎧の女性は槍をぴくりとも動かさない。どうやら男衆だけで片を付けさせるつもりらしく、彼女の槍先は拘束係の外れた漱だけを捉えていた。
男達が剣を抜いたのを確認するや否や女武者はふっと笑い、二人目がけて駆け出した。その早さたるや稲光のよう。闇夜のテールランプのような赤い軌跡が男達へ近づいたかと思いきや、次の瞬きをした時にはドスリ。既に片方の男の首を白銀の刃が貫いていた。
焦ったもう一人の男が横薙ぎに剣を振るう。だが彼の動きと同時に女武者も首から太刀を引き抜くと、流水のような太刀筋で相手の剣へと刀の峰を当て、その衝撃で男の武器を彼の頭上へと打ち上げた。
両腕を上げる形でがら空きになる男の全身。女武者は躊躇う事無く刃を寝かせて、急所である喉へと鋭い突きを放った。冷たく輝く刀身は男の喉元からうなじまで貫通し、振り上げていた腕はだらりと力なく垂れ下がる。絶命の合図をするかのように男は膝から崩れ落ちるのだった。
「やるねえ。相手にとって不足はないと見た」
ようやく白鎧の女性が槍を構える。その姿を見てか女武者も刀を横にして胸へと沿わせながら肩を相手に向け、全身が敵と垂直になる姿勢を取ってから大きく口を開けた。
「我が名は
「名乗りを上げるとは殊勝なこった。いいぜ、付き合ってやるよ」
女性は槍をくるくると回しながら自身の腕前を披露し、カンッと強く石突をアスファルトに打ち付けた。
「我が名は
「いざっ」
赤き鎧を纏う武者、羽々斬律と白鎧の槍使い銘絶が互いに間合いを詰める。既に男達と戦闘した事で二人の間合いはそれほど遠くはなく、数歩進めば容易にぶつかる事の出来る距離であった。
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