第9話 キャプテン・アーサー

 臙脂えんじに染色された革のソファーに、長い脚を組んで、その男は腰掛けていた。年は、三十代中頃だろうか。想像よりも若い。金の豪奢な憲章のついた鮮やかな赤色のコートを、袖を通さず肩にひっかけ、同色の大きなキャプテンハットを、傍らに投げている。中に着たリネンのシャツは、ゆるく胸元まで開いていた。

 両脇には美女。

 手には酒瓶。

 左頬に大きな切り傷のある顔こそ真っ赤だったが、癖っ毛の間から覗く目だけがいやに冷静で、カロンは身震いをした。

 そんな彼女を視界に捉えるなり、この酔っ払い船長ことアーサーは、口の端をくいっと歪める。

「ほぉ……シャド。お前もついに、女連れ込むようになったのか」

 無精ひげの生えた顎に指を沿わせ、くつくつと喉の奥を震わせると、たちまちシャドアルの顔に朱が差した。

「違います。俺は……その……連れ込んだとかじゃなくて! む、寧ろ! この子を助けたんであって……!」

「はっはっ! 照れんなよぉ、このマセガキがぁ……どれ、シャドが惚れた女の面、しかと見てみようじゃないの。嬢ちゃん、顔出しな」

 慌てて首を振るシャドアルは無視して、アーサーはカロンに低く告げる。初な少年をからかうのは、日常茶飯事なのだろう。

 予想していた海賊船船長とは違うものの、別の意味でカロンは警戒してしまう。

 酒気を帯びているせいもあるだろうが、この男には、年を重ねた男性特有の色気があった。それが、怖い。両脇の美女二人がアーサーに恍惚の視線を送っているのがその証拠と言っていいが、初めて会う素質を持った相手に、カロンは彼女たちのようにはなれなかったのだ。

 甘い猫なで声で呼ばれ、カロンはびくびくしながら、シャドアルの影から顔を覗かせた。

「こんにち、は…」

 ぎこちなく挨拶をし、また引っ込もうとした時。アーサーの眉が動いた。

「嬢ちゃん…あんた、ディーン族のモンだろ?」

「えっ? あ……はい」

「しかも、さしずめ、族長の孫だな」

「……! 爺様を知っているんですか?!」

 引っ込めようとしていた顔が、勢い良く飛び出す。

 思いがけないところで突然祖父が話題にのぼり、カロンはその驚きを隠すことができなかった。

「なんで……?」

 アーサーは何も言わず、満足げに目を細めた。

 カロンとて、自分の容姿がディーン族の特徴を色濃く受け継いでいるのは自覚している。しかし、一目見ただけで、まさか族長の孫だとまで見抜かれるとは思わなかった。

「似てるぜぇ……目元とか、鼻筋とか。あと、毛艶が良いところとかな」

「似てる、だけで……」

「それと、胸元にしまってある首飾りアミュレット

 カロンは反射的に胸元を抑えた。旅立つ直前にもらったアミュレットは無くさないよう、服の内側にしまっておいたのだ。それを、いともたやすく見抜かれた。

 片眉をあげてやや斜に構えるアーサーは、いかにも「アタリだろう?」と言わんばかりの顔をしていた。

「……爺様と知り合いなんですね?」

 カロンが確認するようにそう訊くと、「腐れ縁だよ」と彼は笑う。

「昔ちっとばかし世話になってな。……まぁ、あの爺さんじゃあ、嬢ちゃんに俺の事なんか話さねぇだろうけどよぉ……」

 確かに、聞いたこと無い。困惑しているカロンを見て、アーサーは愉快そうに目を細めた。

「くくっ……嬢ちゃん、さっきから見てると、あんた本当に分かり易いな。全部顔に出る」

 瞬間、カロンは片手で自分の顔を覆った。これ以上相手に顔をさらけ出しておくと、次に何を言われるか分からなくて恐い。

 視線を外し、徐々にシャドアルの後ろへ隠れようとするカロンを見て、アーサーはおちょくるように言葉を続けた。

「おーおー……初なのは嫌いじゃない。が、あともう十年だな。その時にもう一度来たら相手してやらぁ」

「キャプテンッ!」

 突如力の籠もった声が、アーサーの戯言を遮る。

 見ると、すっかり蚊帳の外だったシャドアルが、眉間に皺を寄せ、呆れと怒りが半々と言った表情でアーサーを睨んでいた。

「おー、こわ。そう怒るなよ、シャド」

 それから少し考えた素振りを見せると、ちらりとカロンの顔を窺う。

「……ところで、嬢ちゃんがあんなにとろけた顔をしてるのは、お前のせいか?」

 ちっとも懲りていない。

 カロンは慌てて自分の顔を確認するように触ったが、確かに頬が熱く、目頭を抑えるとに涙が溜まっていた。

 シャドアルはこれでもか! というほどに、強く反発した。

「そんっな訳無いでしょ?! 酒の匂いに少し酔っぱらってるだけでしょう?!」

 あ、なるほど。と、ようやく合点がいって納得するカロンをよそに、実はもう既に理由など分かりきっていたアーサーは、

「そうだよなぁ、シャドが女の子をメロメロにさせれるはずねぇなぁ……はぁ~、つまんね。残念だ」

 などと、わざとらしく肩を落としてみせている。

「っ、報告しますよ!」

「へぇへぇ。ったく……浮いた話もねぇ」

 面倒臭そうに顎髭を撫でるアーサーだったが、カロンの方はというと、とりあえず、ほっと安堵の息を漏らす。

 良かった、と言うほか無い。生まれて初めて会うタイプの人物だったので、肩に力が入りっぱなしだったのだ。

「……で、どうだったんだ。シャド」

 アーサーはグラスを傾けながら、中に入った飴色のラム酒を飲み干す。濡れた唇を手の甲で拭い、シャドアルに視線を移した。

「抜け穴から地下牢に入れたのまでは良かったんですけど。奴ら、持って無いとか、ふざけたこと抜かしやがって。なんでも、捕まった時に、髭生やした役人が気に入って持って行ったとか……」

「髭生やした役人? ああ、ハープギーリヒか。あの守銭奴、喜々として俺のお宝持って行く様子が目に浮かぶわ……」

 はぁ、と溜め息を吐くアーサーの言葉に、カロンは敏感に反応した。

「ハープギーリヒ? あの、虫の触覚みたいな髭を生やした、おじさん?」

「そうそう、そいつだ。……なかなか良い例えするじゃねぇの、嬢ちゃん」

「えへへ……じゃなくて!」

 褒められて思わず少し照れていたカロンであったが、パッと切り替えたように、必死な表情で体を前のめりにしてまで続ける。

「私の助けたい人も、そのおじさんに連れて行かれちゃったんです!」

「助けたい人? なんだよ、既に連れいんのか」

「俺が地下牢に潜入して、奴らから話を聞いていた時に、こいつ……カロンも地下牢に捕まっていて。何か悪いことをしそうにも無いし、助けを待っている奴がいるっていうから、助けてやったんですけど……」

 アーサーは「お人好しめ」と呟きながらも、指を顎に添わせ、カロンに向けて突如不敵な笑みを浮かべた。

 驚きのあまり、思わず凝視してしまいそうになるカロンの前で、アーサーは美女達にぽんと札束を渡す。その札束を手慣れた様子で懐にしまった彼女らは、

「今日もまた気前がいいわね、大好きよ」

 茶化すような美女の言葉に、アーサーは口に弧を描いたまま、そっと人差し指を唇に押し当てた。内緒、と言わんばかりに。

「ふふっ、分かってるわ。じゃあね、また来て頂戴な」

「ああ」

 おそらく、口止め料も含まれていたのだろう。美女二人組は上機嫌で手を振って、退出して行った。それを見送ると、アーサーはシャドアルを指差す。

「シャド、お前は動けそうな奴数人誘って、ハープギーリヒの所偵察してきな」

「了解です!」

「あくまで、数人だぞ? いいか、気付かれるな?」

「はい!」

 きびきびと返事を返すシャドアルを見て、カロンも何か言って欲しくなった。

「私は? 何かやること無いですか?!」

「嬢ちゃん? ……ああ、あるとも!」

「やった!」

 喜色満面で飛び跳ねるカロン。ところが、シャドアルはすぐにアーサーに釘を刺しにかかった。

「酒の酌とか、やらせないで下さいよ?」

「……流石、俺の部下だ」

「キャプテン」

「冗談だよ。俺だって、こんなおチビに酌させようなんざ考えちゃいねぇ。ほら、良いからお前はもう行け」

 しっしっと、野良猫を追い払うように片手でシャドアルを急かすアーサー。不服そうな顔で出て行くシャドアルなんか、どこ吹く風である。

「えっと、それで船長さん!」

「なんだ?」

「私は?」

 まだ、待っていたのか。さながら、遊んでもらう前の子犬のように、純真無垢な瞳を輝かせるカロンに呆気に取られつつ、アーサーは自身の前髪をわしゃりと掻き上げた。

「……嬢ちゃんはぁ……」

「はい!」

「留守番!」

「……え?」

 途端に落胆したのが見て取れた。やる気満々だったのに、言い渡されたのが留守番では仕方がない。

 しかし、アーサー達とて遊びでやっているのでは無いのだから、こちらもまた仕方がないのである。

「……じゃあ、シャドアル達に着いて行きます!」

「ダメだ、嬢ちゃんは顔が割れちまってる。俺らとここで留守番だ」

 そう言いながら、アーサーはちらりとカロンの顔を窺った。誰が見ても一発で分かる、不満爆発な顔である。

(あの爺さんの孫なだけあって、手強いわ、こいつは……)

 心の中で両手を挙げると、アーサーはソファーから立ち上がり、あの騒がしい酒場へ出るためドアに向かって歩いて行った。カロンが口を開く直前、さらに言うならば扉を開く直前に、一言だけ残して。

「ドアン!」

 音を立てて扉は閉まる。カロンが止める前に、アーサーは逃げてしまった。目の前で閉まった扉に、口を半開きにしたまま呆然としていたカロン。やがてふてくされたように、アーサーが元々座っていたソファーにお尻を落とす。

 少しだけ、反動で体が跳ねた。

「……手伝いたかったなぁ」

「うんうん、そうかいそうかい」

「うん……え?」

 つい返事を返してしまったが、カロンはパッと顔を上げる。今、返事をしたのは誰だ?

 アーサーは出て行ってしまった。美女もいない。シャドアルなんてもうとっくに出て行ってしまっている。

「……誰?」

 突然聞こえた老人の声に、薄気味悪くなったカロンは身を縮めながら訊いた。ふいに、ぺんぺんと膝を触られて、思わず甲高い悲鳴が上がる。

「きゃぁぁっ!」

「うわっ! そりゃないぜ!」

「えっ、ええ?!」

 カロンは目を皿にした。白くもさもさとした眉をしかめ、耳にポークビッツのような指を突っ込んで栓をしていたのは、立ってもカロンの臍の辺りまでしかないであろう、小さな老人だったのだ。

 一応は海賊らしく、頭に赤いバンダナを巻いて、水色と白の横縞のシャツと、麻で出来た半ズボンを穿いていた。

(もしかして、キャプテンが最後に言ってたのって……)

 何か、人名っぽいものを叫びながら出て行ったアーサーを思い出す。あの時は、「ドア!」と言ったのかと思い、ドアと叫びながらドアを開ける人も珍しいよなぁ、なんてトンチンカンなことを考えたが、どうもそうでは無かったらしい。

 丸く膨らんだ鬼灯のような鼻に、ちょこんと乗った黒い遮光眼鏡。手も足も短い。今まで見たことも無いような人種である。

 それをしげしげと観察していたら、向こうも背伸びをして、カロンの顔を覗き込んできた。

「はぁ~、女の子か!」

「は、はい……」

「どうして、女の子がこんなムサい所にいるんだ?」

 相手も大量に酒を飲んでいるらしく、やはり酒臭い。カロンは「またかぁ」なんて思いつつも、ドアンにも経緯を掻い摘んで話し、自己紹介も軽くした。

 聞き終わったあと、ドアンは「へぇ、あのシャド坊が!」などと、大げさに驚いてみせ、さらにカロンの顔を覗き込んだ。

「……嬢ちゃん、いや、カロン嬢ちゃん」

「はい?」

「シャド坊、ああ見えて頼りになる奴だから、宜しく頼むよ」

 きっとシャドアルが聞いていたならば、「何言ってんだよ!」と肩をいからせたことだろう。しかし、あまり言葉の裏に隠された意味を理解していなかったカロンは、ただ素直に頷いた。

「シャドアルは頼りになると思います」

「けっへっへ! そうかいそうかい!」

 笑う度に、口の上に生えた髭がもさもさと揺れる。満足いくまで笑ったあと、ドアンは自分の胸を親指で指し、自己紹介をするのであった。

「おいちゃんの名前はなぁ、ドアンってんだ。小人族の、ドアン」

「小人族?」

「知らねぇのかい?」

 小人族とは、このエルタニオン大陸の地下――神話の『地下の王国』よりも、浅い所だ――に、独自に国を作り上げた一族である。短くも逞しい手足で、どんなに固い地面でも掘り進め、器用な手先で開発した道具は、さらにその仕事を助けた。また彼らは、地下に住んでいる為、その目は日光には弱い。その問題も、器用な手先と、知恵の詰まった頭が解決した。それが、遮光眼鏡である。

「そうなんだぁ」

 ドアンがかけている黒い眼鏡の正体も分かり、納得したようにカロンは頷く。

 ドアンもうんうんと頷くと、ズボンのポケットから何か箱を取り出した。

「……さて、と。カロン嬢ちゃん。シャド坊が帰ってくるまで、おいちゃんとカードでもして待ってるかね」

「カード?」

「ありゃ、カードゲーム知らねぇか!」

 また、もさもさとした眉がひょいと持ち上がる。とは言われても、集落にいる間、カロンはカードゲームなんてやったことが無い。

「はぁ~、そうかいそうかい。じゃあ、おいちゃんが、『精霊のいたずら』でも教えようかねぇ」

 そう言いながら、ドアンはきったカードを二つに振り分けていく。カロンはその様子を、ただじっと見つめていた。興味津々だ。どうやら、アーサーは的確な人選をしていたらしい。

「カロン嬢ちゃんの分のカードを持ってみ。色々絵柄があるだろう」

「うん、髭を生やした人とか、鎧を着た人、長い髪の女の人……」

「それぞれ賢者、騎士、乙女だな。他にも魔女に坊さん、楽士がいる。で、ここに一枚だけ精霊のカードがある。こいつと……嬢ちゃんのカードを伏せて、適当に選んだ一枚を、一緒に重ねて隠す。こいつは今、精霊に気に入られて連れ去られたんだ」

「あっ、つまり、『精霊の愛し子』だ!」

「そういうことさ。誰かが精霊に気に入られて、愛し子として連れて行かれちまった。けど、誰かはわからない。だから、相手のカードを順番に引きながら、同じ絵柄があればここに出して、なければ手元にくわえる。これを繰り返して、最終的に一枚、手元に残っちまったやつが負けさ。そいつが連れ去られた愛し子よ」

「ふぅん……」

 説明を聞きながら、カロンはそろそろとドアンのカードを引く。

「あっ、賢者だ」

「うん、そう言うの言っちゃダメな」

 少しの間だが、緊張も何もせずに落ち着いた時間を過ごせたカロンであった。

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