第10話 シャークテイル海賊団
若い男達は隠れ家につくなり、夜霧に濡れた髪を掻き上げ、適当な厚手の布で頭と身体を叩くように拭って暖炉脇に投げた。高波に濡れるのには慣れていたが、この隠れ家――海賊集う酒場の奥、秘密の個室まで濡らすと、あとが煩い。
ため息交じりに石の階段を下る複数の足音は、やがて黒光りをする重厚な樫の木の扉の前で止まる。一味の一人、シャドアルが扉を押し開いた。
「あっ、お帰りなさい、シャドアル!」
芳しくない顔の面々は、はきはきとした声に出迎えられた。
アーサーに報告しようとこの秘密の部屋にやってきたわけだが、そこに目当ての姿はない。代わりに、ドアンとカロンがカードゲームに興じていた。
子守りをさせられたというのは一目瞭然で、誰かが「何を呑気に」と口うるさく言うことはなかった。
「キャプテン、どこ行ったか知らねぇか?」と一人が尋ねれば、
「ありゃ、上にいなかったかい?」と答えたのはドアンだ。遮光眼鏡を指で上げ直し、鼻面を掻く。ちょうどその時、乱暴に扉がひとつ叩かれて、アーサーが入ってきた。
正確には、
「ようやく戻ってきたか」
「たくっ、キャプテンは俺達に偵察に行かせておきながら……!」
「そーカリカリすんなって、シャド。母ちゃんか、お前は」
「誰のせいだと思ってるんすか?!」
カロンたちはいそいそとカードをしまった。自分たちはうるさく言われないが、どうやら、真剣な話し合いが始まりそうだと勘付いたからである。
やがて。それぞれがテーブルを囲み、自分の居場所を見つけて落ち着いた。ある者は壁に身を預け、ある者は床に胡坐をかき、ある者はテーブルに肘を乗せて立ち膝をした。無論、ソファーに腰掛け両手の指を組むのはアーサーだ。
カロンはといえば、シャドアルとドアンの間に収まって立ち見をしていた。
荒波にもまれた筋骨たくましい一人の海賊は、ゴホンと咳払いを一つすると、
「キャプテン、大体邸宅はこんな感じでさぁ。俺とシャドアルで、こっちを。あとの二人で反対を見て回ったんすけど……」
そう言いながら、海賊はススッと邸宅の周りを指でなぞる。
「私兵が四方各門に配備されてるんすけど、まあコイツらはいざとなりゃ締め上げるとして。問題は、中っすね」
「中? そっちの方が、警備厳しいのか?」
「うす」
海賊の話によると、窓から覗いた限り、邸宅のいくつかの部屋の前には私兵が立っていたそうだ。その様子、外に立つ者よりも腕がたちそうだという。
「牢屋にぶち込んだ奴らから巻き上げたお宝にご執心ってわけ。私腹がぶくぶく肥えますなぁ、あの髭野郎」仰々しくアーサーが肩を竦める。
「そん中に、キャプテンのアレがあるかは分からないっすけど」
神妙な顔で見取り図を眺める面々の中で、次にシャドアルが口を開いた。
「あと、カロンが言っていた子供を積んだ馬車って、やつなんですけど……」
「あ、あった?!」
「それっぽいのがあったけど、めちゃくちゃ見張られてた。キャプテン、中を攻略するより、子供を助ける方が困難みたいです」
みるみるうちに、カロンの顔が不安に染まっていく。
それをよそに、アーサーは少し考えると、
「シャド、馬車があったのはどのあたりだ」と、尋ねた。
「他の馬車が入っていたのと同じ倉庫に。この辺ですね」
コツコツと指先で叩いた先を見て、アーサーはまたそれとは別の位置に指を置く。シャドアルが指差した所から、少しだけ離れていた。
「分かった。じゃあ、俺らがここで一騒ぎ起こしてやる。そこそこ近くで大きな騒ぎがありゃ、ここで馬車見張っている奴らも、何人かは騒ぎの方に行くだろ」
「見張りの数が減ったら、連れ出せってことですね」
「そう言うこった」
アーサーの言葉に、カロンは少し疑問を感じた。
「キャプテン、そっちも探し物があるんですよね? 腕がたちそうな人もいる中で、騒ぎ起こして大丈夫……?」
「無論、こっちの探し物見つけてから騒ぎを起こす形になるな。騒ぎを起こす時には、盛大に窓を割ってやる。そうしたら、それが合図だ。それまでは、嬢ちゃん達は馬車倉庫の近くに隠れていな」
それからアーサーは、シャドアルとドアンを人差し指で順々に指差す。
「シャドは当たり前として、ドアン。あんたも嬢ちゃんの方についてやんな。檻に入ってるってんなら、錠開け得意なあんたがいた方が良いだろ」
「合点だぁ、キャプテンッ!」
大きく口を横に開き、満面の笑みで、ドアンは親指をグッと立ててみせた。小人族の十八番だ。
その様子を見て、寸の間頬を緩めていたアーサーだが、さらに大事な話をしなければいけないので、場の空気を切り替えるように、手を大きく一回打つ。乾いた大きな音で、誰もが口を閉じた。
「……さて、嬢ちゃん、こっからよく聞けよ。騒ぎを起こした後、俺らは先にとんずらをこく。嬢ちゃんらも、用事が済み次第、屋敷から逃げなくちゃならない」
そこで、だ。と、アーサーはカロンの眼前まで指先を突き出して強調する。
「夜明け前までに、俺らの船まで走って来い。それまでに着かないようだったら、残念だがガキは諦めな。さもないと、お前らを置いて行く羽目になる」
厳しい言葉だが、致し方ないことだった。アーサーの言うとおりにしない場合、今度はこちらが、ハープギーリヒに捉えられてしまう可能性が大きい。本末転倒である。
「役人どもが駆けつけてくりゃ、あの泥棒相手でも、俺らがお縄につくしかねぇ」
「泥棒?」
「ああ、泥棒も泥棒、あのハープギーリヒって奴はあくどい泥棒さ。金品財宝を捕まえた海賊から巻き上げたが最後、何処にも返さずちゃっかり自分の懐に納めやていやがる。元の持ち主が返せと言おうが知らんぷりさ」
カロンはつまり、それがどういう事かをよく考えた。
価値ある宝は、その価値になるすごい理由があるはずだ。元の持ち主は、それが分かっていて取り戻そうとする人も多いに違いない。それを無視して、自分のものにしてしまう。海賊から巻き上げた際にたまたま手に入れたもの、おそらくその価値も知らず、金目になりそうという理由のみで、だ。
とんだ傍若無人っぷりに、「ひどい」と短く言い切った。
そんなカロンを見ていたアーサーは、やがてゆっくりと、次のようなことを話し始めた。
「嬢ちゃん、俺たちの鉄の掟がある。一つ、宝は平等に分ける。せこい違反者は追放。二つ、体は洗え。鼻が曲がりそうな匂いの奴は俺に移ると迷惑だから沈める。そして三つ目だが……」
鼻から息を吸った船長は、一度言葉を噤んだ。一番大事な掟を告げるために。
「……同業者しか襲わない。破った奴は孤島に置き去り。以上、
「は、はい!」
部屋に響くほどおおきな声で返事をしてしまい、彼女は知らず知らずのうちに、周囲の笑いを誘った。
「で、話は元に戻すが、夜明けまでに船に着かなかったらガキは諦める。これも分かったな?」
下唇を噛み締め、カロンはぎこちなく頷く。
「……分かりました」
「はい、宜しい」
「でも、そうならないようにすれば良いんですよね?」
縋るような視線が痛い。仕方なく、アーサーも「ああ」と頷く。
しかしその瞬間、カロンの顔に大輪の笑顔が咲いた。
「なら、必ず四人で船に走ります!」
失敗など信じない。必ずできる。そんな顔だった。
少し面食らったあとに、アーサーはこの無知で肝の据わった心構えを、面白いと思った。口角を釣り上げると、手元にあった酒瓶を手に取り、一気に中身をテーブルにぶちまける。
たちまち、チョークで描いた見取り図は、酒にじわじわと溶けて流されていった。
「……俺らと行動するなら、そうこなくちゃなあ、お嬢さん。ただし、くれぐれも用心は忘れるなよ?」
「はい!」
快活な返事に場にいた者は全て頷き、闘志を持って場が纏まりかけた時だった。
「はにゃ?」と一言。ドアンが尋ねる。
「そういやキャプテン。レミオスの奴はどったんだ?」
「あいつはカマ医者から逃げまくって、今は店の寝台で死んだように寝てるよ」
「『しんだ』いだけに」
「うるせぇ」
目ざとく茶化したドアンの言葉を手で払い、ピッと人差し指を立てて言った。
「今は寝かしといてやれ。レミオスにはあとで、大仕事任せてやるんだからな……」
***
所変わって、カロン達のいるロイヤルポートから大分離れた、カッタトスのとある住宅街。
闇夜のなかにぼんやり、白壁の家々が菫色をして並んでいる。昼間は海風に揺れた赤い花々も、今は首をもたげ、静かに眠りについていた。各家の玄関先に飾られた鮮やかなモザイク硝子の玄関灯は、微かに火の爆ぜる音を込めて、誰にも聞き取れないような高い音を奏でている。
そこに軒を連ねる家の一室にて、部屋に灯りも灯さないまま、机に突っ伏し、一人閉じこもる人物がいた。部屋の中は暗く、唯一灯る灯りといえば、机の上の一本の蝋燭のみ。
それが、辛うじて、悩み続ける男を照らしている。
ふと、遠慮がちに、締め切っていた部屋の扉が開かれた。蝶番が軋んだ音を立て、来訪者を告げる。
「……パパ?」
あどけない声が、男の背中にかけられた。突っ伏していた父親は、その声にゆっくりと反応すると、娘に向かって力無く微笑む。
蝋燭の明かりに浮かぶ深い陰影を作るその顔には、心の中に溜めた苦労がじわりと滲み出ていた。
「……ネリー」
静かに名前を呼ぶその様子に心を痛めながらも、娘は健気に父親に歩み寄る。
「パパ、どうかしたの?」
そっと背中に触れれば、何でもないよ、と頭を撫でられた。母親譲りの栗毛を撫でられながら、ネリーは困惑気味に尋ねる。
「嘘。パパ、帰って来てからずっと元気無いわ」
「そんなこと無いだろ?」
「バカ。いっつも嘘は良くないって言っているのは、パパじゃない。パパが嘘言ってどうするのよ!」
ママに言うよ、と頬を膨らませるネリーは、やはり幼い。昼間見た少女のように、大人の事情などまるで知らない。知らないままでいて欲しい。あの子にも、そういて欲しかった。
しかし、その事情とやらに巻き込まれてしまった身となっては、嫌でも知ることになってしまっただろう。
『あのおじさん、なんか嫌だ』
地下牢に連れて行く最中、少女が呟いていた言葉が過ぎる。あの時は、一緒になって同情していたのに、現実はどうだ。
自分だって汚い大人の事情に加担した、嫌な大人じゃないか。出すと約束したのに、結局権力の前で折れてしまった。
ハープギーリヒは、あの子を地下牢から出すつもりは無いだろう。屋敷で聞いた会話から想像するに、あの男は間違い無く、人身売買に手を染めている。その目撃者たる少女を、そう易々と逃がす訳が無い。
地下牢から出られなければ、やがて遠くの国に引き取られ、そこで多くの罪人達――多くは、海賊達――と共に処罰を受ける。
そうなってしまっては、一巻の終わりだ。自分の娘とそう変わらない年の少女は、保身の為に消される。それが、何より苦しかった。彼女の親になんと言えばいい。いや、そもそも、なぜ一人で外に出した? あんな何も知らない、無垢な子を。これから知っていくべきことの多すぎる子を。簡単に餌食になってしまう子を。いや、いや、全て言い逃れにすぎない。この期に及んでも!
憎むべきはハープギーリヒ、あの男だ。日頃甘んじてきたつけが、ここで来てしまった。他所の子だから、そんな言葉で切り捨てられるほど鬼ではない。むしろ、娘と重なる部分が多すぎて辛いのだ。檻に入れられ遠くへ運ばれる姿を、絞首台に登り首を吊る姿を、その直前の泣き叫ぶ姿を、想像するだけで腸が煮えくり返るのだ。
そして、感情ばかり昂ぶらせて、ただ椅子に座り手の平に爪を食い込ますだけのなにもできない自分が情けなくて仕方ないのだ。
ふと、ネリーはごそごそとポケットを探ると、取り出した何かを父親の頬にぐいっと押し付けた。
「……ネリー、これは?」
「飴玉よ。昼間、ママのお使いしてたら、街で白い服着たお兄さんにもらったの。パパ、元気無いからあげるわ」
「白い服着た、お兄さん?」
父親として訝しがる彼に、ネリーは満面の笑みで答えた。
「うん! 遠くの国から来た、海軍さんなんだって! 明日、帰っちゃうんだって言ってたな……」
瞬間、ハッと彼の目が見開かれる。大きく開いた瞳に、灯りがひらめいた。
「……そうか……!」
「パパ? わっ?!」
急に音を立てて椅子から立ち上がった父親に、ネリーはびっくりして飛び上がった。それにも構わず、父親は力強くネリーの頭を撫で回わすと、部屋を飛び出し、玄関目掛けて大股に歩いて行く。
「パパ! もう直ぐご飯ができるって、ママが言ってたよ?」
「ごめんな、ママにはちょっとだけ遅くなるって言っておいてくれ!」
騒ぎを聞きつけて、台所にいた妻も駆け付けてきた。
「あなた、どこに行くの?」
「すまん、あとでゆっくり話す!」
「ちょっと……!」
外套を手に、それを羽織りながらつんのめるように家を飛び出していく夫に、妻は叫んだ。
「ショーン!」
妻の声を背に、深い霧の中を突っ切りながら、ショーンはまっしぐらに駆けていくのであった。
贖罪を、泥沼に差し込んだ一筋の明かりを求めて。
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