後編

 そうして、後日、俺たちはガイを連れて町を出た。行き先は付近に広がる深緑の森だ。


「悪いな。まだ正式にパーティ加入を決めていないのに野暮用に付き合わせちまって」


 俺はガイと並んで獣道を歩いていた。ビフとバーニャは静かに後ろを歩いている。


「いいんですよ。僕にお手伝いできることがあれば喜んで」

「どうしてもエルフと交渉する必要があってな。人間の俺たちだけじゃ心許ない。ここはエルフのお前を頼りたいってことだ」


 ガイの肩を優しく叩くと、ガイは頼もしい笑みを口元に浮かべた。


 深緑の森にはエルフが住んでいる。伝統的に他種族社会と隔絶した生活を好むエルフの中でも、この森のエルフたちは特に閉鎖的で、森の深部に他種族が足を踏み入れることを極端に嫌う。森に来た人間は門前払いが当たり前だ。しかし、ガイが本当にエルフの心を持っているのなら、もしかすると交渉がうまくいく可能性が万にひとつあるかもしれない。


 突然、風もないのに木々がざわめき、緑の匂いが強くなった。はっと周りを見回した後、再び前に目を向けると、そこにあった細い獣道が鬱蒼と茂った背の高い草とねじくれて伸びた大木の枝に塞がれていた。

 エルフがこれ以上の進入を阻止したのだ。


「ここから先は遠慮してもらおうか」


 声のする方を見上げると、大木の枝に腰をかけた長髪のエルフが弓と矢を弄びながらこちらを見下ろしている。こちらの態度次第によっては、すかさずあの矢を番えるつもりだ。

 俺は敵意がないことを示すように両手を挙げて、後ろのふたりに目配せをした。ふたりも俺に倣うように両手を挙げる。


「あー……実はこの先にどうしても錬金術に必要な野草があって」


 エルフは俺が言い終わる前に口を挟んだ。


「去れ。この先は我らの領域。人間が足を踏み入れることは許さん」

「ああ、そうかい。そうだよな。あんたらは部外者を嫌う。それは知ってるよ。だから、せめてこいつだけでも中に通してやってくれ」


 俺はそう言うと、ガイの背中をそっと押した。エルフは怪訝そうに眉を潜めてそれを見ている。


「頼むぞ、ガイ」


 ガイは少し戸惑うような表情を浮かべたが、責任感を感じさせる頷きを見せてくれた。


「えーっと、まずはその矢と弓をしまって下さい。僕はあなたたちの仲間です」


 ガイは両手を広げた。


「仲間? なんだお前は?」

「そうですね。奇妙に感じるでしょう。ですが、僕はあなたたちの仲間なんです。なんというか、潜在的に、ですね。そう、僕は確かに見た目は人間ですが、心はエルフ、つまり、あなたたちと同じなんです」


 ガイは自分の胸を二度優しく叩いた。エルフは表情を変えない。そして無言だった。エルフは人間よりも感情表現が淡泊だ。何を考えているのかよくわからない。だが、ガイに対して印象を好転させたような雰囲気がまったくないのだけは伝わった。


 身を切るような痛い沈黙が流れ、エルフの言葉を聞くまで我慢できなかったガイが、さらに言葉を続けた。


「僕は生まれた種族と自認する種族が一致してないんです。これまで生きてきてずっと人間でいることに違和感がありました。しかし、あるとき気づいたんです。ああ、僕はエルフだったんだと。そのとき、なにかすべてがストンと腑に落ちたんです。僕は人間として生まれてしまったエルフです」


 エルフはじっとガイを見下ろしている。


「……わかりますか?」

「わからんね」


 エルフは弓と矢を重ねた。


「ま、待て! 本当なんだ! ガイはあんたらを怒らせようとして言ってるんじゃない! こいつは本当にエルフを自認しているんだ」


 俺は思わず声を上げた。エルフの凍てつくような冷ややかな目が矢より先に俺を射抜く。


「だからなんだと言うんだ。そんな妄言を我らに信じろと言うのか?」

「まぁ、そうだと嬉しい、かな」


 俺は曖昧に笑った。人間でさえこの種族自認というのは受け入れるのが難しいというのに、保守的で排他的なエルフが簡単に受け入れるわけがなかった。ましてや俺たちは彼らの聖域へ踏み込もうとしているのだ。我ながらこんな無理難題が通るわけがない。無論、そんなことは最初から百も承知だった。


 ちらりとパーティのメンバーを見ると、ビフは両腕を上げたまま銅像のように不動で極力関わろうとしていない。バーニャはすでに何歩も後ろに下がっていて、矢の標的になるのを可能な限り回避しようとしている。


「おかしいな、ガイ。エルフのはずのおまえを、あいつらは受け入れようとしないぞ。どういうことなんだ」


 俺が言うとガイは困ったように苦笑した。


「確かに僕がエルフであることを証明することは難しい。これはあくまで自認の話なので、相手に対して言葉を尽くして信じてもらう他ない。彼らがそもそも種族自認という問題を受け入れなければ始まりません」

「じゃあ、お手上げなのか?」

「彼らが柔軟な考え方に変わってくれればいいのですが」

「柔軟な考え方?」


 上からエルフの声が降った。さすが耳が長いだけあってその聴覚は目を見張るものがある。俺たちのコソコソ話をしっかりと捕えていた。


「ひとつ、聞かせてくれ。人間」

「なんでしょう?」


 凍り付くような辛辣さを増したエルフの態度にも、ガイは怯まずに声を返した。


「おまえの家に山のような体をしたオークがやって来たとする。おまえの家には家族がいる。両親か、あるいは妻と子供かもしれない。そのオークは、見た目はオークだが、心は人間だと言う。おまえは家に入れるか?」

「……ええ。もちろん、そのオークの心が人間のものであるならば」

「そうか。そのオークが人間であるかどうかを判断できるのは、オーク自身の言葉以外にはない。いかに心は人間だと言っても万が一それが嘘である可能性も捨てきれない。万にひとつだ。しかし、その万にひとつはお前の家族に降りかかるものなのかもしれない。それでも、お前はオークを家に入れるか?」


 ガイが押し黙った。


「いいか。今、私は万にひとつと言ったが、我らにとってお前の言葉は万にひとつなんて可能性の低いものではない。ほぼ完全に信じられない。我らが聖域に踏み込みたいが故に思いついた稚拙な浅知恵としか思えんのだよ」


 エルフはついに弓の弦を引いた。


「疾く去れ。さもなくば森の木々の糧にしてくれる」


 どうやらこの辺りが限界だ。俺はガイの肩を叩いて踵を返した。ガイは申し訳なさそうに俺に頭を下げた。ビフとバーニャの姿はすでに小さくなっていた。




「力になれず申し訳ありませんでした」


 町への帰り道でガイは謝罪しきりだった。


「まぁ、無理難題を吹っ掛けた俺が悪かったんだよ。気にするな」


 俺はガイのガクリと落ちた肩を優しく叩く。


「それにしたって、エルフたちだってあんな態度はないよな。こっちは理解してもらおうと思って誠心誠意を尽くして説明してるっていうのに、矢は向けるわ、脅迫はするわでさ」


 ガイは静かにうなずいた。


「そもそも狭量すぎるんだよ。俺は思うよ。なにが保守的だってな。心が狭いだけじゃねーか。森だって自分たちのもんみたいにしやがって。本来なら誰のものでもねーだろ。俺たちだったらエルフが町に来たら快く迎えておもてなしするわって話だ。ガイも言ってたけど、柔軟な思考がないよ。結局は頭の固い頑固な年寄り連中なんだよ。長く生きてるってだけで偉そうだしよ。世界の老害だな。まったく」


 俺がとめどなく悪態を吐くと、ガイはふっと鼻で笑った。


「僕のために怒ってくれてありがとうございます。僕もエルフは伝統を重んじるだけでなく、新しい考え方を身につけるべきだと思いますよ」


 俺は微笑んでガイの肩に手を回した。


「ところで、僕のパーティ加入の件は、いつ最終的な判断をしてくれるんです?」


 ガイが話題を変えると、前を歩いていたビフがさっと振り返った。


「ああ。それだけどな。悪いが、お前のパーティ加入はナシってことにしてくれ」


 ガイの足が止まった。


「まさか、今日のエルフとの交渉がうまくいかなかったからですか?」


 ビフはかぶりを振った。


「いや、それは関係ない。総合的判断だ。すまんな。だが、お前は優秀な魔術師だ。きっとお前を必要とするパーティが他にあるだろう。俺たちはお前の前途を心から応援している」

「頑張って、ガイ」


 バーニャがガイの手を取って白々しく固い握手を交わす。


「じゃあ、俺たちはこっちだから。じゃあな」


 そこは偶然にも分かれ道だった。同時に俺たちとガイとの分かれ道でもある。俺たちはおのおの別れの言葉を告げて去った。


「やれやれだったな、ブラット」

「ああ。でも、しゃーない」


 俺はわずか数分前のことを思い出す。


「あいつ、俺がエルフの悪態を吐きまくってもひとっつも怒らなかったぜ。嫌な顔もしなかった。種族自認がエルフだって言うなら、同族の悪口を許してほしくはなかったな」

「結局、そういうところで判断するしかないよね」


 バーニャが面倒臭そうに息を吐く。


「だがまぁ、それでも俺はあいつが実際にエルフの心を持っている可能性は、完全に捨てずにはいようと思う」


 ビフは笑った。


「そうだな。万が一にも実際にエルフなのかも知れない」


 俺はうなずいた。




 そういうわけで、俺たちの臨時魔術師探しは次の候補者へ移った。三人の候補者の中では一番地味だったやつだが、普通が一番いいのかもしれない。普通の定義はさておきだ。


「えーっと、マッサマンだな。王都出身か」


 ビフが対面に座ったメンバー候補のマッサマンにちらりと視線を上げる。


「人間だな」


 先日、ガイの件があったばかりだ。普段なら確かめそうもないことをビフは確認した。


「あー、すみません」


 しかし、マッサマンは苦笑交じりに答えた。


「私は種族に関してはノンバイナリーを自認しています」

「は?」


 すかさずバーニャが鋭い雰囲気を醸し出した。


「つまり、人間か、あるいはそうでないかという特定の種族の枠組みには当てはまらないということです」


 俺たちはさすがに閉口した。ガイのときも驚いたが、あいつは少なからずエルフを自認していた。こいつは自分の種族すら特定していない。これはさらにその上を行くだろう。

 俺は酒場の窓に目をやった。なんて澄んだ青空なんだ。


「ですから、私の種族は人間を含む亜人種ヒューマノイドということにして下さい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の種族自認はエルフです 三宅 蘭二朗 @michelangelo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ