父の名前

荒川 長石

 大学に入って相撲を始めてから、継人は毎年夏になると、同期の山下の実家に「合宿」と称して泊まりに行くことが恒例の行事になっていた。その年も、仲間三人とともに継人は「合宿」に参加した。山下の実家は千葉の太平洋を望むM町という港町にある。M町は大小二つの岬に挟まれた港と中心として古くから漁港として栄えていて、沖で親潮と黒潮が出会う、漁港としては理想的な場所に位置している。そのせいもあり、昔から高知や和歌山から漁師がやってきては居ついたり、集団で移住してきたりするというような、海を通じた各地との交流があったらしい。だがその一方で、港町に特有の荒くれ者たちも多かった。町の通りを歩いていると、ひょろ長い背丈の、寡黙に殺気を漂わせるケンカの強そうな男や、まるでそれと合わせ鏡のような、髪を明るく染めた気の強く声の大きい姐御タイプの女とすれ違うことがよくあった。継人はそんな男や女たち、それに彼らが醸し出す、恋やケンカに満ちた昔ながらの共同体をそのまま引き継ぐような町の雰囲気が嫌いではなかった。それは継人にとってはどこか既視感をともなう懐かしい風景だった。

 山下の家は町の古い地区に軒をかまえる、江戸時代から続く旧家の一つだった。かつては干鰯という肥料を作っていたが、明治になると醤油の醸造に乗り出し、やがて競争が激しくなると醤油工場をライバル会社に売り払って近くの川の砂利を売る採石業に鞍替えをした。これが大いに当たり、山下家はバブルのころには繁栄を極めたが、バブル崩壊とともに砂利の値段も暴落して事業の縮小を迫られた。山下の屋敷は今でもかつての栄華をしのばせる金のかかった調度品であふれている。

 継人たちの一日は次のように過ぎていく。朝起きて、しっかりと朝食を取ると、午前中は海に出て、砂浜で四人で輪になって四股、てっぽう、すり足、そして三番稽古やぶつかり稽古をする。そのあと遊び相撲をやって、汗をかいた体に砂がつき、みたらし団子にきな粉をまぶしたような姿になってから、ようやく海に入って砂を落とし、岩場まで泳ぎ、素潜りでサザエを拾う。

 正午には新市街の食堂や名物の担々麺屋で昼食をとる。

 午後は山下の家に戻り、庭でスイカ割りをしたり、麻雀をしたりして、夕方には大相撲夏場所をテレビで観る。山下の両親は大相撲のファンで理解があり、それにどうやら息子の友達を家に呼んで世話を焼くことを娯楽にしているようだった。そして夜になると、地元で水揚げした魚介をふんだんに使った、竜宮城もかくやと思わせるような豪勢な夕食に舌鼓をうった。それから酒になり、山下の父親もまじえて一升瓶を数本空けた。そのあとはいつも記憶が定かではないが、三人ともいつのまにか座敷の隣の部屋に張ってある蚊帳の中にもぐりこみ、互いの体を枕にして、仲良くひっつきあって眠り込んでいるのだった。

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