第11話 奪還作戦

 さざ波の音がひびく、深夜。

 煌々こうこうと降り注ぐ月の光りは、辺りに立ち込める霧を一際白く照らしている。煙幕のようなそれのおかげで、潜入するには絶好の夜となった。


 カロンは予定通りアーサーたちとは別れ、今はシャドアルとドアンと共に、馬車倉庫の近くの植え込みに身を隠している。なにもしなくても、髪や服はしっとりと濡れ、顎を伝っていったものが夜露か、緊張の汗か、分からないほどだった。

 シャドアルが、無言で素早く、上下に手を振った。もっと頭を低くしろ、ということらしい。葉擦れの音をたてないように気を付けながら、カロンはそろそろと頭を下げていった。

 同時に、葉と葉の隙間から、馬車倉庫の様子を窺う。重装備をした男達が、物々しくその入り口を守って立っていた。

「けー、わっかり易いなぁ、おい……」

 声を潜めて、ドアンが呆れたように言う。

(あそこに、あの子がいるんだ……)

 夜露に濡れた芝生に膝をつき、カロンはじっと目を凝らした。厳重な警備が、あそこにがあると示している。

 駆け寄りたい衝動をぐっと抑えて、代わりに緊張で乾いた唇を舐めた。

「キャプテン達が合図出してくれるまでの辛抱だからな」

 見なくても、隣の落ち着かない気配を察したのだろう。そう言って、シャドアルは屋敷の方を仰ぎ見た。港周辺では一番大きな、これだけ広い屋敷だ。きっと、探し物を見つけるには相当な時間がかかるはず。


 三人は、その時を待った。緊張から、カロンはわずかに身じろぐ。すると一瞬、強く香り立つものがあった。

 はっとして植え込みの植物に目を落とすと、刈り込まれた低木の下に、みっしりと繁っている草がある。

「どうした?」

 カロンの様子に気付いたシャドアルが問いかけた。

「足元の草、それ以上踏まないで…!」

 アルロマイ、と呼ばれる柔らかな薄緑色の草だ。触ると甘く強い香りを発し、茶や部屋の香りづけにも使われる。

 普段は歓迎される葉が、足元にある。罠だ。

 三人の緊張感が高まった時、馬車倉庫を守る一人が、鼻を空に向けて言った。

「おい、匂わないか?」

 三人は素早く顔を見合わせた。さらに身を寄せ合い、縮こまる。息を止めたまま、獣のように背中を丸めた。

 葉の隙間から見える光景を凝視する。ゆっくり、私兵の一人が歩み寄ってくる。ますます肩をすくめるカロンの横で、シャドアルが剣に手をかけた。

 と、そのとき。

 突如として、夜の静寂をけたたましいガラスの割れる音が裂いた。

 二階の窓から、純金製のハープギーリヒの胸像が破片を伴って飛び出し、銀盤の月を背景に宙を舞う。月光に反射して煌めく、無数のガラスがそれを飾り立てた。悪趣味な胸像も最期の晴れ舞台を飛び抜いて、やがて鈍い音と共に土へめり込む。

 割れた窓から、屋敷の中の喧騒が溢れた。飛び交う怒号は海賊のものか、私兵達のものか。とにかく、乱闘騒ぎが起こっていることだけは間違い無さそうだ。

「だ、大丈夫かな? キャプテン達……」

 カロンはハラハラした心持ちで耳を傾けていたが、ドアンは「心配いらねーや」と平然と言い退けると、ついついとカロンの服を引っ張った。

「そんなことより、見てみろぉ、ふたりとも。厳ついのが屋敷の方に流れてくぞ!」

 ドアンの言うとおりだった。こちらに歩み寄ってきた男も、誰も彼も。わんさといた私兵達はすっかり騒動の方に気を取られ、たちまち半分近い私兵が、屋敷の方へ駆け出して行く。アーサーの作戦通りだ。

 しかし、シャドアルは納得いかない顔で舌打ちをする。

「まだ多いな」

 そして、足元に転がっていた、手の平より一回り大きい石を拾うと、一瞬だけ立ち上がり、遠くの草むらへと投げつける。

 空を仰いだ石は、ガサリと音を立てて草むらに沈んだ。

「なんだっ?!」

 シャドアルが頭を引っ込めたのと同時に、私兵達が音のした草むら周辺を警戒して叫ぶ。

「賊かも知れん!」

「あっちに潜んでいたか……探せ!」

 一斉に残りの私兵も、草むら目掛けて走って行く。馬車倉庫の前は無人も同然だ。シャドアルは悪戯っぽい表情を浮かべて、必死に笑いをこらえていた。カロンは直ぐに彼を褒めたくなったが、とりあえずそれはあとでの話である。

 無人になったのを見計らって、カロン達は馬車倉庫に突撃していった。後ろでは、いまだに私兵が「どこだ!?」だの、「探せ!」だの、ヒステリックに喚き散らしている。

 その様子に少しだけドキドキしながら、カロンは目当ての馬車を探した。しかし、流石は金持ちと言うべきか。広い倉庫の中には、所狭しと馬車が陳列していたのだ。

(うそ……)

 余りの数の多さに愕然とするカロンに、シャドアルもやや焦った様子で尋ねる。

「カロン、それってどんな馬車だった?」

「えっとね、ちょっと汚れた幌に、なんか家紋が刺繍されてて……」

 その時だ。カロンの耳に、再びあの泡の弾ける音が届いてきた。壊れそうな救命信号に、カロンは息をのんだ。

「……こっち!」

 駆け出すカロンを、二人は慌てて追った。カロンの足取りに迷いは無い。何かに吸い寄せられるように、真っ直ぐ、一つの馬車へと駆け寄ったのだ。

「見つけた……!」

 息を弾ませて、カロンはずず汚れたほろを捲る。中にはあの子供が、カロンが最初に見た時のまま、透き通るような瞳を見開いて捕らわれていた。

「たまげたな、こりゃ……」

 ドアンは、暗闇にも関わらず、まるで眩しいと言わんばかりに、かけていた遮光眼鏡のよれを直した。

「こんなにボロボロにされて……!」

 シャドアルが怒りを込めて歯を食いしばる横を抜け、カロンは馬車に乗り込むと、檻の元まで膝をついて這い寄る。そして、錆だらけの鉄格子を握り締め、ぐっと顔を近付けた。

「……ごめんね、ずっと叫んでたのに、遅くなっちゃって。今、出してあげるからね」

 そっと声をかけると、子供の血の滲んでこびり付いた唇が、少しだけ開いた気がした。目も、幾分柔らかく細められる。カロンも、元気づけるように微笑んだ。

「ドアンさん、お願い!」

「あいあいよー! ちょいとどいてな……」

 言われた通りに場所を譲ると、ドアンはその場にあぐらをかき、ポケットから何やら、ぐにゃぐにゃに折れ曲がった針金を取り出した。それを、無造作に檻の鍵穴に差し込む。

「ひっかかるかな~……」

 そう言いながら鍵穴をほじくり、まもなく。

 本当に開くのか固唾を飲んで見守っていたカロンの耳に、「ガチャン」という開錠の音が確かに届いた。

「そぅら! 開いたぞー!」

「すごいっ、ドアンさんすごい!」

 手放しで喜ぶカロンに、ドアンは口を大きく開いて歯を見せた。金歯がきらりと光る。

「言ったろ、びっくりさせてやっかんなーって! ほれ、あとはシャド坊に任せるぞ!」

 バトンタッチと言わんばかりに、やはり四つん這いで来たシャドアルの肩を叩くと、ドアンは檻の扉を開けながらそこを明け渡す。

「俺達は敵じゃねぇからな、安心しろよ」

 檻に手を差し入れた時、少しだけ子供の表情が強張ったのを見たシャドアルは、そう言いながら、触れるだけで折れてしまいそうな腕を引いた。引き寄せると、そのまま背中に背負いこむ。

「軽っ……?!」

 瞬間、まるで本当に枯れ枝か何かを背負ったかのような軽さに、拍子抜けしたような、驚愕の声をあげた。

「なんだ、こいつ。どれだけ飯食わなかったらこうなるんだよ?!」

 子供はただ、カサカサに乾いた唇から、ひゅうひゅうと細い息を吐き出している。安心から、堪えていた疲れがでてしまったのだろう。緑色の瞳も、今は沼底を泳ぐ魚のように、焦点の合わぬぼんやりとしたものになっていた。

 痛ましい子供の様子に、三人は改めて、この子を捕らえていた男の非道さを感じた。

「……とにかく、今は逃げないとね。そろそろ、屋敷の方に行っていた人達も戻ってきちゃうかも」

「ああ……」

 腹の虫が収まらないが、カロンはそう促し、シャドアルも頷く。ひとまず、逃げてこの子を介抱してあげることが先決だ。

 馬車を降り、沢山の足音を聞きながら倉庫を抜け出す。先ほど隠れていた植え込みもすり抜け、霧に紛れながら、屋敷の周りをぐるりと囲む高い塀を目指した。敷地の中心にある屋敷などの主要な建物から、高い塀までの距離は遠く、専ら歩くより馬での移動を前提としている。

「土地の無駄遣いだ」

 と、途中で走るのに疲れたシャドアルが悪態をついたほどだ。カロンも、もう少し良い場所の使い方ができそうなものだと考えたが、そこまで口を開く余裕は無かった。

 とにかく広い。今まで三つは薔薇園を通り抜け、その度に園の中心に飾られた、悪趣味な黄金のハープギーリヒ噴水を目にしてきた気がする。自分から水を噴き出させて、一体何が楽しいのか。周りに植えられ、昼夜それを眺めなければいけない薔薇が可哀想である。

 駆ける度に、芝生についた夜露が弾け飛んで散った。ぬかるんだ地面に刻まれた足跡を消すのは難しいだろう。追っ手が来る前に、早く逃げなければ。

「……んっ?!」

 突然、ドアンが先方に目を凝らし、そんな声を上げて足を止めた。

「ドアンさん、どうしたの?」

 湿気をはらんで顔に纏わりつく髪を手で払いながら、カロンは尋ねた。

「……やっちまったなあ……」

 ドアンは、そう答えたのみである。

「やっちまった?」

 眉を少し寄せながら、カロンは聞き返した。そして、ドアンの指差す先を見て、背筋に得も言われぬ悪寒を感じたのである。

 一瞬にして呼吸の仕方を忘れた。

 深い霧の先。風に流され、月光に照らされて朧気に浮かび上がってきたのは、この場で最も会いたくない影だったのだ。黒光りする幾本もの筒は、全て自分らに向けられていた。

 その中心に立っていた人物が、意気揚々と片手を挙げる。

「ふぅむ、ご苦労、ご苦労。馬なしでここまで駆けてくるのはさぞ辛かったろうに、貧乏人の諸君」

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暁風の紡ぎ詩 藤郷 @fu_fu_fujisato

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