第114話 ジェット流しそうめん2


 それからアイリの魔法特訓が始まった。

 非常に強力な魔力を持つ彼女は、細かい制御が苦手であるらしい。

 結局その日は、大洪水を何度かやって終わりになってしまった。(なお、子供たちは水遊びができてとても喜んでいた)


 帰宅後、アウレリウスにその旨を話すと、彼は少し考えてから言った。


「では、私が魔力制御の手助けをしよう。アイリと私は魔力の質が似ている。同調させながら制御の方法を教えれば、うまくいくのではないか」


「やる! よろしくおねがいします!」


 と、アイリが言ったので、アウレリウスとユーリは吹き出した。

 早速、屋敷の中庭で練習が始まる。

 アウレリウスとアイリは向かい合って立った。アウレリウスが両手を伸ばして、アイリの肩に置く。


 魔力の素養のないユーリには分からないが、二人でやりとりをしているようだ。

 時折、二人の輪郭が淡い光に包まれる。

 瞳を閉じて向かい合う祖先と子孫は神秘的で、ユーリはつい見入ってしまう。


(もし、アウレリウスと私に子供ができたら。アイリみたいな子になるのかな)


 シロの毛並みを撫でながら、そんなことを考えていた。

 そうしてそれなりの時間が経過した後、アウレリウスが手を離して息を吐いた。


「アイリ。感覚は理解したか?」


「うーん。なんとなく」


 アイリはまだ自信がなさそうだ。


「では、これがちょうど満杯になるよう水を出してみろ」


 アウレリウスが合図すると、奴隷が鉢を持ってきた。昼間、流し素麺に使った桶と同じくらいの大きさである。


「うーんうーん、このくらい?」


 一度目。アイリは水をおもいっきりあふれさせた。

 口を尖らせる彼女の頭を、アウレリウスがぽんぽんと叩く。


 二度目。八分目くらいの水が出た。


「あら! いい感じじゃない?」


 思わずユーリは声を上げるが、アウレリウスが首を振る。集中を邪魔するなという意味であるらしい。


 そして三度目。

 今度こそきっちりと鉢一杯分の水が満たされる。


「やった……」


 アイリは鉢を覗き込み、ユーリとアウレリウスににっこりと笑いかけて。

 そのままパタリと倒れてしまった。







 アイリを寝室に運んでから、アウレリウスが言う。


「この子はその気になれば、カムロドゥヌム全体を水没させるほどの魔力を持っている。喩えるなら、向こうの川岸が見えない大河のようなものだ。それを逆に小さく絞って制御するのだから、相当に負担がかかったのだろう」


 ユーリは目を閉じたままのアイリの頬に触れて、ぎゅっと眉を寄せた。


「無理をさせてしまったのね。これ以上はやめたほうがいいかしら」


「いや。魔力制御は魔法使いであれば避けて通れぬ道。アイリがこれからも人間として生きていくのであれば、必ず習得しなければならない。今回は良い機会だった」


 人間として。魔物とヒトとの間に生きるアイリを思って、ユーリは目を伏せた。


「でもこの子は、こんなに小さいのよ。倒れてまですることじゃないでしょう。もっと時間を置いてからではだめなの?」


「……それを決めるのはきみではない。本人に聞いてみなければ、な」


 ユーリはゆっくりと幼子の髪を撫でる。黒曜石を絹糸にしたような、美しくてつややかな髪。

 そうしていればやがて、アイリはうっすらと目を開けた。


「ユーリ。アウレリウス。わたし、ちゃんとせいこうしたよ」


「ああ、そうだな。見事だった」


 アウレリウスの言葉に、アイリはぱあっと笑った。


「これで、ながしそうめんができるね!」


 アイリはどこまでも食い気が強い。ユーリは深刻な気持ちが和らぐのを感じた。

 アウレリウスが言う。


「流しそうめんとやらをやる日は、私も行こう。アイリが食べるときに水を流す者が必要だからな」


「うん!」


 アイリは嬉しそうに返事をして、すぐにとろとろと眠り始めた。やはり疲労が強かったのだろう。

 そんな彼女を囲んで、ユーリとアウレリウスは幼子の健やかな未来を願ってやまなかった。







 そうしてやって来た、流しそうめん当日。

 またしてもカレー食堂は人でいっぱいになっていた。

 建物の前に設置された木の装置を、みなが物珍しそうに眺めている。

 夏の太陽は元気に輝いていて、絶好の流しそうめん日和だった。


「さあ皆さん! そうめんの食べ方は分かりましたね。水と一緒に流れてくるから、フォークですくって、つゆにつけて食べてくださいね!」


 ユーリが声を張り上げる。

 客たちにはフォーク(さすがに箸は無理があった)とめんつゆの容器が配られて、おのおのくり抜かれた木のそばに行く。


「じゅんびおっけー? いっくよー!」


 やる気に満ちたアイリが、木箱の上で手を振っている。すぐそばにはアウレリウスがいる。

 アイリは真剣な顔で手をかざした。すると適量の水が吹き出て流れていったので、ファルトがそうめんを流した。


「おっ、きたぞ」


「意外に流れが早いな! すくえなかった」


 器用にすくう客もいれば、逃してしまって困っている客もいる。


「次が来ますし、下の桶のを食べてもいいですから。慌てずに」


 ユーリの声かけにうなずいて、客たちはそれぞれのペースで流しそうめんを楽しみ始めた。


「冷たくて、うまい!」


「新鮮なお水と一緒にいただくの、心まで涼しくなるわ」


「俺、うどんもそうめんも気に入ったよ。つるっとしてさ」


「ほんと、夏にぴったりよねえ」


 客たちは大満足だ。

 一通り食べて入れ替わったとき、アイリも水係をアウレリウスと交代した。


「わたしもたべるの!」


 ウキウキとフォークを構えるアイリに、ユーリはめんつゆを渡してやる。


「アイリは頑張ったからね。お腹いっぱい食べて?」


「うん!」


 アイリはさすが元日本人。フォークでくるくるとそうめんを絡め取って、上手に食べている。


「おいしー!」


 口いっぱいに頬張ったそうめんを飲み好んで、アイリが叫んだ。

 その様子に周囲から笑い声が起こる。

 アイリはちょっと照れた顔をして、またそうめんを食べ始めた。


 その後はカレー食堂の子供たちも交代で食べて、大盛況のうちに流しそうめん大会は終了となった。

 せっかく木の用具も作ったし、まだ夏は続くしとうわけで、もう二、三回はやろうという話になる。


 こうしてカムロドゥヌムの名物に、流しそうめんも加わった。

 今年の夏が終わっても、来年もまた続いていくことだろう。


 これもまた、ユーリとアイリが変えた小さな出来事だった。


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【完結】アラサーOLの異世界就職記 灰猫さんきち @AshNeko

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