第4話 新入生歓迎コンパ 新になるには旧を捨てる

  山手線一周大会と同じ頃、私たち日本拳法部の新歓は、池袋駅の近くの「池袋温泉」という宴会場で行なわれました。温泉といっても大浴場があるわけではなく、4階建てのビルすべてが大小の宴会場でした。


50畳くらいの宴会場に数十名のOBが座り、約2時間、6畳間ほどの一段高い舞台で7名の新入生全員で自己紹介し、その後は交替で歌を歌う。うまく歌うのではなく、とにかくバカでかい声で思いっきり歌いまくることが要求されました。歌わない時はOBの席を回ってお酌するというか、ガンガン飲まされる。つがれた酒やビールは必ず飲み干す。

私や原のような酒の弱い者は、一杯飲まされる度に「押忍、失礼します。」といってトイレへ駆け込み再び酒席へ戻る、を繰り返していました。

俗に、急性アルコール中毒というのは、吐くのを嫌い体内に酒をため込んでいるから「中毒」になるのです。私は台湾で消防士たち30名ほどと酒(ビール)を飲み交わし、2時間のあいだ、一方的にビールを飲まされ続けましたが、(記憶にあるだけで)30回ほどトイレへ行き吐いたので、無事でした。

かつての商船大学(2003年から東京海洋大学)では、酔っ払うと校庭を走らせ、汗をかいてアルコールを出してしまうというやり方でしたが、数年に一回くらいの割で亡くなっていたので、あまりいい方法ではありません。恥も外聞もなく吐くのが一番だと思います(まあ、バカみたいに飲むのがバカなんですが)。

現在の新入生歓迎会というのは、新入生が歴代OBの話を聞くことで日本拳法(部)の理解を深めるのが目的なのでしょうが、数十年前の、少なくとも私たちの歓迎会とは「過去の自分を捨てさせる儀式」でした。当時の日本拳法部の学生もOBもそこまで考えていたわけではありません。今にして、私が(自分なりに都合よく)考えたことなのですが。

「新入生」になるには「古い自分を捨てる」必要がある。

「古い革袋に新しき酒」「故きを温ねて新しきを知る」とはいえども、先ずは自分という人間を一旦、ニュートラル・虚心坦懐(心に何のわだかまりもなく、さっぱりして平らな心)にする必要がある。古い殻を脱ぎ捨てるからこそ、新入生になれる。自分の過去のスタイルを引きずっていたら、真の新入生にはなれないのですから。

そして、真の新人として古い革袋(伝統ある各校の日本拳法部とか、就職した会社)に入り、温故知新するべき、というのが私の考えです。

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 21時に宴会が終わると、新入生全員ベロベロでしたので、池袋に下宿住まいの桜井や杉山、小山以外の4人は、巣鴨の地蔵通りにある生川・松原・下田先輩の下宿(アパート)に泊めてもらうことになりました。

  

<人力車>

酒の弱い私と原は、すぐにトイレに駆け込んでいたので比較的軽症でしたが、酒に強い小松は逆に重症でした。

  で、私と原がタクシーを呼ぶために、先に玄関を出たのですが、客待ちをしていたタクシーに向かって原は、なんと「車屋さーん(明治時代の人力車)」と叫ぶのです。

私は江戸っ子(両親とも3代続いた東京人)とはいえ、3歳の時から八丈島や大島、小笠原と、父の転勤でジャングルみたいなところばかりに住んできたので、埼玉県人を田舎者と揶揄する(からかう)ことなどできないのですが、あの時ばかりは「いつの時代の人間なんだ。」と思いました。

<小松、タクシーの窓からゲロを吐く>

7人が2台のタクシーに分乗して約15分ほど走ったのですが、私の隣に座る小松は、タクシーに乗車した時からウーウーうなっています。そして、護国寺の辺りで「ああ、もうあかん」なんて言うので、私の隣でゲロをぶちまけられたら困ると思った私は、とっさに小松の側の窓を開け、彼の上半身を外へ押し出しました。その途端、彼はゲーゲーやり始めたのですが、そのゲロが後続の生川先輩たちのタクシーに降りかかり、運転手は晴れているのにワイパー全開にして、小松のゲロを振り払っていました。

私は私で、酒気のせいでハイになり、運転手に向かって「かまわないから、信号なんか無視しろ!」とか「歩行者なんかひき殺せ!」なんて大声で叫んでいたのですが、しばらくすると、中年の気の弱そうな運転手さんが後ろを振り返り、「旦那さん、勘弁して下さいよ。その気になっちゃいますから」なんて言われ、助手席に座る松原先輩も「静かにせんか、このバカ!」なんて(笑って)言っている内に到着しました。

山手線一周大会も新入生歓迎会にしても、今になって考えてみれば、私にとっては(一時的な)過去への訣別でした。

それから5年後、なんとか卒業した私は、4月からの3ヶ月間、(ビジネスマンとしての)新入社員研修を受けたのですが、学生時代の「過去との訣別体験」のおかげで、30名の新入社員中、真っ先にビジネスマンになれました。

5つのチームに分かれて競争する、という形式の研修だったのですが、私たちのチームが優勝、最優秀賞は私でした。最後の仕上げに行なわれた3日間の山名湖湖畔での合宿でも私と私のチームが優勝しました。

私一人が、完全にバカになり切り、その場・その相手との駆け引きに真剣にのめり込めたからです。

たとえば、研修期間中は、様々なビジネス場面を想定したロールプレーイング(role playing ある場面を設定し、定められた役割を演じる)や、街頭に出てのアンケート調査、コンピューター・メーカーとタイアップしてマーケティングの実践演習、なんてことをやらされたのですが、どんな時でも私は、恥ずかしがったり臆したりすることなく、積極的にその役になり切れました。

小賢(こざか)しいことなど考えず、とにかくバカになって、その場・その人たち・その社会・その世界に順応する。順応するだけではなく、積極的に発言し自主的に行動する。

山手線一周も新歓も、酒の力を借りてバカになったのですが、その「ノリ」をそのまま社会人の入り口で(シラフで)発揮し、第一歩をうまく踏み出せたというか、テイクオフできたのです。

禅寺の坊主が15年、或いは40年坊主をやっているから本物かといえば、そうでもない。ただ、坊主という殻をかぶって飯を食ってきただけであれば、中身は磨かれていないのですから。

そんな、見かけだけの偽モノをたくさん見てきた私にとって、2023年11月26日の全日(府立)で、爆声を発して後輩を鼓舞していた女性の声に、私は再び目覚めさせられました。自分のバカ声ではなく、彼女の芯のある正統的な強い声によって、です。

そして、それが誘因となり、過去に撮りためた大学日本拳法の試合映像を見直すうちに、「狂」となって戦う女性を再発見したのです。

こういう方たちは社会人になれば社会人に、妻となれば立派な妻に成りきれる人なんだ、と思います。大学時代を入れれば20年もの(拳法)修行で自分を磨かれてきた人というのは、見た目の拳法の技術云々では計り知れない形而上的存在感を持っている。しっかりとした自我(コギト・エルゴ・スム)が芯にあるから、どんなシチュエーションにも対応できる。かつての旧制高校生と同じ精神的鍛錬を、御自身の意思で行ってきているからです。

たとえば、俳優で言えば、菅原文太さん。

シリアスでもコミカルなヤクザでも演じることができる。警察官を演じるにしても、街で見かける警官が偽物に見えるくらいの「真の警察官」をやれる。コミカルで優しさ・人情味のあるトラック運転手、そして、文太さん晩年の傑作「千と千尋の神隠し」の釜じいの声。芯がしっかりされているので、どんな役でも味わいのある役にしてしまう。

森繁久弥さんも、様々な芸域の広さと深みがあります。

歌手では美空ひばりさん(まあ、この方は天才の域ですが)。

表面の色や模様を変化させる、ただのカメレオンとは違うのです。

本質をつかんでいるから、何も変わらず、而して変幻自在。

芯(心)からそのものになれる。真に新になることができる。

技術や体力という「器」以上に、形而上という「道」を歩む姿が見られる大学日本拳法の達人たちというのは、極端な話、あの世に逝っても存在することができる(ほどしっかりとした自我を持っている)と、思わされます。

「三つ子の魂百まで」ではありませんが、15~20年間一つのことを(超真剣に)やり続けている人間というのは、(その場だけに存在する)器ではなく、その先にも永遠に続く道を歩んでいる。単に年月の長さに由らず、次元の違いからくる位相の豊富さを感じさせてくれる。やはり、「大学だけ」では追いつけないものがあるのです。

技術や体力ばかりでなく、彼女たちの身のこなし、立ち居振る舞いには、茶の宗匠に通じる洗練さ・簡潔さ・小気味よさが「溢れて」いる。拳法の強さだけではないのです。

「アキレスは亀に追いつけない」

亀がゆっくり・じっくり歩んできた形而上的道のりは、単に足が速い=力や技術がある、知識がある、といった単純機能では「追いつけない」。

真の存在感という形而上的価値を侵すことはできない、ということなのです。


  関東でも、青学のWさんのような、徹底的な知性と理性で、なんとか「試合の戦い」だけでも乗り越えようとする努力家、往復数時間の通学電車やバスでは絶対に座らない、といった鍛錬を日常にするOKさん、卒業後も新入生勧誘に協力したりして、愛とガッツで根気よく後輩を育て、「総和の利」を向上させようという立教のTさんといった人たちを見るにつけ、やがて、関東は関東なりのスタイル・問題解決方法を見いだしていくのではないか、と期待しています。

私自身は、バカにはなれますが、狂にはなれない。狂になれる人やその事象を見る(見極める)ことはできても、自分がそうなれない。

まあ「見ることができる」だけで、十分幸せなのかもしれません。

2024年5月2日

V.3.1

平栗雅人

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