第5話「人生のスクランブル交差点」 三堂地君を偲ぶ

「ボクたち高校生じゃありません」


  故人を思い出してあげることこそ、最高の供養であると思います。

4年間、ただの一度も練習をサボることなく、一年生のときでさえ、苦しい、辞めたいと口にすることなく、4年生のときには練習や試合以外にも、主務として大学や学連との対外交渉でクラブの運営を支えてくれた仲間。

  私たちはいま目の前で、練習し試合で戦い選手のために働く多くの学生たちのなかに「彼」を見るにつけ、過去と現在がつながるのを感じることができる。


  死んでしまったものはもはや、この現世に帰って来ることはないのだから。

  しかし、肉体が亡んでも思い出は生き残る。

  現役の学生たちの元気な姿を見ることで、私たちは過去の出来事を通じて彼の魂と一体化できるにちがいない。

  心の中で魂の酒を酌み交わすことで、人は安らかに眠ることができるのでしょう。


「ある晴れた日に」


春の日差し

うぐいすの声

ポカポカ陽気

通行人もみなウキウキしたような



  毎年四月は、新入生勧誘の季節です。

  1977年(昭和52年)から、文系の新入生は2年間、朝霞にある新校舎で授業を受けることになった為、オリエンテーション期間(新入生勧誘)中、前年に入学した私たち2年生は、池袋から東武東上線に乗り朝霞台まで何度か通いました。桜の花びらが残る新校舎の屋上で、ぽかぽかした陽射しを浴びながらフレッシュマンたちに教えるのは、いい気晴らしにもなったのです。


  当時2年生であった私たち七人(私はダブったので1年生ですが、入学したのは前年でしたので、白山で授業を受けることができた)は、白山校舎へ帰る際、池袋で途中下車し、お茶を飲んだり昼飯を食ったりしたこともありました。

  これは、そんなある日の出来事です。


池袋駅東口の地下道から出た学ラン姿の私たちは、桜井と原以外、早速たばこを吸いはじめます(当時はいい時代だったのです)。

交差点の向こうに見えるマック(今では全く食べなくなりました)を目指したのですが、スクランブル交差点を渡りきったところで、埼玉の牛飼いペーターこと原が、私たちの群れからはぐれた三堂地を一番に発見します。


「あれ、三堂地と小山が(交差点の)向こうで誰かと立ち話してるよ。」


  黒澤明の映画「羅生門」とは、ある殺人事件の目撃者4人が、ひとつの事実に対してそれぞれが全く異なるストーリーを語るという話です。

  この「事件」現場でも、それを目撃した人間たちは、それぞれが違う「事実」を語ります。


「落とし物でも拾ってあげたのかな」原。

「相手はアベックやで。ラブホテルの場所を聞かれとるんやないか」小松

「変な勧誘にひっかかってるんでないの。(彼の通った予備校のある)高田馬場の駅前は多いんだよ」杉山

「あのトラッド風の女に三ちゃんがちょっかい出したら、男連れだった(笑)。そんなんちゃうの ?」桜井

「カツアゲ(恐喝)か。高校生じゃあるまいし・・・(笑)」と私


「なんや知らんけど、早うメシ食うて(学校に)戻らんと、4限に間に合わへん」と、ぼやく桜井。


  しかし、誰も交差点を引き返そうとはしません。

いくら同期だ友情だのいっても、人間いったん自分が安全圏にたどり着けば、あとから遅れて来る者のところまで戻るのが億劫なのか、薄情なのか。

自分さえ彼岸にいければ、ジジババが三途の川を渡れなくても気にしない、という坊主のようです。

  といっても、無数の亡者が地獄の血の池で苦しみ呻いているのに、極楽でうまいものを食い、昼寝をし、暇つぶしに地獄を覗くのが日課というのが、かのお釈迦様だというのですから、困った人を憐れんでも身を挺して助ようとしない人(の罪)を、いったい誰が非難できるでしょうか(芥川龍之介「蜘蛛の糸」)。


しかたなくというよりも、野次馬根性だけは歌舞伎の河内山宗俊ばりの私が、点滅し始めた交差点を足早にわたり、歩道で向き合って立つ彼らに近づきます。

そして、冗談口調で「お前ら、高校生じゃあるまいし、カツ・・・」と言いかけると、 

「僕たち高校生じゃありません」と、目を三角にしてキッパリ宣言する三堂地。

(胸中わたしは「お、おう、それはわかってるぜ」なんて呟きました)。

そこで三堂地が学ランの内ポケットから出したのは、まぎれもない、たいして自慢にもならない我らが東洋大学の学生証。

スーツの男性は、思いっきり顔を近づけて凝視すること3秒、「や、これは失礼」と敬礼をして、二人で立ち去っていきました。

  「なんだい、ありゃ」とあきれる私。

三堂地の後ろで声を出さずに大笑いしている小山。

「まったく、失礼しちゃうよ」と、憮然とした顔の三堂地。


そうです。二人の男女は警察の補導員で、くわえ煙草で歩く童顔の三堂地を高校生と間違えて呼び止めた、というわけです。


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遅めの昼食を取るために入ったハンバーガー屋。その交差点を見下ろす席で。

「オレも予備校の前で、創価や勝共(統一教会)・キャッチセールスに、よく声をかけられたわけよ」と、成績がよかったがゆえに多くの選択肢をかかえ、「的確な相手が見つからず、ボールを持ったまま潰されたクオーターバック」の如く、2年間の予備校生活でベストの選択ができなかった杉山。

  「なんや、お前を早稲田に行かせてくれんかった予備校か?」と、突っ込む桜井


  「失礼と言うくらいなら、タバコの2・3本置いてけよ」と、憤懣やる方ない三堂地。


  「ボンタンはいとるくせに髪を7・3なんぞに分けとるから、若く見られるんや。」

  「日大の加藤みたいに、ツルツルのタコ坊主にちょびひげ生やし、雨も降らんに長靴履いて気合い見せるくらい、やらな」と、自身も「頭は東洋の青田赤道」と呼ばれる小松。


  「まあ、警察っつう所はよ、なんでも疑ってかかるもんなんだよ」と、三堂地の傍で一部始終を見ていた小山。


「あそこで出した学生証が東京大学だったら、ちっとはカッコよかったかもな。水戸黄門の印籠みたいでよ。」と私。

「東大の学生証なら、『失礼』じゃなくて土下座したかもよ。警察や税務署の署長っていうのは、みんな東大なんだろう」と原。

<人生のスクランブル交差点>


  日本拳法のルールでもなく、学校の校則でも会社の社則でもない。

  赤の他人同士が、信号という公共の規則によって、一斉に停まったり前へ進んだりする社会。

  どんなに急いでいても、信号が赤になれば立ち停まらなければならないし、逆に、渡りたくなくても人の波に押されて渡らざるを得ないこともある。安全のためのシステムは、自由な人間の心を少しばかり窮屈にする。


  そして、「袖すり遇うも何かの縁」とは、良いことばかりではない。人間はどんなときに、どんなところで「犯罪者」にされるかもしれない。社会に生きるとは、そういうリスクもある。そういうリスクの方が大きいのが現代なのかもしれません。

  「高校生」に間違われた大学生なら笑えるが、これがもし「殺人犯」だったら。

  そう考えると、ヒッチコックのサスペンス映画の数々が思い出され、40年前の思い出という懐かしいぬくもりの裏に、少しばかり背筋の寒さを覚えたのでした。

オリジナル作成日: 2014年5月23日(金) 14時08分


2024年5月3日

V.4.1

平栗雅人

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春になれば思い出す V.4.1 @MasatoHiraguri

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