第9話 キャプテン・アーサー
両脇には美女。
手には酒瓶。
左頬に大きな切り傷のある顔こそ真っ赤だったが、癖っ毛の間から覗く目だけがいやに冷静で、カロンは身震いをした。
そんな彼女を視界に捉えるなり、この酔っ払い船長ことアーサーは、口の端をくいっと歪める。
「ほぉ……シャド。お前もついに、女連れ込むようになったのか」
無精ひげの生えた顎に指を沿わせ、くつくつと喉の奥を震わせると、たちまちシャドアルの顔に朱が差した。
「違います。俺は……その……連れ込んだとかじゃなくて! む、寧ろ! この子を助けたんであって……!」
「はっはっ! 照れんなよぉ、このマセガキがぁ……どれ、シャドが惚れた女の面、しかと見てみようじゃないの。嬢ちゃん、顔出しな」
慌てて首を振るシャドアルは無視して、アーサーはカロンに低く告げる。初な少年をからかうのは、日常茶飯事なのだろう。
予想していた海賊船船長とは違うものの、別の意味でカロンは警戒してしまう。
酒気を帯びているせいもあるだろうが、この男には、年を重ねた男性特有の色気があった。それが、怖い。両脇の美女二人がアーサーに恍惚の視線を送っているのがその証拠と言っていいが、初めて会う素質を持った相手に、カロンは彼女たちのようにはなれなかったのだ。
甘い猫なで声で呼ばれ、カロンはびくびくしながら、シャドアルの影から顔を覗かせた。
「こんにち、は…」
ぎこちなく挨拶をし、また引っ込もうとした時。アーサーの眉が動いた。
「嬢ちゃん…あんた、ディーン族のモンだろ?」
「えっ? あ……はい」
「しかも、さしずめ、族長の孫だな」
「……! 爺様を知っているんですか?!」
引っ込めようとしていた顔が、勢い良く飛び出す。
思いがけないところで突然祖父が話題にのぼり、カロンはその驚きを隠すことができなかった。
「なんで……?」
アーサーは何も言わず、満足げに目を細めた。
カロンとて、自分の容姿がディーン族の特徴を色濃く受け継いでいるのは自覚している。しかし、一目見ただけで、まさか族長の孫だとまで見抜かれるとは思わなかった。
「似てるぜぇ……目元とか、鼻筋とか。あと、毛艶が良いところとかな」
「似てる、だけで……」
「それと、胸元にしまってある
カロンは反射的に胸元を抑えた。旅立つ直前にもらったアミュレットは無くさないよう、服の内側にしまっておいたのだ。それを、いともたやすく見抜かれた。
片眉をあげてやや斜に構えるアーサーは、いかにも「アタリだろう?」と言わんばかりの顔をしていた。
「……爺様と知り合いなんですね?」
カロンが確認するようにそう訊くと、「腐れ縁だよ」と彼は笑う。
「昔ちっとばかし世話になってな。……まぁ、あの爺さんじゃあ、嬢ちゃんに俺の事なんか話さねぇだろうけどよぉ……」
確かに、聞いたこと無い。困惑しているカロンを見て、アーサーは愉快そうに目を細めた。
「くくっ……嬢ちゃん、さっきから見てると、あんた本当に分かり易いな。全部顔に出る」
瞬間、カロンは片手で自分の顔を覆った。これ以上相手に顔をさらけ出しておくと、次に何を言われるか分からなくて恐い。
視線を外し、徐々にシャドアルの後ろへ隠れようとするカロンを見て、アーサーはおちょくるように言葉を続けた。
「おーおー……初なのは嫌いじゃない。が、あともう十年だな。その時にもう一度来たら相手してやらぁ」
「キャプテンッ!」
突如力の籠もった声が、アーサーの戯言を遮る。
見ると、すっかり蚊帳の外だったシャドアルが、眉間に皺を寄せ、呆れと怒りが半々と言った表情でアーサーを睨んでいた。
「おー、こわ。そう怒るなよ、シャド」
それから少し考えた素振りを見せると、ちらりとカロンの顔を窺う。
「……ところで、嬢ちゃんがあんなにとろけた顔をしてるのは、お前のせいか?」
ちっとも懲りていない。
カロンは慌てて自分の顔を確認するように触ったが、確かに頬が熱く、目頭を抑えるとに涙が溜まっていた。
シャドアルはこれでもか! というほどに、強く反発した。
「そんっな訳無いでしょ?! 酒の匂いに少し酔っぱらってるだけでしょう?!」
あ、なるほど。と、ようやく合点がいって納得するカロンをよそに、実はもう既に理由など分かりきっていたアーサーは、
「そうだよなぁ、シャドが女の子をメロメロにさせれるはずねぇなぁ……はぁ~、つまんね。残念だ」
などと、わざとらしく肩を落としてみせている。
「っ、報告しますよ!」
「へぇへぇ。ったく……浮いた話もねぇ」
面倒臭そうに顎髭を撫でるアーサーだったが、カロンの方はというと、とりあえず、ほっと安堵の息を漏らす。
良かった、と言うほか無い。生まれて初めて会うタイプの人物だったので、肩に力が入りっぱなしだったのだ。
「……で、どうだったんだ。シャド」
アーサーはグラスを傾けながら、中に入った飴色のラム酒を飲み干す。濡れた唇を手の甲で拭い、シャドアルに視線を移した。
「抜け穴から地下牢に入れたのまでは良かったんですけど。奴ら、持って無いとか、ふざけたこと抜かしやがって。なんでも、捕まった時に、髭生やした役人が気に入って持って行ったとか……」
「髭生やした役人? ああ、ハープギーリヒか。あの守銭奴、喜々として俺のお宝持って行く様子が目に浮かぶわ……」
はぁ、と溜め息を吐くアーサーの言葉に、カロンは敏感に反応した。
「ハープギーリヒ? あの、虫の触覚みたいな髭を生やした、おじさん?」
「そうそう、そいつだ。……なかなか良い例えするじゃねぇの、嬢ちゃん」
「えへへ……じゃなくて!」
褒められて思わず少し照れていたカロンであったが、パッと切り替えたように、必死な表情で体を前のめりにしてまで続ける。
「私の助けたい人も、そのおじさんに連れて行かれちゃったんです!」
「助けたい人? なんだよ、既に連れいんのか」
「俺が地下牢に潜入して、奴らから話を聞いていた時に、こいつ……カロンも地下牢に捕まっていて。何か悪いことをしそうにも無いし、助けを待っている奴がいるっていうから、助けてやったんですけど……」
アーサーは「お人好しめ」と呟きながらも、指を顎に添わせ、カロンに向けて突如不敵な笑みを浮かべた。
驚きのあまり、思わず凝視してしまいそうになるカロンの前で、アーサーは美女達にぽんと札束を渡す。その札束を手慣れた様子で懐にしまった彼女らは、
「今日もまた気前がいいわね、大好きよ」
茶化すような美女の言葉に、アーサーは口に弧を描いたまま、そっと人差し指を唇に押し当てた。内緒、と言わんばかりに。
「ふふっ、分かってるわ。じゃあね、また来て頂戴な」
「ああ」
おそらく、口止め料も含まれていたのだろう。美女二人組は上機嫌で手を振って、退出して行った。それを見送ると、アーサーはシャドアルを指差す。
「シャド、お前は動けそうな奴数人誘って、ハープギーリヒの所偵察してきな」
「了解です!」
「あくまで、数人だぞ? いいか、気付かれるな?」
「はい!」
きびきびと返事を返すシャドアルを見て、カロンも何か言って欲しくなった。
「私は? 何かやること無いですか?!」
「嬢ちゃん? ……ああ、あるとも!」
「やった!」
喜色満面で飛び跳ねるカロン。ところが、シャドアルはすぐにアーサーに釘を刺しにかかった。
「酒の酌とか、やらせないで下さいよ?」
「……流石、俺の部下だ」
「キャプテン」
「冗談だよ。俺だって、こんなおチビに酌させようなんざ考えちゃいねぇ。ほら、良いからお前はもう行け」
しっしっと、野良猫を追い払うように片手でシャドアルを急かすアーサー。不服そうな顔で出て行くシャドアルなんか、どこ吹く風である。
「えっと、それで船長さん!」
「なんだ?」
「私は?」
まだ、待っていたのか。さながら、遊んでもらう前の子犬のように、純真無垢な瞳を輝かせるカロンに呆気に取られつつ、アーサーは自身の前髪をわしゃりと掻き上げた。
「……嬢ちゃんはぁ……」
「はい!」
「留守番!」
「……え?」
途端に落胆したのが見て取れた。やる気満々だったのに、言い渡されたのが留守番では仕方がない。
しかし、アーサー達とて遊びでやっているのでは無いのだから、こちらもまた仕方がないのである。
「……じゃあ、シャドアル達に着いて行きます!」
「ダメだ、嬢ちゃんは顔が割れちまってる。俺らとここで留守番だ」
そう言いながら、アーサーはちらりとカロンの顔を窺った。誰が見ても一発で分かる、不満爆発な顔である。
(あの爺さんの孫なだけあって、手強いわ、こいつは……)
心の中で両手を挙げると、アーサーはソファーから立ち上がり、あの騒がしい酒場へ出るためドアに向かって歩いて行った。カロンが口を開く直前、さらに言うならば扉を開く直前に、一言だけ残して。
「ドアン!」
音を立てて扉は閉まる。カロンが止める前に、アーサーは逃げてしまった。目の前で閉まった扉に、口を半開きにしたまま呆然としていたカロン。やがてふてくされたように、アーサーが元々座っていたソファーにお尻を落とす。
少しだけ、反動で体が跳ねた。
「……手伝いたかったなぁ」
「うんうん、そうかいそうかい」
「うん……え?」
つい返事を返してしまったが、カロンはパッと顔を上げる。今、返事をしたのは誰だ?
アーサーは出て行ってしまった。美女もいない。シャドアルなんてもうとっくに出て行ってしまっている。
「……誰?」
突然聞こえた老人の声に、薄気味悪くなったカロンは身を縮めながら訊いた。ふいに、ぺんぺんと膝を触られて、思わず甲高い悲鳴が上がる。
「きゃぁぁっ!」
「うわっ! そりゃないぜ!」
「えっ、ええ?!」
カロンは目を皿にした。白くもさもさとした眉をしかめ、耳にポークビッツのような指を突っ込んで栓をしていたのは、立ってもカロンの臍の辺りまでしかないであろう、小さな老人だったのだ。
一応は海賊らしく、頭に赤いバンダナを巻いて、水色と白の横縞のシャツと、麻で出来た半ズボンを穿いていた。
(もしかして、キャプテンが最後に言ってたのって……)
何か、人名っぽいものを叫びながら出て行ったアーサーを思い出す。あの時は、「ドア!」と言ったのかと思い、ドアと叫びながらドアを開ける人も珍しいよなぁ、なんてトンチンカンなことを考えたが、どうもそうでは無かったらしい。
丸く膨らんだ鬼灯のような鼻に、ちょこんと乗った黒い遮光眼鏡。手も足も短い。今まで見たことも無いような人種である。
それをしげしげと観察していたら、向こうも背伸びをして、カロンの顔を覗き込んできた。
「はぁ~、女の子か!」
「は、はい……」
「どうして、女の子がこんなムサい所にいるんだ?」
相手も大量に酒を飲んでいるらしく、やはり酒臭い。カロンは「またかぁ」なんて思いつつも、ドアンにも経緯を掻い摘んで話し、自己紹介も軽くした。
聞き終わったあと、ドアンは「へぇ、あのシャド坊が!」などと、大げさに驚いてみせ、さらにカロンの顔を覗き込んだ。
「……嬢ちゃん、いや、カロン嬢ちゃん」
「はい?」
「シャド坊、ああ見えて頼りになる奴だから、宜しく頼むよ」
きっとシャドアルが聞いていたならば、「何言ってんだよ!」と肩をいからせたことだろう。しかし、あまり言葉の裏に隠された意味を理解していなかったカロンは、ただ素直に頷いた。
「シャドアルは頼りになると思います」
「けっへっへ! そうかいそうかい!」
笑う度に、口の上に生えた髭がもさもさと揺れる。満足いくまで笑ったあと、ドアンは自分の胸を親指で指し、自己紹介をするのであった。
「おいちゃんの名前はなぁ、ドアンってんだ。小人族の、ドアン」
「小人族?」
「知らねぇのかい?」
小人族とは、このエルタニオン大陸の地下――神話の『地下の王国』よりも、浅い所だ――に、独自に国を作り上げた一族である。短くも逞しい手足で、どんなに固い地面でも掘り進め、器用な手先で開発した道具は、さらにその仕事を助けた。また彼らは、地下に住んでいる為、その目は日光には弱い。その問題も、器用な手先と、知恵の詰まった頭が解決した。それが、遮光眼鏡である。
「そうなんだぁ」
ドアンがかけている黒い眼鏡の正体も分かり、納得したようにカロンは頷く。
ドアンもうんうんと頷くと、ズボンのポケットから何か箱を取り出した。
「……さて、と。カロン嬢ちゃん。シャド坊が帰ってくるまで、おいちゃんとカードでもして待ってるかね」
「カード?」
「ありゃ、カードゲーム知らねぇか!」
また、もさもさとした眉がひょいと持ち上がる。とは言われても、集落にいる間、カロンはカードゲームなんてやったことが無い。
「はぁ~、そうかいそうかい。じゃあ、おいちゃんが、『精霊のいたずら』でも教えようかねぇ」
そう言いながら、ドアンはきったカードを二つに振り分けていく。カロンはその様子を、ただじっと見つめていた。興味津々だ。どうやら、アーサーは的確な人選をしていたらしい。
「カロン嬢ちゃんの分のカードを持ってみ。色々絵柄があるだろう」
「うん、髭を生やした人とか、鎧を着た人、長い髪の女の人……」
「それぞれ賢者、騎士、乙女だな。他にも魔女に坊さん、楽士がいる。で、ここに一枚だけ精霊のカードがある。こいつと……嬢ちゃんのカードを伏せて、適当に選んだ一枚を、一緒に重ねて隠す。こいつは今、精霊に気に入られて連れ去られたんだ」
「あっ、つまり、『精霊の愛し子』だ!」
「そういうことさ。誰かが精霊に気に入られて、愛し子として連れて行かれちまった。けど、誰かはわからない。だから、相手のカードを順番に引きながら、同じ絵柄があればここに出して、なければ手元にくわえる。これを繰り返して、最終的に一枚、手元に残っちまったやつが負けさ。そいつが連れ去られた愛し子よ」
「ふぅん……」
説明を聞きながら、カロンはそろそろとドアンのカードを引く。
「あっ、賢者だ」
「うん、そう言うの言っちゃダメな」
少しの間だが、緊張も何もせずに落ち着いた時間を過ごせたカロンであった。
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