キミは嘘をついている。

ゆうすけ

「キミは嘘をついている」

「は?」


 とっさに出る疑問形。

 夕暮れ時のレストラン。

 店内の喧騒。

 テラス席の向こうには夕焼け空。

 すかしたウェイターが運ぶアペリティフ。

 ワイングラスとシャンパンの気泡。

 途切れ途切れに聞こえてくる生ピアノ。


「キミは嘘をついている、と言っている」

「いや、このシチュエーションでその第一声はないだろ。さんざん人を待たせておいて」

「待たせたのは申し訳なかった。どうにも仕事が終わらなかったんだ。だが、こんな街はずれのレストランを指定したキミにも問題がある。タクシー捕まえるのにとても苦労したんだぞ」

「よく言うよ。お前がいつもの駅前の居酒屋は嫌だといったのを忘れたのかよ。せっかくだから、もう少し気の利いたセリフがほしいなと思うわけよ。俺的には」


 あきれ顔の前に並べられていく皿。

 グラスを合わせる音。

 テーブルの上で白い指が刻むリズム。

 にこりと笑う顔。


「ふふふ、キミはまだわかっていないな」

「いや、お前が何かにいら立っていることぐらいはわかるよ。そこそこ長い付き合いだからな。テーブルをトントンとつついている時のお前はだいたい機嫌が悪い。たとえ表情が笑顔だったとしても。今みたいに、な」

「ほう、そうか。それがわかるだけでも大したもんだ。では何にいら立っているのかわかるかい?」


 さらにテーブルの上で白い指が刻むリズム。

 傾けたワイングラス。

 舌の上を流れる芳醇なゴールドの液体。


「さあ。そこまでは知らんし、聞く気もない」

「そういうところだぞ? なぜ聞こうとしない。勝手な憶測で機嫌を判断されて、勝手に気を使われるのはいい気分がしない。腫れ物に触るような態度を取られたりしてみろ。正直言って、そんなんでこれからやって行けるとは到底思えない」

「そんなの簡単なことさ。聞いてもお前、まともに答えないだろうし、原因を推測するよりも対策を打つ方が手っ取り早いからだよ」

「対策?」

「だいたいお前の機嫌の悪い原因なんて大した理由じゃないからな。道を歩いていただけなのにハゲ頭でひどい体臭のする警官から職質されたとか、どう見ても五十過ぎのおばはんが女子中学生っぽい服を着ていたとか、 ラーメン屋の前で人相の悪いおっさんが巨乳を凝視していたとか」

「……うん、まあ、確かにどれも心当たりがある」

「だろ? だからそんなのいちいち原因を聞くだけ無駄だ。だから、そういう時のお前には漫画読ませるなり、動画見せるなり、甘いもん食わせるなりして他に意識を向けさせれば、そのうち機嫌が直る」

「なんか馬鹿にされているようで極めて心外だが、おおむねそのとおりかもしれない」

「下手に原因を根掘り葉掘り聞くと、不快な記憶の追体験でさらに機嫌が悪くなってしまって、泥沼だ。お前はそういうやつなんだ。少なくとも俺はそう理解している。だから、理由は聞かない」


 ウェイトレスが置いていくオードブル。

 会話を遮る料理の説明。

 スモークサーモンのピンク。

 酢の中に取り残されて所在なさげなタコ。

 皿の上を駆け巡るナイフとフォークの語り合い。


「まるで子ども扱いじゃないか。いや、なんていうか、キミがそういう風に見ていたなんてちょっとショックなんだが」

「お前は機嫌が悪くなると手が付けられないからなあ。普段はこれでもかってくらい理屈っぽいくせに、そうなるとまったく正論が通じなくなる」


 きれいに平らげられた皿。

 名残惜しくとどまるバジルソースの雫。

 入れ替わりに出されるコンソメスープ。

 控えめに立ち上る湯気。

 湯気越しに見る少し拗ねたようなまなざし。


「悪かったな、こんな偏屈で」

「別に謝ることないじゃないか。お前らしくないぜ。ところで」

「なんだ?」

「俺が嘘を付いているってなんのことだ?」


 伏せた視線。

 落ちる沈黙。

 小さなため息。

 スープを湛えた銀スプーン。


「キミは嘘をついている」

「いや、それは分かったから、何の嘘をついているのかって」

「おそらくキミ自身が気が付いていない。だからこそ罪深い嘘を、キミはついている」

「なんでそんなに断定調なんだよ。そもそも心当たりが全然ないんだが」

「例えば、だ」

「は?」

「キミと二人でレストランでおいしい料理を食べている、今この瞬間にも、世界では食べたいものを食べられずに死んでいっている子供がいる」

「まあ、いるだろうな」

「それを知っていてもキミは微塵も動じていない」

「それはお前もだろうが。そんなところで俺は嘘は言わないぜ。かわいそうな子供たちがいるのは残念には思うけど、今日の料理が美味いのとは話が別だ。美味いものは美味いんだ」

「ああ、そのことで別にキミを非難しているわけではないんだ」


 テーブルにそっと置かれるポワソン。

 エビのむき身に柔らかな山吹色のクリームソース。

 官能をやさしく撫でる甘味の匂い。

 ソムリエの注ぐ白ワイン。


「もう一つ例を出そう。今、キミの目の前に瀕死の人が二人いるとする」

「トロッコ問題的なやつか。俺にあまり面白い回答を期待しないでくれよ」

「おお、良くわかったな。なぜわかったんだ?」

「お前が聞きそうなことだからな。どうせロリだけど巨乳な中学生ぐらいの女の子と、めっちゃ美人な貧乳の四十代のおねーさんとどっちを助けるかとか聞くんだろう?」

「……まあ、いい線行っているが少し設定が違う。参考までにその質問だったらキミはどう答えるつもりなんだ? 少し興味のある選択だ」

「うーん、自分で考えておいて難問だな。こりゃ難しい。俺ならどっちも助ける、だな」

「『どちらを優先的に助けるか』という設問だ。『両方助ける』では答えにならないではないか」

「うーん、なんか自分で考えて罠にはまった気がするなあ。俺なら、……おねーさんかな」

「……」

「すみません。露骨に嘘つきました。二ミリセカンドの考慮時間でロリ巨乳の方を助けます」

「うむ。素直でよろしい。キミならそうするだろう。そするのが一番違和感がない。キミが一瞬迷うとしたら、ロリと巨乳が両立するのか否か、という点だけだ。キミの中でのロリとは、少なからず貧乳で設定されている。しかし、それはキミ自身が決めた、キミだけのスレッショルドだ。ゆえに、キミ自身さえ納得できれば、いともたやすく例外としてルール自体が書き換えられる。その考慮時間として必要なのが二ミリセカンドという時間なのだろう。かくしてキミはキミ自身のポリシーに従ってロリ巨乳の中学生女子を助ける、ということだ」

「長々と解説されるとすこし、というか、かなり恥ずかしいが、笑えるぐらいまったくそのとおりの思考をたどったわ。さすがだな」


 ソースの湿り気。

 軟化したフランスパン。

 フォークの先に残った殻。

 失礼しますの声。

 ウェイトレスの白い手。

 オイスターソースと赤身肉のグラデーション。


「で、もとのお前の設定はどんなんなんだよ」

「ああ、忘れていた。すっかりキミの設定の方に意識がいっていたよ。つまりだな」

「うん」

「顔が怖くて、クソ生意気で、無一文でおまけにハゲかけているロリ少女と、性格は従順で素直、さらに親の莫大な遺産を継いだ希代のキャッシュリッチ、しかも絶世の美少年。二人のうちどちらかと一緒に生活しなければならないとしたら、キミならどちらを選ぶ? もちろんキミの扶養になる前提だ」

「それは、ずいぶん悪意に満ちた設問だな」


 肘つきでいたずらな流し目。

 フォークに刺した肉。

 肉汁と柔らかい舌ざわり。

 マッシュポテトとさやいんげんで口直し。

 赤ワインののど越し。


「ふふふ、で、どっちなんだ?」

「……答える前に一つ聞かせてくれよ」

「ふむ。なにかこの設定について質問でもあるのかな?」

「設問自体はまあ、お前らしい変態さだなとしか思わんけどな。その設問に対する俺の答えが、お前が用意してきているはずのセリフに影響するのかしないのか」

「どうかな。影響するかもしれないし、影響しないかもしれない」

「それはずるいぞ。もし影響するなら、簡単には答えられない」

「そんなに深く考える話でもないよ。なんというか、キミの性癖をあらためて確認しようと思っただけだ」

「今さら俺の性癖もへったくれもないだろうに、まったく。その答えで、お前のいう『俺のついている嘘』というものが何かわかるのか?」


 最後の一切れ。

 肉の渋みとソースの甘み。

 皿の上の残りを拭いとったパンの耳。

 フォークと皿が共鳴する名残の残響音。


「それは、わかる」

「そこまでがっつり断言されると俺も答えづらいなあ。まあ、普通に考えてロリ少女だがな」

「そうか? 普通に考えたら美少年じゃないのか?」

「お前の普通はBL愛好家の普通だろうが。自分と世間をごっちゃにするなよ」

「いや、世間的にもキャッシュリッチという点だけでも美少年一択ではないのか。そっちの方が普通だと思うが。ここでクソ生意気無一文少女を選ぶのはキミみたいなロリ愛好家だけだよ」

「いいか、よく聞けよ? 顔が怖いのは穏やかな生活でいつかは治る。クソ生意気なのも全然俺は気にしない。子供は本来無一文なものなんだ。金は俺が稼げばいい。ハゲなんかカツラでどうとでもなる。翻って素直で従順な美少年もいつかは必ず脂ぎってラーメンばかり食べるようなおっさんになるんだ。金をたくさん持っている美少年は、永遠にロリ少女にはなれないんだ」

「わかったわかった。わかったから、あまりそういうことをこのような場で大声で力説しないでくれないか」

「お前が言わせたんだろうが。で、そろそろ聞かせてもらえないか。『俺のついている嘘』と、こないだの返事を」


 ほのかな満腹感に追い打ちをかけるシャーベット。

 口腔内にすべり落ちる冷涼感。

 それを打ち消す濃いめのエスプレッソ。

 喉をくぐっていく温かさ。

 残り半分となったエスプレッソカップ。

 逸らす視線。

 落ちる沈黙。

 覚悟のため息。


「最初に言ったとおり……」

「うん」

「この世の中には不幸があふれている。それこそキミと二人でおいしいものを食べている今この瞬間にも亡くなっている人たちがいる」

「うん。でも、それは……」

「そう。それとこれとは別問題だ、とキミは言った。実は、ワタシもそう思っている。しかし世の中にはどうしてもこれを同列に考える人がいるのも事実だ」

「確かに、そうだな。いるよな、そういうやつ」

「勘違いしないでほしいのは、ワタシは個人的にそういう世界の不幸と自分の日常を同列に考えるのが悪いとは一言も言っていないことなんだよ。そういう考え方もあって然るべきだ。しかし、世の中には溢れている不幸と同じぐらい、変えられない運命というものがある。もし仮に今飛行機事故かなんかがあって、キミと二人で死ぬようなことが起こったとしよう。それはあまりに不運な運命だったと諦めるしかない」

「例えが極端だけど、言いたいことはわかる」

「キミは言ったよな。ワタシとならうまくやっていけると信じている、と。だが、キミの考えには不運な運命というランダムな、あるいは予期できない事態という要素が一切考慮に入っていない」

「おい、待てよ。そんなこと普通は考慮しないだろ」


 ぬるくなったエスプレッソの残り。

 カップの底のマーブルアート。

 どこからかまた聞こえてくる生ピアノ。

 まばたきもしない視線。


「だから、それがキミついた嘘なんだよ」

「……つまり、お前は俺のプロポーズを断る、ってことか」


 最後のひとしずく。

 落胆。

 秒針の刻み。


「早合点はよくない。ワタシは断るとは言っていない」

「ん? ということは?」

「これからの人生、何が起こるかわからない。不運な運命に翻弄されるかもしれない。でも、それもキミとなら越えていけるかもしれない、と思ったんだ」

「なんだよ!! ひやひやしたじゃねーかよ!!」


 タクシー来ましたよ、とウェイトレスの囁き。

 分厚い革表紙に挟まれた伝票。

 財布から抜いたクレジットカード。


「ふふふ、もとからこういうお店に来て食事をしている時点でおよそ予想がついただろうに」

「そういうものははっきり聞くまでは安心できないもんなんだ、特に男は。最悪食い逃げされることもありうるとは思ってたよ」

「ジェンダー論を振りかざす気はないが、意外とみみっちいな、キミは。あとひとつだけ」

「なんだよ、まだなにかあるのかよ」


 ウェイトレスから受けとる上着。

 ありがとうございました、ごちそうさま、おいしかったです、のやり取り。

 そぼろふる霧雨。

 小走りで進むエントランス。

 開いたタクシーの後部座席。


「ワタシはキミの希望であっても、もう年齢的にロリ少女にはなれない。それだけは念を押しておく」

「なんだ、そんなことか。それは、まあ、あれだ。お前に免じて勘弁しておこう」

「ふふふ、なんでそんなに偉そうに言えるのか謎なんだがね」


 お客さんどちらまで、の声。

 車内の静寂。

 数秒の間をおいて動くワイパー。


「家まで送っていくよ。渋川通りの交差点までお願いします」

「いや、運転手さん、広江町の方へ行ってください」

「?」

「せっかくだからキミの部屋で飲み直そう」

「ああ、そういうことか。たいしたもんないけどな」

「それは知っている。ただ、……これからのワタシたちについて、話しておくことがたくさんありそうだからな」


 走り行くタイヤの音。

 夜道を照らすヘッドライト。

 目の前に広がる道。


 おわり


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キミは嘘をついている。 ゆうすけ @Hasahina214

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ