第12話 伊吹アオイの憂鬱
アオイはマイクスタンドを、サックスの口のところまで低く下ろした。
マイクケーブルは、ギター用のエフェクターにつながっている……見ると、ディストーションなど歪系のものだ。
「よしっ!」
と、つぶやいたアオイは、大きく息を吸い、低音部を吹いた。
言うまでもないことだが、鼓膜を破るような音が、ホールいっぱいに響いた。
「悪くないですね、じゃあ、2人もなんか弾いてみてください」
「なんかって?」
「だから、なんでも良いんですよ!」
わたしは適当にパワーコードをジャカジャカ鳴らした。
カノンがそれに合わせるように、高音部を弾いている。
そしてアオイは、見計らったかのように、サックスを鳴らした。
もはや音楽ではなかった。
ノイズの塊、である。
わたしとアオイはエフェクターとアンプを通しているので、カノンのピアノはほぼ聞こえなくなっていたし……
それが、20分ぐらい続いた。
指が痛い……耳はもはや聞こえん……
「まあまあですね。あ、ピアノの人……」
「相沢カノンよ」
「じゃあカノンさんも、マイクから音出してみましょうよ」
より一層、ノイズの塊は大きくなった。
わたしは気づかぬよう、エフェクターの音量を下げようとした。
そしたらアオイが、あっ! と叫んだ。
「ダメですっ! もっと大きくするならまだしも」
でも、マジ、耳痛いんですけど……そもそもなんの曲を弾いているのかも分からないし……
カノンはカノンで、今までの流暢な弾き方、というより、タンッタンッと跳ねるようにピアノを弾いている。
驚くべきことに、この騒音合奏会は、5時間も続いた。
「すこし休憩しましょうか」
カノンがそう言って、いつものティータイムが始まった。
もはやカップを持つ力さえない……だって、指も腕も痛いもん……
カノンが、クッキーをそれぞれの小皿に分けた。
「あ、わたし、いらないです、そんなの」
「どうして? 甘いの嫌い?」
「ええ、大っキライですね! こんなもん、のうのうと生きてるメスが食べるもんでしょ! メスガキがねっ!」
糖分不足だから、そんなイライラしてるんじゃないか……と指摘したかったけど、やめた。
またなんかグチグチ言われそうだし。
「じゃあ、好きなものは?」
「うな重ですかね!」
そう……とさすがのカノンも、それ以上追求しなかった。
カノンは話題を変えた。
「アオイちゃんは、吹奏楽部とかに入っているの?」
「吹部っ!? まさか! あんなメス共が支配する恐怖政治な帝国、入るわけないじゃないですかっ!」
「でも、サックス、テナーでしょ? それなりにすると思うけれど」
「高校入学記念に、買ってもらったんですよ。ロックやらに感化されて、少年漫画誌の裏に載っているギターを買う連中とは、違うのです」
と、アオイはなぜか、わたしに横目をやった。
……クソムカつくな、こいつ……
しかもわたしのギターは、そんな1万円ギターではないんだぞ。
中古だが、何度も楽器店に通って手にいれた、フェンダー製のジャガーである。一生使って、棺ひつぎまで入れてもらうつもりだ。
「でも、なんでサックスなのかしら?」
パリッ、とクッキーを口にしたカノンが、アオイに聞いた。
「そんなの決まってるじゃないですか! カッコいいからですっ!」
「見た目が?」
「見た目も、音も!」
……それってギターに憧れる中高生と同じじゃないですかね……?
とは言わなかったが、こう聞いた。
「え……でも、サックスって基本、誰かとやるものだよね?」
「なに言ってるんですか、ノゾミさん。サックスだろうがなんだろうが、楽器は1人でもできるもんなんですよ!」
因数分解ができない生徒を蔑む女教師みたいな目つきで、アオイはそう言った。
「逆にノゾミさん、あなたは軽音部とかバンドとかやってるんですか?」
「……いや、特には……」
「なぜです? そしたらセッションいくらでもできるじゃないですか」
「まあ……音楽性の違い、というか……」
はっ、とアオイは、アメリカ人みたいに大げさに両手を広げた。
「結局、マスターベーションじゃないですかっ!」
さすがにキレそうになったわたしは、席を乱暴に立った。ちょっとこいつに、ヤキを入れなくちゃならねぇ……
と思ったが、間を取るように、カノンがこんなことを言った。
「でも、いいじゃない、Masturbation でも。楽器演奏なんて、終局的には1人遊びなのだから」
マスターベーションのことを、Masturbation とネイティブ発音で聞いたことは、皆さんお有りだろうか?
わたしは無い。いま始めて聞いた。
……やはりカノンは、帰国子女か、ハーフかクォーターなのかもしれない……
「まあ、いいです。いずれにせよ、今この3人がいればセッションができますからね」
アオイは演奏場に戻って、サックスを手にした。
「2人とも、早くっ! 早く、演奏しましょうよ!」
彼女のその声と顔は、どこか嬉しそうで、公園で友達を見つけた少女のような顔をしていた。
オンセン!〜音楽で戦争は止められるか?〜 真木早希 @makisaki
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