第二十楽章♬ 「いつか消える灯に愛を」
♬
月明りと松明の炎に照らされ、煌びやかに光を反射するステージに向かい、俺達は一歩ずつ歩みを進める。
その足は力強く、お互いの靴が地を蹴る音で二人だけのリズムを奏でている。
右を見ると、覚悟を決め、引き締まった表情のネーシャがいた。先ほどの不安が混じる空気を感じさせないほどの集中力を見せるその顔に、村の仄かな光りが逆光となり、俺は思わず見惚れてしまう。
こちらの視線と観客の視線には欠片も気づいていない様子で、その熱に満ちた目は、真っすぐと前を向いていた。そんな姿に感化され、俺はもう一度ステージに向き直る。
小さな階段を踏みしめて壇上に上がると、聴衆に体を向けてそれぞれの立ち位置につく。立ち位置と言っても、観客から見て俺が右側、ネーシャが左側に立つということしか決めていないが。
周りを見る。村の人々がこちらに強い期待の目を向けているのが分かる……舞台やこの場にいる人数である程度雰囲気や盛り上がり様は想像つくが、これは想像以上に楽しみにされていたみたいだ。
左を見ると、固まって動かないネーシャがそこにいた。不安と緊張でたくさんなのだろう……登場の時はそんな様子はあまり見られなかったが、やっぱりここまでの視線を浴びせられるとそうなってもおかしくないか。それに今までのこともあるから余計にな。
少しフォローを入れ……ああ、その必要はなさそうだな…。俺が何か一言かけようと思った矢先、ネーシャの目に力が入り、光が差し込んだように輝きだした。
俺はネーシャのことを少し子供扱いしすぎたのかもしれないな。もう彼女は今までの後ろ向きな心ではなく、前を向こうとしている……過去に立ち向かおうとしている。
その大きな瞳を横目に、俺は笑みを浮かべ、自分も意識を集中させる。その間にアルデンさんが俺達の前に出てきて大きく手を広げる。
「皆さん今日はよく集まってくれましたあ!」
大きく軽快な声が響く。このコンサートの司会は、主催者でもあるアルデンさんが行うことになっている。敬語で話している姿に違和感はあるものの、明るくラフな声音だから堅苦しさを感じさせない振る舞いだ。
「トオル&ネーシャによるスペシャルコンサート!トオルはこの演奏終了後この村から旅立ちます、ラストパフォーマンスを是非楽しんでいってください!」
去り際に俺達にウインクをしながら、アルデンさんは舞台脇に消える。さっきまで目を輝かせていたネーシャは、その決意に満ちた顔が消え去ったような苦笑いを浮かべているが、緊張はある程度ほぐれたようでよかった。こんなところでそろそろ始めようか。
……バイオリンを構える。ネーシャの方も準備が完了したようだ。
お互いに強く目を合わせ、一人で演奏をするのではなく、パートナーとして二人でここに立っていることを実感する。心がざわつき、俺は柄にもなく興奮と期待の感情で震えていた。膨大の公演をこなしていくうちに、その一つ一つに対する期待の感情はある程度予測できるものになっていったが、こんな俺にもまだ震えるほどの熱があったとはな。
目を逸らし前に向き直る……そして、演奏が始まる。俺がネーシャを見ていなくても、そして彼女もまた俺を見なくても、一音目はぴったりと揃った。
♪
その音から、明らかに場の空気が変わったのを感じる。そして、何より俺達奏者の空気が変わった。
演奏を始めるまでは、あくまで男女、ただの二人組だったが、その瞬間何か別の生き物に変化したような感じ。なんと言うか、奏者としてステージに立っているだけでは不十分で、その一音が放たれた瞬間、本当の「奏者」になる感覚だ。
演奏が始まってからはあまり深く意識しすぎない。川を流れるせせらぎのように、空を漂う雲のように、ただ流れに身を任せていれば、自然と指が動き、体も気分も乗ってくるというものだ。
そして、その流れに乗るのは俺達だけでなく、観客も全員巻き添えにする。会場の全て、椅子や机、塵や光に至るまで全てを巻き込むのが本当の音楽、本当の表現だと俺は長年の経験からそう思う。「キレイ」「上手い」「素晴らしい」だけだと不十分で、こんな感情とともに音の乱気流に飲み込んで、そんな考えを持つ暇もなく一体化させることが出来れば一番だ。
会場はまさにそんな状態だった。「望郷の高楼」という場所ではなく、ここを取り巻く人、空気、環境の全てが包まれてもはや別の空間にいるようだ。
二人のバイオリンから奏でられる旋律、それは一応重奏に分類されるものであるが、基本同じパートで、ところどころ別のパートに分かれる形をとっている。美しいハーモニーを奏でていると思えば、次の瞬間には一つに重なり、そしてすぐ別々メロディーをなぞる。二匹の蝶が舞っているかのような音の動きに観客はすっかり意識が落ちた。
湖の時も感じたが、俺の音色は激しさと熱を帯びていて、ネーシャの音はどこか静かで奥深く優美。勿論、そう意識して弾いているわけではないので、個々が根底に持つ音の特性のようなものだ。普段の振る舞いとは違うこのギャップが本当に愛おしくてたまらない。
ネーシャを見ると、キラキラ光る目が熱く燃えているのが分かる……だが、実際の色はその真逆ともいえるのが面白い。俺はコンサート慣れしているから淡々と弾いているように見えるかもしれないが、ネーシャも俺の音が真逆に聴こえているのだろうか。
俺達は流れを崩さずに、されど顔は思う存分に場の空気を崩して演奏を続ける。観客はもうすっかり圧倒されていて、目の前に非現実的な現象が起きたのかのような顔をしていた。俺達もボルテージを上げ、気持ちテンポが速くなっていく。
そんな最中、「肌が触れ合っている」という感覚を覚えた。いや、勿論実際に触れているわけではないのは分かっている。だが、手を取り合ってダンスをしているわけでもなければ、手を重ねているわけでもないのに、そうしている時のような肌が触れ合う安心感と暖かさが俺を包んだ。
……なんだか懐かしいな、こんな気持ちはいつぶりだろう。ネーシャに頼まれて一緒に寝た時……あれとこれとは少し違うな。その時は優しさと慰めの意味合いが強く、今はどちらかというと相棒として背中を合わせているような、そんな力強さと安心感がある。
どちらにせよ、俺には人と肌が触れ合う経験などほとんどなかった。友達も配偶者もバイオリンをやる上で必要ないと思っていたし、家族は俺にとても愛情を注いでくれたから家族愛に飢えることもなかったのだ。逆に言えば子供の頃が最後だろうか、こんな気持ちは。でも、俺は今とても幸せな気分に溢れていて、この時間が終わらないでくれとまで思っている。……俺は心のどこかで、隣に人を必要としていたのかもしれない。
昔を懐かしんでいるうちに、曲が中盤まで進んだ。ここからはソロパートが入り、先ほどまで一本の川だったのが支流に分かれる。
まずはネーシャのソロが始まった。
高音を響かせ、空に伸びる絢爛なメロディーを奏でる。風になびくドレスも相まって、森の奥で佇む精霊を見ているかのようだ。練習をしている時に気づいたことだが、ネーシャは高い音が得意らしく、それを活かすためにこのようなソロパートにした。他の音が全く聴こえないこの空間で、一本のバイオリンが凛と響くのは、暗く険しい森に差し込む一本の光を彷彿とさせるものだった。
ネーシャの演奏に聞き惚れていると、すぐ俺のターンとなった。
さきほどの演奏とは打って変わって、低音を意識して力強くメロディーを奏でる。静かに流れている水の糸ではなく、荒れた海で激しく波打つ水面のような、不気味さも感じさせる音だ。単体でこの表現をしてもいいのだが、ネーシャの伸びるような優しい音の後にこれを持ってくることで、二つの音の対比となって、更にお互いの印象が強まる。これを狙っての構成だったのだが、効果は絶大だったみたいだ。観客はネーシャパートの時のうっとりした表情からガラッと変わり、張り詰めたような真剣な顔に変わっていた。
個人演奏も終わり、また二人パートに戻る。さきほどの対比と同じで、二人演奏からの一人、そしてまた二人に戻ることでバイオリンの音の交わりをより深く感じ、飽きさせないコンサートを意識した。
……そろそろか。演奏も佳境に入り会場の熱気も最高潮に達しようというところで、俺はネーシャに目線を送る。今回のコンサートには、ただ演奏するだけでなくもう一つのやることがあった。それは《メモライズ》の検証だ。
使用方法や条件は分からないが、俺との演奏によって発現したと思われるスキルだったため、とりあえず演奏中に《メモライズ》と言ってみようという話だったな。
音によって既に心が繋がっているネーシャにはすぐ伝わっていたようで、キリっとした顔になった。
(メモライズ)
声は聞こえないが口を動かすのが見える。さて、どうなるか……?
「っ!?」
スキルを唱え終わったその瞬間、ネーシャの顔色がどっと悪くなり、体がぐらっと傾いた。な、なんだ、どうしたんだ!? 俺は咄嗟に体を支えようと近づいたが、その前にネーシャは体勢を戻し、すぐさま観客に開き直る。
大丈夫なのか……? 顔を見る感じ演奏を続ける余裕はありそうだし、なにより「演奏をやめないでほしい」という意思が演奏から感じられたため、ラストスパートを突っ切ることに決める。演奏自体は続けていたため、一瞬の出来事ということもあり観客は気づいてない人がほとんどだった。
俺はネーシャの体調を気にしつつ音を響かせ、演奏家としての役割を全うする。それが彼女の願いであるならば、手は抜かない。最後の一音まで一緒に音を奏でよう。
開場のボルテージは最高潮に達し、演奏終了まで残りは数秒。流れる風と月明りに照らされて、二人の独壇場はいよいよ終わりを迎える。今はそれどころではないが、ネーシャとの演奏は本当に素晴らしいもので、いつまでも続けていたいと思うような幸せに包まれた時間だった。そんな時間はもうすぐ終幕となる。
コンサートを見ている一人一人が最高に楽しんでいる表情を見せるが、それと同時に終わりを惜しむような感情も見受けられた。バイオリニストとして、この二つの思いが交錯した表情を見るのはとても光栄なことであり、自分に誇りを持てる瞬間の一つだ。
残り数小節にかかったところで、テンポを徐々に遅らせる。正直終わり方を「盛り上がったテンションのまま一気にカッコよく締めるか」「静かに、落ち着いた感じでで締めるか」にするかはとても迷ったのだが、村の光が背景となり、月明りが差す高楼では後者の方がいいかなと二人で決めたのだ。
ゆっくりとなっていく中で、お互いの音が綺麗にハーモニーを奏で、この演奏の終わりを予感させる。
二本のバイオリンで別のメロディーを響かせ、リズムが重なったりズレたりして心地よい感覚を覚えた。
’
細く淡いピンクの光と、その後ろから追いかける紫の光が突き進む。
離れ、近づき、時に重なりながら交わる二本の稲妻はもうすぐ儚く消えてしまう。だが、それは物語の終わりではなく、また新しいストーリーの始まりとなる。
輝きが弱くなっても、強くなっても、二筋の光は歩みを止めない。
’
残り何小節、交差する二つは一音で重なる。
……閉幕だ。
♬
【MN】音楽は人を救わない feat.トオル&ネーシャ 音無メロディー @otonasi_melody_
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