ガラス少年

高黄森哉

ガラス少年


「ガラス少年を知っているかい」

「ガラス少年。カラスじゃなくてかい」


 団地の一室の扇風機は、ゆっくりとかぶりを振った。


「文字通りガラスの少年。いつも裏の公園にいるよ」

「面白そうだ。見に行ってくる」


 公園は団地の前にある。小さな滑り台と、小さな砂場があり、小さなベンチが隅っこに配されている。毎日、そのベンチに、例のガラス少年とやらが、遊ぶでもなく座っているのである。


「やあ、こんにちは。いつもここにいるそうだね。君は子供なのに、遊ばないのかい」


 子供は本当に透明で、向こうの景色が透けている。質感もガラスで、ハンマーでたたけば、粉々になってしまうだろう。表面にかすかに、日暮れ前の空が映り込んでいる。


「うん。いつも、ここにいて遊ばないでいるよ」

「そこら辺の奴らに、声をかければいいだろう」


 休日の昼間、ここらへんから子供の笑い声が聞こえる。ただし、夕方になると消えてしまう。親が、団地の住人に配慮しているのだろう。そして、そのころになると、どこかからガラス少年がやってきて、ベンチに座っている。


「うん。でも、みんな遠慮しちゃうんだ。だって僕ほら、ガラスだろう。ぶつかったら壊れちゃう、と思われているみたいなんだよね。親に怒られるのが嫌なんだろうし、なにより、人を壊しちゃった、というのは悲しいだろうからね」

「君は壊れやすくできているのかい」


 ガラスにもいろいろある。驚くほど割れやすい学校の窓や、鉄線の入る格子模様のガラスなどなど。


「今はね」


 遠くに蝉のが聞こえた。夏の夕方に歌い始める種類だ。公園の隅っこにある小さな木か、細い通りの前にある並木か、そこらへんにいるのだろう。


「ということは、昔はそうじゃなかった」

「うん。昔から透明だけど、今ほど、割れやすくはなかったよ」


 道にトラックが通り、なにかが軋む響きと、甘い排気ガスの匂いを残していった。いつか見たことのある光景だが、気のせいだろう。


「どうして、脆くなったのかな」

「それはお兄さんにとって、僕が脆く見えるからだよ」

「どういうことだ。つまり、君を決めるのは、君自身ではなく、君へ注がれる視線、といいたいのかい」


 砂場の砂は乾いていて、そこに生えている雑草も、干からびていた。小さな甲虫が公園を縦断しようと、タンポポの横を通り過ぎる。


「僕は脆く見える、だから誰も触れない。触れられない人間は脆くなっていく。脆くなった人間はだれかに触れられるのに耐えられない、とみんな考える。誰にも触れられない、脆くなっていく」


 団地が西日を遮り、影は公園へと手を伸ばし始める。影がはっきりすると、万物の輪郭ははっきりして、普段端数に数えられる、一つ一つの些末事でさえ、重大に思える。


「誰にも見られないと、人は透明になっていく」


 蝉が鳴くのをやめた。車の通行もぱったりと止まった。どこかでなっていた風鈴の音色も今は聞こえない。風が吹きやんだ。


「でも、だからどうすればいいんだ」

「ベンチに座るよりほかにないよ。だから、いつもこうしているのさ」

「それもそうだな」


 触れられないものをそのままに、そっと立ち上がる。それ以上の選択はあるだろうか。誰にも触れられない、脆くなっていく。

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ガラス少年 高黄森哉 @kamikawa2001

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