第3話 山手線一周大会 バカになる道

昔は毎年4月末、体育会主催・自動車部後援「東洋大学山手線一周」という行事がありました。私は1年生の時、日本拳法部として参加しましたが、これが私の「バカになる道」の第一歩でした。

 「もともとバカじゃねえか」と、言われるかもしれませんが、バカな人間でもバカを隠して格好つけて生きようとするもの。しかしそんな私を、たとえ一瞬でも「バカのまま・バカそのものとして」生きることができるようにしてくれた。その第一歩が、この時のバカ騒ぎだったのです。


思いっきりバカになれるから真剣になれる。知性や理性のみでただ真剣にやっても、良か優ですが、バカになって真剣にやると、一つ次元を越えて狂の境地に入ることができる.則ち、(人によっては)技術を越えて芸術の範疇に入ることができるのです。

(私の場合、ただのバカで終わってしまい、狂まで行きませんでした。)

 ① YouTube「2017全日本学生拳法個人選手権大会 女子の部準決勝戦 岡崎VS谷」

     https://www.youtube.com/watch?v=O7kumnslLns


この時の岡崎さんと谷さんの戦い方には、両者ともに理性がある。お二人とも、もの凄い迫力で「狂ったように」戦っていらっしゃいますが、狂ではない。

とくに岡崎さんは、極めて冷静に宮本武蔵「五輪書」「枕を押さえる」「剣を踏む」攻撃で、谷さんの気勢を削いでいるのです。

ところが、

 ○ 「2018 Kempo 第31回全日本拳法女子個人決勝戦 坂本佳乃子(立命館大学)vs谷南奈実(同志社大学) 」

https://www.youtube.com/watch?v=DI-HxBtlxxg

この時の谷さんには(むき出しの)狂がある。

徹底的に戦いにのめり込んでいる。

もちろん、試合の中だけで発揮する意識的な狂ですから、ただの「狂人・狂気」とは全く異なるgood control(よく把握した)下にある驚異的な集中力、熱中狂瀾、疾風怒濤(シュトゥルム‐ウント‐ドラング)という状態です。

そして、ここまで自分を追い込み、戦いに専心されている彼女には、(試合の結果抜きで)芸術的な美しさがあるのです。


    ********************************

私の予備校時代、現代国語の講師(大学教授)が「戦後、最大の文学」とまで評した「嵯峨野明月記」。これを書かれた辻邦生(1925~1999)という小説家(でもあり、立教大学の講師もされていた)は、この小説を書いた2週間のあいだ、一種のトランス状態にあったという。自分が自分でない、狂の状態であったらしい。2週間に及ぶ驚異的な集中力によって書かれたのがこの文学なのです。

  やはり東大(帝大)出の芥川龍之介も凄まじい狂を持っていらしたようですが、2週間集中して一つの作品を書くには、彼の神経は鋭利に過ぎたのかもしれません。

しかし、それ故に芥川龍之介の作品は、人生の様々な位相を鋭く切り取った(優れた)短編が多いのでしょう。

一般に東大の人間というのは、頭は超素晴らしいのですが、知識や教養に埋もれて狂になれない。だから、知識の羅列・教養の記述ばかりで面白みがない・味わい深さがない。芸術性や文学性に欠ける、という嫌いがあるものです。

しかし辻邦生という方は、旧制松本高校(大学の予備教育段階)時代に、やはり後年作家となられた北杜夫(1927~2011)氏らと、蛮カラ(学生時代のバカ騒ぎ)に陶酔されていた時期があったせいか、狂になることができたようです。

この小説家の「背教者ユリアヌス」という小説も、この方の異才を放つ作品です。

2024年5月1日

V.2.1


<大学としての新入生歓迎会>

 体育会主催とはいえ、参加者3百名(くらい?)のほとんどが一般学生であり、山手線一周大会とは、つまりは大学としての新入生歓迎会といえるものでした。体育会も、文系サークルも、どこにも所属しない学生も、みんなで一緒に一晩、東京をブラブラ歩いて楽しもう・仲良くなろうという。

私自身は、他の体育会・文系サークル、一般学生の新入生と仲良くなったわけではありません。むしろ、10数時間、誰とも話をせず、大声で歌を歌い、叫び、走り回り、クタクタになると、無言で歩く。自分一人でバカをやって疲れて、沈黙していたのです。

ただ、その孤独な戦いのおかげで、(それまでの)自分が吹っ切れて「東洋大学という世界」に、ストンと入り込めたのではないかという気がします。


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体育会本部の学生(学ラン着用)が、「東洋大学山手線一周大会」と大きく書かれた幟を(旗)を掲げて先頭を歩き、酒やジュース、おつまみを満載したリヤカーが続き、その後ろを、大勢の学生たちが好き勝手にゾロゾロついて歩く。最後尾には、自動車部の運転するセドリックが医療品、担架などを載せて伴走する。

18時に白山の大学前を出発し、上野・東京・有楽町・品川・五反田・渋谷・新宿・池袋・巣鴨を経て、翌朝10時頃、大学へ戻る。参加資格は東洋大生ということになっていますが、登録も認証もなしで誰でも参加できるし、途中で気に入った街並みのしゃれた居酒屋があれば、そこへ途中下車してそのまま、なんて人たちや、やはり、途中で疲れて家に帰る者もいるので、最後まで完走というか歩き通したのは、体育会本部の10数名を除けば、数十名程度であったようです。

完走認定証も記念品も出ません。私の場合、ただただ疲れたという実感が認定であり、大きな声を出しすぎて潰れた喉とすり減ったビーチサンダル、そして足のマメが記念でした。

なにしろ、18時にスタートしてすぐに振る舞われた日本酒でいい気分になり、第一休憩地点である上野は西郷さんの銅像の前で、大声でがなる(どなる)ようにして何曲か歌う。銀座の松屋デパートや三越・阪急デパートの並ぶ大通りを行進する頃には、ほとんど酩酊状態。歩道で徒競走をする、ポプラ並木によじ登って大声で叫ぶ、なんて、狂気のフリではなく本物の狂乱状態。

新橋の辺りで体力を使い果たしてぐったりし、渋谷のハチ公前の景色も覚えていません。おそらく、幽霊かゾンビのように、朦朧とした意識の中で機械的に歩いていたのでしょう。

新宿を歩いている朝6時頃、高層ビル(京王プラザ)から見えた朝日が異様に眩しかったのを最後に、記憶はぷっつり途切れ、気がついたら大学の前で解散となっていました。

昼過ぎに帰宅するとそのままバタンキューで、今度は10数時間、延々と眠り続けました。

<新入生歓迎会の意味>

新入生歓迎会とは、それまでの常識や価値観を捨て去り、新しい社会・場に頭と心を切り替えるための儀式というか鍛錬、或いは、昆虫でいえば脱皮、なのかもしれません。

私は、上野の西郷さんの前で、何百人もの観光客を前にして大声で歌い、かの銀座の大通りを突っ走り、街路樹によじ登ってゴリラのように叫ぶ、なんて狂態(正気とは思われないような態度やふるまい)によって、それまでの小中高・浪人生という型・常識・価値観・世界から脱皮した。

少なくとも、あの十数時間の行進は、それまでの「平栗雅人」という殻を脱ぎ捨てる第一歩(きっかけ)となったのではないのかと、いまにして思うのです。

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