第3話 政治と宗教の話をしてはならない理由
化学繊維のスーツが熱で溶け、神父の右手首が赤く腫れる。血が出ていれば舐めれば治るが、水膨れだとどうなのだろうか。確か水膨れは患部を冷やすためのものだった気がする。
「神父様……」
「何、イエスズ様は持ち出せたから、これくらい大丈夫さ」
おいたわしや、と、若い男が、右手首の薄い皮を破らないように口づける。怪我をした神父のために、と、用意された静かで小さい、比較的綺麗な服で作られた寝床の下はじめじめとしていて、このままここにいたなら感染症で死んでしまうだろう。
いや、もうなってるのかもしれない。金曜から日曜日までの2日間、飲食も出来ず、ここに1人でいたと言うから。
「さて、では、ミサをしようか。パンも葡萄酒もないが…」
「神父様、ご無理をなさらなくても…」
「ヨブの話を―――」
堪らず、男は神父に口付けた。神父が持ち出した、下半身だけが焼け残った十字架像が倒れる。
「神父さま、神父さま―――ジョン神父さま……!」
「……すまないね、ジェームズ。
若気の至りでは誤魔化せない、こんな淫らな男ではなく。
清らかで貞淑な、良きクリスチャンの娘を妻に。
「……もって、いってしまうのですか」
「ああ、もっていく」
「……では、思い出を遺していってください」
「―――。私は、もう死ぬ。それに気づかず更なる穢れを負うことはあるまい。」
「だから何だと言うのですか!」
男はそう言って、神父に覆い被さる。溶けて肌から剥がせない化学繊維は、まるで神父を包む聖骸布のようだった。
今にも、全身を脱がそうという男に、神父は首から下げた木製のロザリオをプツッとちぎる。
「私の意思で、これを……」
神と結婚したあの時、ローマ法王から授けられたロザリオの革紐は、所々焦げていた。その最も弱くなっていた部分がちぎれたのだ。
「このロザリオは……」
「辺りが、暗くなってきたね……君の首に、下げたあげよう。」
持ち上げるのも辛い神父の腕に少しでも負担をかけない為に、と、神父の左頬に口付け、何度も愛を囁く。できたよ、と言うので、首にかけられたロザリオを見せようと、体を少し持ち上げると、口付けていた時には無かったはずの涙がボロボロと落ちる。
「よく、似合っている。これからは、お前が、皆を導く神父だ。これは、その証明だ」
「神父さま……ッ!」
「……あとは、思い出をおいていけばいいかい?」
そう言われて、男は前を寛げて、神父の割り開いた両脚の隙間に入り込んだ。
その途端、ブッと堪えきれなかったものが、噴射した。
「ローマンお兄様、アウトー。」
✝
「あー! くそ! ダメだ、吹いちまった!!」
「なんとか神父の矛盾はクリアしましたのに、やはり自分にないものが唐突にあるとダメですか?」
「いや、分かってる、分かってる。このテの奴、というか、書いている時代? 世代は、そういうモノがあるんだよな。ファンタジーだから、矢追穴が。」
「やおい穴です。発音が違います。」
「それは良いんだけどさ…。」
だいぶ前にギブアップしたマーティンが、眼鏡の位置を整えながら言う。
「これ、結局「どっち」なの?」
そう、問題はここからなのだ。
「『スーツ』って書いてあるんだから、お前だろ。スーツの上から祭服なんか着れねえぞ、物理的に。」
「いや、『イエズスさま』って言ってるから、兄さんだよ。」
「『イエズス』は、ポルトガル語の日本語転移で、日本においては歴史用語だ。だけどこのキャラクター、明らかに名前がアメリカ人だ。なら尚の事、日本人が書くなら『イエス』になるはずだ。」
「でもクロス首にかけてるじゃん。僕らにそんな習慣はないよ。」
「それ、俺も気になったんだけど…。」
「これ、結局「どっち」だ???」
「多分クロスですわ。」
「だよな?」
そう言って、ローマンはひょいっと自分のロザリオを見せた。サビ付きくすみ、金のメッキは剥げて、彼の髪の毛のようになっている。
そしてそのロザリオを、自分の首に下げ―――ようとして、両手を合わせた。
「ナマステ〜。」
額の少し上のところに、十字架がてろてろと揺れる。
「…それがロザリオなの?」
「うん。祈りの道具だから、首から下げたりしない。」
「昔つけてたのは? というか、法王がつけてるのは?」
「一度も着けてない。あれ全部クロス。あと法王じゃなくて教皇だ。法王だと仏教だぞ。ローマ法王って言ってるのは日本だけだ。」
「でも兄さんたち、像とか好きじゃん。」
「確かに大事だけど、そんな聖堂が焼け落ちるような火事の中、あんなもの持ってかねぇよ。
「大事なの? モナカ。」
「モナカから変わったあと。」
「???」
「まあそれはいいとして、この受けが攻めに任命出来るってことは、やっぱり牧師じゃねえの、こいつ。牧師の任命権者は牧師だろ。」
「え、神父にないの? 叙階式は?」
「ねえよ? アレは
「でも『ミサをする』って書いてあるから、やっぱり兄さんじゃん。」
「ミサは「立てる」ものだ。「行う」のは礼拝だからお前の方だろ。」
「でも僕たち、パンも葡萄酒も使わないよ。」
「神父が説教するのは、基本的に福音書だ。旧約は殆ど使わない。」
「それはヨブの話がこれからの展開に大きく関わるからじゃない?」
「ヨブの「耐え忍ぶ信仰」の話をするなら、ヨブ記のようなバッドエンドじゃなく、天国の話だろ。山上の垂訓。」
「え、報われるじゃん、あの話。」
「あれ、後付けだっていうのは割と皆知ってるぞ。だって聞かれることが多いから。」
「だけど、
「あれ俺も不思議なんだけど、一体いつからソドミーになったんだ? ソドムとゴモラの記述には、聖書において性的不道徳とは一切書かれてない。何ならなんでオナンの話が猥談になったんだ? そこは寧ろ
「語源はまあ色々あるものだけど、でも兄さん罰則も作ってたじゃん。」
「エロ同人みたいなことを現実にする奴がいたんだから仕方ないだろ。」
「絶賛今掘りおこされてますわよね。」
「お前ん家なんて
「
「いや
結局、この「じぇむじょん」については、「詳しい人が読むと引っかかる」ということで、許容するしかない。
そしてそもそもなのだが。
「で、ベリーはなんでまた、こんなモノが売られているところに呼ばれたの。」
「『こんなモノ』は止めて下さいこの世のどんな紙幣よりも価値のある紙の束ですわ。」
「ベリー、気持ち分かる、分かるけどほら、こいつ18世紀未満だからさ、嗜んでいるお前とは違うから。な? 落ち着け。」
謝罪も出来ずハリネズミのように震えていると、同世紀に生まれた妹が、兄二人に、ぺらっと
「あー…。」
「よくない。これは実によくない。」
「表現の自由ですから、仕方ないことですので、それは良いのですの。」
「え、ベリーいいのこれ!?」
「マーティン落ち着け、この紙の極悪なところ、そこじゃない。」
ここだここ、と、ローマンはペーパーの隅っこを指さした。著者だろうか。なぜかアイコンではなく実映が使われている。
「これ、コスプレイヤーの写真とかじゃないの?」
「レイヤー名が書いてないし、名前とアカウントのローマ字が同じだ。更に職業まで載っている。おまけに沖縄在住だ。」
「ちょっと待ってよ。沖縄には確かにアメリカ生まれの弟がいるけど、だからといって沖縄県民ならそうとか言うのは早計だよ。」
「世界中から有明に人が来るんだぞ。どうしてわざわざ沖縄に住んでることを明かす? こういう頒布物があるのは、まあ実際こいつのやりたいことで、表現したいことだから、それも不自然じゃない。」
大真面目な顔で腐りきったSNSの罠について解説している兄に、腐りきった有明中心のSNSの界隈の話は絶対に出来ない、と、思った。
「不特定多数の人間が、金も出さず、ひょいひょいと拾っていく、そんなペーパーに、どうしてプライベート載せるんだ? いらないだろ、そもそもが。」
「そういうもんなの?」
そう言って、マーティンは自分や教会のフェイスブックを見せた。モザイクも何もなく、集会の時間や、場所、参加者や行事の説明が書かれている。
うん、そうだね。と、ローマンは心底嫌そうな顔をして、その画面をつついた。
「それ、未来形にしたらどうなる?」
「どうなるって、いろいろな人が来るけど? そのために載せてるんだよ。」
「そうだな。じゃあ、そこに本来の意味が書いてなかったら、結果はどうなる?」
「本来の…?」
「ファミレスなどで、日本の殿方はよくホイホイ騙されてますわね。」
「あと、友達とカフェに行ったら『紹介したい人』がいたとか。」
「………。あ。」
「そういうことです。」
「実によくない。」
「この場合
「止めとけ止めとけ、話がこじれる。」
「じゃあどうすれば止められる?」
「止めようがねえだろ。止めたらそれこそ、連中の言うところの『虐殺に加担する』ことだ。最近は国産レモンの不買運動が起こってて、泣きっ面に蜂だってイェールが言ってた。」
「なんですかその地獄絵図は…。」
なまじ
「目には目を、歯には歯を。壁に耳あり障子に目あり…。」
「ベリー?」
「知ってた。」
「
元ネタ知ってる奴、もうあそこにいないんじゃねえかな、と、ローマンは約20年前の支部のことを思い出していた。いやー、パロられたものだった。
Alleluia MOEluia BLuia!〜イテ・ミサ・エスト3 PAULA0125 @paula0125
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