異世界で生きる

下東 良雄

異世界で生きる

 少し長く眠りすぎたようだ。

 俺はぼんやりとする頭を振り、ベッドから起き上がった。

 病院……ではない。古びた雑居ビルの一室か。ひとの気配はない。

 ベッドを降りて、柔らかな陽が射す窓から外を望む。四階か五階くらいの高さだろうか。地方都市の街という雰囲気。ただ、見た限りではひとの気配はない。


 一体ここはどこなんだ――


 白シャツにデニム、スニーカー。着の身着のまま部屋を出る。階段を見つけて降りていき、ビルのエントランスへ。やはりどこにでもあるような雑居ビルのようだ。

 ガラス戸を開き、外へ。温かな陽光と緩く頬を撫でるそよ風が心地良い。

 やはり周囲にひとの気配はない。人通りが少ない、とかではなく気配が全く無いのだ。ビルの前の通りはアスファルトで舗装されており、商店街の一角なのか、様々な個人商店が並んでいるが、とにかく誰もいない。

 美味しそうな匂いに釣られ、一軒の惣菜屋に入ってみる。店頭には美味しそうな惣菜がパックされてたくさん並んでいる。


「すみませーん!」


 大きな声で呼びかけるも、誰も出てこない。

 惣菜のパックを手にすると、まだ温かい。


「誰かいませんかー!」


 何の返事も返ってこない。

 俺はいくつかの惣菜のパックを手に惣菜屋を出た。


 惣菜をつまみながら街を散策したが、やはり誰もいない。

 明かりの灯った家にも侵入してみた。電気は通っているし、ガスも水道も使える。しかし、住民は誰もいなかった。


「これって異世界なのか……? なのか……?」


 自分の望んでいたモノとは違うが、どうやら俺は異世界に送られたようだ。眠っている間に異世界へ……まぁ、こういう転移もあるのだろう。

 とにかく、この世界の住人と接触しないことには、自分ひとりではどうしようもない。俺は住人を探して、街をただ彷徨い続ける。


 細い路地に入り、その先に目をやると子どもがいた。逆光なのではっきりは分からないが、坊主頭なので男の子だろう。


「こんにちは」


 声を掛けて近づいていく。男の子は驚いた様子でこちらを向いた。

 何かがおかしい。耳が尖っているのだ。


「ギギギッ」


 こちらに駆け寄ってきた子ども。手には何かを持っている。

 俺に飛びかかってきた子どもをすんでのところで横にけてかわしたが、右腕に痛みを感じる。目をやると、シャツが切り裂かれて白いシャツが赤く染まっていた。

 俺が子どもだと思っていたのは、緑色の肌に尖った耳、手には粗末な刃物らしきものを持っている。俺の知識の中では『ゴブリン』に近い生物だった。

 命の危険を感じて路地を出ようと振り返ると、そこには五体のゴブリンが待ち構え、醜悪な笑みを浮かべていた。


「ギギャー!」


 一体のゴブリンの叫びに、他のゴブリンたちが一斉に俺へ飛びかかってきた。身体中に走る痛み、そして大量の出血。


「や、やめてくれ! 助けてくれ!」


 尻もちをつき、涙ながらに命乞いをする俺。

 ゴブリンたちは、全員が醜悪な笑みを浮かべて一斉に襲いかかってきた。切り裂かれ、突き刺されていく俺の身体。俺は凄まじい激痛の中、意識を失っていった。


 俺の異世界生活は、もう終わりなのか――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 少し長く眠りすぎたようだ。

 悪夢を見ていたせいか、身体が少し汗ばんでいる。

 俺はぼんやりとする頭を振り、ベッドから起き上がった。

 病院……ではない。古びた雑居ビルの一室か。ひとの気配はない。

 ベッドを降りて、柔らかな陽が射す窓から外を望む。四階か五階くらいの高さだろうか。地方の郊外の街という雰囲気。ただ、見た限りではひとの気配はない。


 デジャヴ?――


 俺はビルの外に出て、惣菜屋に入った。

 夢と同じ惣菜のパックが並んでいる。

 先程まで見ていた悪夢を思い出した。

 スポーツ用品店からバットを持ち出し、金物屋から拝借したクギを無数に打ち付ける。いわゆるクギバットだ。

 俺はあの路地へ向かった。


 路地の奥に子どもの姿が見える。

 俺は声をかけずに駆け寄り、クギバットを振り下ろした。

 動かなくなったゴブリンの身体を探るも、金目の物は何もないし、ラノベにあるような魔石があるわけでもない。ただ、ゴブリンの死体だけがそこにあった。

 俺がやってきた通りの方へと目を向けると、五体のゴブリンが怯えたような表情を浮かべて、こちらの様子を伺っていた。立ち上がってクギバットを持ったままゴブリンたちへゆっくり向かうと、叫び声を上げて逃げていった。油断はできない。ここは現代世界を舞台にした弱肉強食の世界なのだ。


「ブフゥー」


 通りに戻った俺の前に現れた、巨大な棍棒を持った大柄な豚のような人型の生物。俺の知識の中で言えば『オーク』に近い。

 オークといえば、ゲームの世界ではゴブリンと並ぶザコ敵の代表格。俺はニヤリと笑い、クギバットをオークのデカい腹に叩き込んでやった。

 が、オークはどこ吹く風。俺のひ弱な力では、分厚い筋肉に打撃が阻まれ、何のダメージも与えられない。


 俺が最後に見たのは、棍棒の木の節だった――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 俺はベッドから飛び起きた。

 また雑居ビルの一室にいる。


「何だコレ……『死に戻り』ってやつなのか……」


 俺は自分の置かれている状況が分かり、慌てて惣菜屋へ行き、持てるだけの惣菜のパックを持ってビルに戻った。ビルのガラス戸も、この部屋の扉にも鍵をかけ、立てこもることを決めたのだ。

 時折外を覗くと、ゴブリンやオークが通りをうろついていたが、このビルに入ろうとはしなかった。おそらく、ここは『安全地帯』なのだろう。できるだけここから出ない方がいい。そう判断した。


 やがて日が暮れ、暗い夜が訪れる。

 不思議なことに通りには街灯が灯り、多くの店も明かりが灯っている。そんな中をゴブリンやオークたちが跋扈ばっこしているのだ。俺はその光景に恐怖し、部屋の明かりもつけずにただ朝が早く来ることを祈っていた。


 ガンッ


 部屋の扉を何か硬いもので叩いているヤツがいる。


 ガンッ ガンッ ガンッ


 ここは『安全地帯』じゃないのか!? 俺はパニックになった。


 ガンッ ガンッ バキッ


 鍵が壊された。

 扉がゆっくりと開いていく。


「ス、スケルトン……」


 動く骸骨スケルトンが、岩をも砕くような大型のスレッジハンマーを手にして、ゆっくりと近づいてきた。


 ブンッ ドガンッ


 スケルトンが振り下ろしたスレッジハンマーを避けると、床が震えるほどの衝撃が走った。


「助けてください! 助けてください!」


 感情のない骸骨に命乞いが通じるわけがない。

 スケルトンが振り回したスレッジハンマーを前に、俺の頭はあまりにも脆弱だった――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 俺はベッドから飛び起きた。

 パニックになった俺は部屋を飛び出し、階段を駆け上がっていく。

 雑居ビルの屋上にやって来た。


「もういやだ! 頼む! もうこれで最後にしてくれ!」


 俺は雑居ビルの屋上から飛び降りた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 俺はベッドの上で目覚めた。


 俺はぼんやりとする頭を振り、ベッドから起き上がった。

 病院……ではない。古びた雑居ビルの一室か。ひとの気配はない。

 ベッドを降りて、柔らかな陽が射す窓から外を望む。四階か五階くらいの高さだろうか。地方の郊外の街という雰囲気。ただ、見た限りではひとの気配はない。

 街の景色が涙に滲んでいく。


 誰か……誰か助けて……



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「なるほど、このシステムによって別の世界で生きることになるのですね」

「はい、その通りです」


 ベッドで眠るひとりの男。床下から伸びる無数のケーブル類が頭や身体に接続されている。

 そんな男を前に白衣の男がスーツ姿の女性からマイクを向けられていた。その周りには8Kと刻印されたテレビカメラを抱えたカメラマンや、長いブームマイクを向ける音声担当などの技術スタッフがおり、白衣の男へのインタビューであることがうかがえた。


「これはバーチャルリアリティ仮想現実とは違うのですか?」

「はい、これは脳へ直接様々な電気信号を送ることで、眠っている本人にとっては現実とまったく変わらない疑似現実を体感させています」

「疑似現実?」

「進化したAIの力を借りて実現できたのですが、疑似現実での温度や湿度はもちろん、好物を食べればその味を感じて美味しいですし、道端で転べば痛みを感じます。理想の人物と出逢えば恋や愛が生まれるでしょうし、自慰行為や性交によって性的快感を得ることもできます」

「本人が眠っていてもですか?」

「はい、人間は脳に支配された生き物であると言えます。逆に言えば、脳を支配することで人間のすべてをコントロールすることが可能です」

「大変革新的な技術ですね」

「ただ、人間そのものの尊厳や存在意義、生きることの価値などが希薄になる可能性が高いと考えておりますので、その利用方法を限定している状況です」

「終末治療などへの活用が期待されますね」

「はい、その通りです。痛みや苦しみを感じさせず、人生の最後を理想の環境で過ごしていただくのは、価値ある利用方法だと考えております。それと――」


 白衣の男は、ベッドで眠る男に目を向けた。


「――旧称『死刑囚』への対応です」

「現在の『追放囚』ですね」

「はい、世界的な死刑廃止の動きから、我が国も死刑制度が廃止となりましたが、その代替手段としてこの技術が用いられています」

「この現世から追放する、ということですね」

「その昔、異世界への転移や転生をテーマにした小説が流行りましたが、まったく同様に疑似異世界へ追放し、その世界で生きてもらおうということです」

「犯罪者の生命と人権を守りながら、新たな人生を送らせるこの手法に全世界が注目しています」

「大変光栄なことです。技術の移転は難しいため、他国から『追放囚』を預かる新たなビジネス創生にもなると考えております」

「この先の展開を楽しみにしております。今日は精神転移システム『MOT(Mind Over-dimension Transfer system)』を開発、運用されている内田博士にお話を伺いました。博士、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 テレビカメラへ笑顔を向ける女性。


「はい、カット! OKです! 照明さん、ライト消して! 博士、ありがとうございました!」

「いえいえ、とんでもございません」


 ディレクターと博士はお互いに頭を下げあった。

 女性は少々不安そうな表情を浮かべ、博士に話し掛ける。


「博士、インタビューの内容は問題なさそうでしょうか」

「はい、問題ございませんよ。こんな辺鄙へんぴなところまでお越しいただき、アナウンサーも大変なお仕事ですね」

「こういう自分の知らなかった世界に触れられたのは、私にとっても貴重な経験です。本当にありがとうございました」


 頭を下げる女子アナウンサーににっこり微笑む博士。

 和やかな雰囲気のまま取材は終わり、テレビクルーたちは施設のスタッフに連れられて部屋を退出していった。


 ベッドの男とふたりきりになった博士は、歪んだ笑みを浮かべた。


「下調べが足りないねぇ。クククッ」


 テレビクルーたちは三つのことに気付かなかった。


 一つ。

 この部屋の扉の上には、小さなプレートが掲げられていた。

 そして、そのプレートにこう刻まれている。

 "Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate."(※)


 二つ。

 ベッドの上で眠っている彼は、内田博士の妹を殺した殺人犯だった。

 内田博士は、犯罪者の生命や人権など考慮していない。

 彼は、疑似異世界で何度も『本物の苦痛』や『本物の死』を味わいながら、生き続けなければならないのだ。


 三つ。

 このシステムは、妹を殺した殺人犯への復讐のために開発された。この『MOT』という略名、本当は "Mind Over-dimension Transfer system" を意味していない。

 このシステムの正式名称は "Maze Of Torment拷問の迷宮" である。


 博士は、その歪んだ笑みをベッドで眠る殺人犯に向けた。


「お前が望んでいた異世界転移だ。永遠に出られない迷宮で、思う存分異世界を楽しめ」


 その顔を殺人犯の顔に近づけて博士は囁く。


「ただし、お前にチートはないけどな。チートを持っているのは、お前が生きる異世界を如何様いかようにもコントロール可能な、現世に生きるオレだ」


 ベッドで眠る殺人犯を残し、部屋の扉へ向かう博士。

 部屋の照明のスイッチに手をかける。


「良い人生を……」


 部屋の照明が消え、暗闇に包まれた部屋。

 扉を開け、通路の明かりが博士の顔を薄く照らす。

 博士は満足そうな微笑みを浮かべ、部屋を去っていった。



(※汝等わいらに入るもの一切の望みを捨てよ)



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