真新しい靴がステップ

尾八原ジュージ

春の夜

 この国じゃ昔は、春といえばウカレネズミの季節だった。

 四月になると山の雪がようやく溶けて、巣穴からウカレネズミが顔を出す。それを猟師がとって、街まで売りに来るんだ。

 おれのじいさんは腕のいい靴職人で、特にウカレネズミの加工じゃ街いちばんの腕前だった。ウカレネズミを丸ごと買って、自分で解体して革をとり、靴にするんだ。

 ウカレネズミの靴は見た目もいいし、独特の風合いがある。おまけに履くと足に吸い付くようで、羽根のように軽くって、まるで何も履いていないみたいなんだ。

 でも加工は難しい。革がどんどん縮むから、それを計算しながら靴にしなきゃならない。腕のよくない職人は、先に革を十分縮めてから靴を作るんだが、それじゃ羽根のような履き心地にはならない。

 じいさんはその点偉かった。刻一刻と縮む革と格闘しながら、それ自体芸術品みたいな靴を何足も拵えた。靴が出来上がった時点でも、まだ革が縮み切っていない。だから靴が革の動きにつられて踊るんだ。本当だよ。コットトン、コットトンって独特のステップを踏むんだ。

 あの音はもうアーカイブでしか聞けない。国立博物館へ行ってごらん。あそこのアーカイブの音は、実はじいさんの靴の音を録ったんだ。


 そう、もうウカレネズミの靴が新しく作られることは、おそらくない。

 なにせやつら、ずいぶん減ってしまったからね。法律で狩猟や売買が禁止されたんだ。もちろん革を加工したり、その加工品を買ったりするのもご法度だ。厳しく罰せられることになる。だから今市場に出回ってるウカレネズミの靴ったら、とんでもない値段さ。

 ウカレネズミが獲れなくなって、じいさんはずいぶん落胆した。なにせウカレネズミといえばこの職人と言われたほどの男だからね、とんでもない時間と労力とを、その靴を作るのに費やしてきた。ウカレネズミの靴は、じいさんの職人人生そのものだったと言ってもいいだろう。

 おれはその頃十五かそこらで、いちおう弟子としてじいさんの工房に出入りしていた。だからその落ち込みっぷりを間近で見ていたわけなんだけど、えらいものだったよ。何しろ、手元にあるウカレネズミの靴を全部うっぱらってしまった。見ているのも辛いというんでね……いや、あれが今手元にありゃ、おれは今頃大金持ちなんだが。ははは、残念だね。

 おれは今、じいさんの工房を継いでてね。一応そこの主としてやっているわけなんだけど、とてもとても。じいさんの足元には及びもしない。ウカレネズミを躍らせることもできなかったしね。もっと幼いころはじいさんに言われたもんだ。ウカレネズミを躍らせたら一人前の職人だってね。

 だからおれはもう、永久にそういう職人にはなれないんだ。


 ウカレネズミ猟が禁じられて、一年ほどした頃だったか。

 夜中に目が覚めて起きてみると、店の方が明るいんだ。こっそり覗くと、じいさんが知らない男と話していた。薄暗くした灯りの下で、じいさんの目が薄気味わるいくらいぎらぎら光って見えたよ。

 男の正体は知らない。だがおれは見たよ。

 男は作業机の上に、どすんと丸まっちい固まりを置いた。そいつはウカレネズミのつがいだった。むろんもう死んでいる。これを靴にしてくれ、とその男は頼みにきたのだ。

 おれは物陰から見守りながら、手に汗握ったね。これがばれてみろ、大変なことになるじゃないか。

 男は五分もしないうちに出て行った。ウカレネズミの死体を残してね。じいさんは、ウカレネズミの注文を受けて断ることができるような職人じゃなかった。

 靴は二日ほどで完成した。おれがウカレネズミのステップを聞いたのはそのときが最後だ。コットトン、コットトンってバカバカしいくらい陽気なステップだよ。それが止まないうちに、靴は注文主のところへ渡ったらしい。おれは何もかも見ていたが、じいさんには何も言わなかったし、じいさんも何も話さなかった。お互いを空気みたいに扱っていた、おかしな二日間だったよ。

 それからじいさんは呆けたようにぼーっとしてたんだが、靴を客に渡した翌々日、ばったり倒れてそのまんま死んだ。頭の血管が切れたんだね。あんまり張りつめて仕事をしたうえに、犯罪に手を染めたことへの恐怖もあったんだろう。

 おれの手元には大金が残った。例の男がじいさんに支払った、靴の代金だよ。おれはそいつを、匿名でぜんぶ博物館へ寄付してしまった。持っているのが怖ろしかったんだ。一気に貧乏になったが、まぁ、工房のおかげでなんとかやってる。こうやって夜、仕事を終えて酒を飲みにこられるくらいには。

 もうウカレネズミの踊りはこの国の春の風物詩じゃない。聞くならアーカイブだ。博物館に行きな。そこに一番いいステップが残ってる。

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真新しい靴がステップ 尾八原ジュージ @zi-yon

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