の、神様
香久山 ゆみ
の、神様
「美術界の神様」、夫はそう称されます。
若い時に国内外の大きなコンクールを立続けに受賞して「油絵の神様」と呼ばれました。その後、水彩や日本画、彫刻、工芸など様々な分野で作品を発表し、いずれも高い評価を受けて、ピカソやダヴィンチと並び称され、「美術界の神様」と呼ばれるに至りました。
しかし、作品を発表するたび必ず高い評価を受けることに、夫はどこか不満そうでした。
「あなたの手から生み出されるものがそれだけ皆の心を動かすのよ。素晴らしいことだわ」
そう励ますも、浮かない表情は消えません。
ある日夫が新たに完成させた作品は、いつもの雰囲気とはまるで違うものでした。
「どう思う?」
美術の心得のない私は「うーん」と唸りました。何だか画面がごちゃごちゃしていて色遣いも酷いように思われます。私の反応に、「下手くそだろ」と夫は満足そうに頷きます。
「けどいい加減な気持ちでこれを描いたのではない。美しくないものにこそ美しさは宿る」
私は馬鹿だから夫の言うことがよく分かりません。でも、夫は自信に溢れた笑顔です。
「とはいえ、これは下手だから。コンクールでは落選だな」
その作品は絶賛されました。常人では思いつかない新境地、さすが神様だと。夫の落ち込みようときたら。私はその背を撫でるしかできません。
皆、作品を評価しているのではなくて、僕の名前が一人歩きしているのではないか。そう疑った夫は、偽名でコンクールに出品しました。作風も一新して。結果、「期待の新星」「神の子」などと賞を総嘗めにしました
私には夫がどうして悲しんでいるのか分かりません。皆から認めてもらえる、羨ましい限りです。でも、夫は絵筆を折りました。
人の心次第で結果が変わるものではなく、絶対的な結果で評価される世界に身を置きたい。夫はそう言って医大に入学して、首席で卒業、外科医になりました。
もともと器用な人ですから、夫は数々の難しい手術も成功させ、多くの人々の命を救い、「神の手」と評判になり、雑誌やテレビでも取上げられました。夫に執刀してもらうために、日本中はおろか世界中から患者が押し寄せます。人の命が懸かっているので、わざと下手くそにすることもできません。夫はいつも疲れていました。私にできるのは、深夜帰宅する夫に温かい食事を用意することくらい。
十年程そうして頑張っていたけれど、ある時ふっつり医者を辞めてしまいました。もう何もしたくない。家にいると宣言しました。
代わりに私が働きに出ることにしました。十分な蓄えはあるから必要ないと夫は言いましたが、私がそうしたかったのです。
けれど、何でもできる夫と違って、私は不器用ですから。すぐにクビになっては職を転々としました。へとへとになって帰宅する私を、夫は温かい食事で出迎えてくれます。夫が作った料理は、私が十年以上毎日作り続けた食事と比べ物にならない程美味しい。本当に、私はなんて駄目な人間なんだろう。ふつうの人間をやるのはとても難しいです。
そんな私の不甲斐なさも一因かもしれません。雑誌やネットなど様々な媒体で、私を糾弾する声が上がりました。「世紀の愚妻のせいで天才外科医が引退した」、「悪女のために多くの患者の命が失われる危機」。
「悪女だってさ」、夫は記事を読んで笑っていますが、私は笑えない。
夫は本当にすごい人です。芸術や医療だけではありません。学生時代はスポーツで名を馳せて、美術の道に進まなければオリンピックに出場していたといわれています。身長が高く筋肉質で、容姿端麗。人当たりもスマートで、独身時代は有名女優やモデルと噂になったことも数知れず。
そんな完璧な夫の唯一の失敗と周りからいわれているのが、私と結婚したことです。私自身そう思います。もしかして、完璧な自分を崩すために、わざと駄目な私と結婚したのではないかとさえ疑っています。
「どうして私と結婚したの」そう訊くと、「君こそどうして僕と結婚したの」と聞き返します。そんなの、夫のような素晴らしい男性に求婚されて、断るふつうの人間なんていないでしょう。
結局、非難が止まず私がいつまでも落ち込んでいるから、夫は医師業に復帰しました。
「連中は何も分かっていないね。君がいなければ、僕は早々にこの世界に飽きて、いま存在すらしないだろうに」
僕の女神様、と夫は言います。もっと美しく聡明な女性は他にいくらでもいるでしょうに。
「君は僕のこと好きじゃないだろ。だから僕は君のことが好きなんだ」
夫が少し寂しそうに微笑みます。私には彼の言うことがよく分かりません。
の、神様 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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