柚木呂高

 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。それは最後のページ、鏡文字でただ「会いに行くから」とだけ記述されている。その日記を最後に僕の母は失踪した。誰に会いに行くのか、なぜ僕を捨てたのか。母は失踪の五年ほど前から僕を無視し始めた。僕が話しかけても、母のその態度に怒っても、悲しんでも、心を病んで狂言自殺で関心を惹こうと思っても、母は僕に見向きもしなかった。母の態度はさまざまな邪推を惹起し、僕の心に黒い感情を分泌させ、それが化膿を起こし、なぜ生まれてきたのか、何故愛されていないのに生きねばならないのか、そういった感情が口から滲み出てきた。何か気に触ることをしたのか、自分が優秀ではないから見限られたのか、二十代半ばの若さの特権である根拠なき自信と未来への希望がみるみると萎んでいき、人生がなんの変哲もないただの道端の石ころのように小さく凝固していった。僕は疲れ切って老けた。それが僕の二十六歳の頃の話だから、失踪してから優に四年は経っている。僕は三十代になっておじさんの仲間入りをした。心の病は宿痾となって今も蝕んでいる。

 結局何度か走り読みした日記からは僕の何が原因だったのかは判然としない。僕は統合失調症になりながら、人の考えを邪推しては怯えて仕事をしている。大学を卒業して、就職した時も祝いの言葉はなかった。逆に僕は、僕はそれまでの母を愛していたのだろうか、少し怪しい。

 母は美大生時代に僕を産んだ。二十一歳の時だ。一部の美大生特有の既存のモラルを唾棄する性質を母も持っていたのか、単に金が欲しかったのかはわからないが、どうやらキャバ嬢をしていたらしい。また僕が中学生の時、遊びに来ていた母の男友達二人が、彼女の離席中「遠山は絵はアレだけどフェラは上手いからな」「わかるそれ」という会話をしていて、子ども同士が使うセックスに関する用語の面白さから離れた、大人の生々しい言葉が粘液でねばつかせながら僕の耳に入ってきたことに、ひどくショックを受け、青少年特有の処女信仰の柔らかい感性に傷をつけた。僕は気分が悪くなると同時に母親が性に奔放だったという事実を知ることになる。僕の母親は所謂ビッチだ。そのことが僕の頭の隅にこびり付いて腫瘍のように思考が吹けばコリコリとした感触をその身に感じるようになった。

 日記を閉じて部屋がもう暗くなっていることに初めて気づく。照明をつけて冷蔵庫からビールを取り出してPCを点けると、幼馴染からLINEの連絡が来ていた。そういえばスマフォをその辺に放っておいたから気づかなかった。

「今度の日曜日嫁が子供連れて実家に帰るから空いてるんだよね、久々に飲みに行かない?」

 この病気になってから人付き合いが本当に疎遠になってしまった。人が関わるところには悪意と策謀があり、僕の何かを餌に自分が良くなることしか考えていないと思い込むようになっていた。実際はそんなのは全て邪推の域を出ない妄想なのかもしれない。しかしそれは根強く僕の心に巣食っていた。だとしてもいつまでもこうして人を避け続けるのも本意ではない。相手は気心の知れた幼馴染だ。たまには良いじゃないか。母親に捨てられたことを何年も根に持つよりも、今存在する人間と関わっていくことの方がずっと大事だ。

「行こう、久々に話するのが楽しみだ」


 幼馴染との待ち合わせはお互いの路線が交差する新宿の東口のベルクの近くで、そこから三丁目の方へ向かって歩いていき、僕たち二人のお気に入りモツ煮の居酒屋に入る。幼馴染は真っ直ぐと僕を見ながら屈託のない笑顔で乾杯を促した。僕は目を泳がせながらそれに応える。幼馴染は結婚してから音楽活動を辞めていた。僕も病気になってから音楽をやらなくなった。十年前の僕らが今の僕らを見たらなんて言うだろうか。より良い人生を手に入れたと言うだろうか、それとも落胆するだろうか。僕の場合は落胆するに違いない。あんなに沢山あった自信がまるで消え失せて、おどおどしているだけの人間に変わり果ててしまったから。それに対して幼馴染は人生をちゃんと生きている。音楽という夢を諦めて、家族を作り、仕事で出世して、毎日充実した時間を過ごしている。

「どうしてそう思う? 俺が音楽辞めて後悔していないとでも? 俺だって時間があればいつでも再開するぜ、でも子供もまだ小さいし、妻も仕事をできる状態じゃないから俺が仕事をしているだけさ」

「ああ、その、すまない、変に邪推したみたいで」

「邪推は今のお前の癖だろ、しょうがないよ、人と比較して卑下して、相手がいい状態で自分が悪い状態で、人は自分に敵意を持っていて自分はいつも被害者で、でも忘れないでくれ、他人はお前のことなんか気にしていないし、俺も敵意なんて持っていない、いい友達だと思ってるんだ、また一緒に音楽再開できるといいな」

「ああ、ごめん、そうなんだよな。わかってる」

 その言葉で少し心が軽くなって、僕は幼馴染といろんな話をした。お互いの今の状況の話から青春時代の話、幼少期の話など。僕らの人生の走馬灯みたいだった。酸いも甘いも噛み分ける、というにはまだ未熟な僕らだが、それでも積み重なった思い出は色とりどりに見えた。それだけに今の僕がひどくモノクロームな状態になっていることに僕自身、痛みを覚えないわけにはいかなかった。

「小学生の頃の運動会でさ、お前がコケそうになった時、おばさんがさっと出てきて助けたの凄かったな、すごい印象に残ってるよ、大ゴケしたらきっと大怪我になっていただろうから、みんなお前のおばさんの反射神経すごいな、って若かったしな。今の俺らより若いくらいだろ?すごいよなぁ」

「いや、それ僕大ゴケして怪我したんだよなぁ、ギャン泣きしてさ、なんか記憶違いじゃない?」

「いやいや、お前のおばさんが大活躍で場が湧いたんだぜ、はっきり覚えてるよ」

「あれ、でも、うーんそう言われてみればそうだったような、なんかおかしいな、そう思う反面やっぱりコケてる気もするんだよな」

「まあ昔のことだから記憶のエラーが出るくらい不思議じゃないな。お前のおばさん美人だったよなぁ、親の周りではいい噂は流れてこなかったらしいけれど、俺らにとっては美人の優しい人っていう印象だったわ」

「まあ、いなくなっちゃったんだけどね」

 幼馴染は気まずそうに頭を掻くとグラスを空けて追加の注文をした。狭い店内は人でごった返しており、確かに僕の話を気にする人なんて目の前の幼馴染以外にはいそうになかった。それだけにまたこうやって暗い話に転がりそうになってしまう。身のうちから皮膚を伝うタールを拭い去って再び明るい口調で声を出す。

「大丈夫独りも結構慣れてきたから」

「ならいいけどさ、また飲みいくべ、みんなも心配してるぜ、たまには顔出しな」

「ありがと、考えておくよ」


 帰り道は小糠雨が降っていた。火照った体にはちょうど良いくらいの冷たさだ。それにしても思い出の不一致、どうにも気になって仕方がない。僕の記憶には確かに母親に助けられた記憶と大泣きした記憶が混在している。実際のところはどうなのだろうか。母ならもしかしたら記録をつけているかも知れない。僕の中で母の日記を見ることはもはや抵抗を受けなくなった。記憶に残る出来事だから母も何かしら書いているはずだ。母の部屋に行って何冊もある日記を古い方から手に取ってパラパラとめくってみた。程なくして小学生の頃の僕のことが書いてある日記帳を見つけて、その中からあたりとつけて確認をしてみる。あった、「十月九日、中距離走中彰人がしこたま転んで大泣き、石ころが悪いところに落ちていて四針縫うことに」うん、やっぱり僕の記憶の方が正しかった。幼馴染が間違っていることが証明された。しかし視界の端に小さな文字で違和感のある記述がある。違和感とは鏡文字で書かれた文字だから。「間一髪」それだけが書かれていた。

 何が「間一髪」なのか、これがもし僕が転ぶのを防いだことだとしたら、僕は転ばなかったことになる。でもおかしい、確かに僕は転んでいるはずで、やはりそれに間違いはなさそうなのだ。だが、一つ発見がある。鏡文字はもしかしたら他のページにも紛れ込んでいる可能性が出てきた。僕は一番新しい日記を取り出して、例の謎のページから遡ることにした。

 一日前、二日前には特に記述はなかったが、三日前になると、日記の隙間にまた鏡文字が現れた。「変わり映えがない毎日、疑わしい」やはり意味不明だ、変わり映えのない日々ならわざわざ書く必要があるのだろうか、何か変化を求めていた?元の日記は買い物をして仕事を恙無くこなしたことが書かれているのみだ。変化のない日常、僕を無視している以外は異常なところはない。

 さらに一週間ほど遡るとまた見つかった。電車で座ろうとした席を横入りで座られたことが書いてある、非常にどうでも良い。鏡文字は「座る席の前に陣取って座ってやった、これは本当のことなんだ」と書かれている。「間一髪」もそうだが、矛盾する事実を鏡文字で書いてあることが多いように思われる。

 遡っていく。鏡文字の「明日は打ち合わせ、相手が嫌なやつで次から次へいちゃもんをつけてくる。朝のうち、先に修正内容を全て潰して文句が言えないようにしておこう」翌日の日記を見てみると打ち合わせのことは書いていない、スーパーの安売りのことだけが書かれていて、鏡文字も記入されていない。僕は酒の残った頭が火照っているのを感じる。気付かなかった母の一面が新たに現れて困惑しているのかも知れない。コップ一杯の水をウォーターサーバーからついで一気に飲み干す。頭をブルリと振るってクールダウンさせる。この日記には秘密がある、僕の知らない母の秘密を除き見ているという少しの罪悪感を抱えながら、再び日記を捲っていく。

「打ち合わせは良好、相手に一つの文句も言わせずに終えた」、普通の日記の方は打ち合わせで文句を言われたことを書いてある。再び矛盾だ。そしてこの日記は先の日付の前日のものである。

「ありえない、でも。もしそうなら説明がつく」

 母は日付を逆行して日記を書いている。

 酒の酔いもあるのか考え方が飛躍してしまっている気がする。夢現の中に紛れて机の引き出しから麒麟が飛び出てくるような突拍子もなさだ。でも、もしそうだとしたら、どうやって、いやそれ以上に何の為に。

「どうやって」は今の僕の頭では理解できそうにない、超常的な現象があって、それがどんな理屈で動いているかなんてオカルト知識も科学知識もない自分には全然わからない。しかし「何の為に」はこの日記を追えば理解できそうな気がする。性に奔放である種利己的だった母が「何の為に」僕を捨てて行ったのか。長年の疑問が解けるかも知れない。母という、僕にとって思い出すだけで苦く、暗く、重い気持ちになる存在が彼女の日記という、ある種の秘部によって暴かれ、もしかしたらその黒い気持ちに意味を与えてくれるかも知れない。そしてその意味さえあれば、僕は過去を諦め再び前を見て歩き出せるかも知れない。

 ページをめくる手が震える。いくつかの普通のページが続いて再び鏡文字が現れる。「記録をしていれば競馬で当たりを出すのも楽にできる。しかし私はこのお金を翌日に持っていくことはできない。私の残りの人生は片道キップの不可逆なものだと聞いた。ならば後悔しないようになりふり構う必要なんてない」競馬なんて誰でも思いつく一番低俗な利己的行動だ。「毎日朝に弁当箱を洗って弁当を作る、夜は触らずに眠る。あの弁当箱は何処に行くのだろうか」弁当、確かに無視されていた間も弁当は毎日あった。それはただ単に母の義務感から来る惰性のものかと思っていた。僕は結局その弁当を食べて大学や会社に通っていた。だがやはり気になるのは、いくら遡っても僕のことが言及されていないこと、まるで存在しないみたいに扱われている。僕はそこまで母に恨まれることをしたのだろうか。

 弁当のくだりでもう一つわかったことは母は逆行と言っても、時間を単純に遡っていると言うよりは、一日を順行で生きて、翌日に日付を遡っているようだ。遡った先は何があるのだろうか、自分の生まれた日に戻って、無に帰るのだろうか。誰もが訪れる死とその後の無と言うものを想像すると広大な宇宙を想像するような茫漠とした恐怖を覚える、無限のような巨大で、何の意思も介在することのない世界、恐ろしくてたまらない。不可逆の逆行とは、母は生まれる日まで遡って無に帰ったのだろうか。そう考えると母は失踪したのではなく、過去へ戻っていったからそれ以降の存在を観測できなくなったと考えるべきだろうか。どちらにせよ、何によってそのような判断をしたかに関わらず、母は僕と過ごすその先の人生を捨てて過去へ行ったことには違いがなかった。

 しばらく読み込んでいくと、母の行動は競馬からの散財など、利己的で刹那的な行動が目立っていた。仕事もしてはいたが、日記に記した嫌な思いを避けるように立ち回って、ストレスのない日々を過ごしている。二巡目の人生をするなら、という行動を地で行っている。そこには淀みのない自己中心的な行動が見受けられる。僕らにとっての明日がないから、そこに全て置いていくような過去への逆行。

 僕は心の何処かで母を嫌いになろうとしている。この日記を読んでいるとそれを感じる。母の年齢は僕と二一歳しか離れていない。僕が大学で母の弁当を食べていた時分に母は僕を育てていた。そこのところは若くして苦労したのだろうということが伺われるが、それでも母が僕を愛していたと言うにはどうにも納得が行かないのだ。だから、この一方的な依存を断ち切る為に僕はこの日記から母のあらわになった人間性を浴びて、彼女を嫌うことでバランスを取ろうとしている。アンフェアな状態とは言えないが、これは僕が前を向くための工程であり、母を許すための行動ではない。


 深夜も四時を過ぎると、もう翌日という気がしてくる。一晩中日記を遡って、鏡文字を探し続けていた。二年ほど遡って鏡文字はせいぜい三十日分あるかないかだった。彼女は自分の感情を日記に書くことがあまりないのか、事実を淡々と記述している。たまに見せるのは苛つきか、短絡的な喜びに限られている。とは言え、このような日々のために彼女が未来ではなく過去を選んだとは考えにくい。若さをもう一度楽しむとか、不明な僕の片親に会うのが目的だとか、何かしら過去だからこその理由があるに違いない。不可逆の逆行という、自分の未来に何の益もない過去への旅は、未来よりも過去に未練がある者の選択だ。だが、遡って見えてくるのは些末な出来事の改変に留まっているということだ。本当に目的があって遡っているのか、それとも、失われた二十代の青春を取り戻すことが目的なのだろうか。僕が二十代の頃はまさに遊び盛りだったから、それが育児で失ってしまうことの寂しさ、苦しさが少しばかりわかる気がする。僕のことを無視して捨てるくらいなのだから、少しくらいのネグレクトも今の母なら罪悪感なくできるようになっているだろう。幼少期のことは上手く思い出せない、覚えているのは幼稚園児くらいの頃だろうか、ある日僕がアイスを食べているときに、この味が消えてしまう、永遠に失われてしまうことの恐怖に急に襲われたとき、僕は「死にたくないよ」と泣いたことがあった。その時母は僕の頭を撫でて、「未来には死ななくなる薬が開発されるから誰も死ななくなる」と嘘をついた。覚えている限り、唯一優しい思い出な気がする。

「嫌いだった上司を退職まで追い詰めてやった。一日でできることは全てした、私は人と違って未来に繋がらない逆行の日々を過ごしているが、こういうことができたとき胸がとてもスッとする」

 優しい思い出があったからと言って、この日記を通して僕の嫌悪感が増していくのを感じている。これは一種の治療だ、母というものを見下げ果てたときに僕は母の呪縛から解放される。この日記は僕の思った通りの内容が書かれている。僕はページを捲る手に力が入り始めているのを自覚していた。抜け出せる。母親への嫌悪が僕を解放してくれる。

「涙が流れる、感情は翌日、いや過去の感情を引き継いでいるらしい、この苦しみが私に力を与える」

 日記は気づけば五年前のものまで遡っていた。ああ、母が私を見限った時期が近い。五冊の日記帳、その間に僕への言及はなし。ここまで冷えていると心の黒いものが一つの塊に凝固するようにわだかまってくる。

「憎しみが全身を覆う、殺してやりたいと思う気持ちが身体の毛穴からにじみ出てくる」

 復讐のための逆行、ありそうなものだ。母はもはや未来に未練のない無敵の人になっている、もし人生が不可逆の逆行なら、未来はどうあれ、彼女には関係がないのだ。今までの書き方や行動から彼女は未来を大きく変えるような行動をしていない。不可逆の逆行に於ける行動は、そのまま未来でも適用され、逆行の行動に上書きされていると考えるべきだろうか。残念ながら彼女の日記からは順行の日記も逆行の日記も、僕に関して何かをしようという意思が見られない、コミュニケーションを取った事実もないのだ。

 寂しさが、悲しみが湧き出てくる。まるで存在しないもののように扱われる辛さ、その仕打ちが齎す自信の喪失、自分がここに居てはいけないという自責。

 ページを捲る手が震える。

「憎しみが私の心を貫く、それでも私は復讐を良しとしない、簡単なことだ、私は嫌われても彰人を一日自分のそばに置いておくだけでいい、それだけで息子は救われる。そしてそれは成功した。彰人、今日からはまた一緒に暮らせるね」

 突然現れた僕に対する言及、僕の外出を邪魔した記憶は確かにある。同時に外出した記憶もある。でも外出した記憶は友人と買い物をして、その帰り道のところでふと途切れている。今日みたいに酒に酔っていたのかも知れない。逆に普通の日記の方には「何も言葉が出ない」とだけ書かれていて詳細がわからない。母は自分の記憶を呼び起こす何かしらのキーワードだけで日記を終わらせる癖があるようで、第三者が読んで具体的な状況を想像するには情報が足りない。僕はこの酒が残り、徹夜で煤けた脳でこれらを推理しながら読み解く必要がある。大丈夫、僕はこの曖昧な頭で夢現のうちに超常現象的な事実(としかもはや思えない)答えにたどり着いた。突拍子もない事実でも今の僕はきっと納得してしまうだろう。

 母の目的、何かあるに違いない、復讐、僕の父との再会。このどちらかに目的があると思った母の日記は、その予想に反して鏡文字が激減し、あってもほぼ日常のことだけに言及されているに留まった。なにか見落としているのではないか、と考えたとき、ふと、記憶が二重にある日は母が未来を変えたときに惹起している。つまり、先の僕に対する言及の日に、僕は二つの現実を経験していることになる。母は何の為に僕の邪魔をした? 何か疚しいことがあったからか? 母に未来を変えられる前僕は何をしていた? 母の邪魔になる何かをしていたはずだ。思いだせ。

 光、音、衝撃、その後暗闇、無音。それからは何も覚えていない。そう言えばこの日を境に母は口を利かなくなった。やはりここに母の邪魔となる事実がある。

 しかしそれ以降の記憶は母に無視され始め、腹を立てたり、弁当を捨てたり、怒鳴り散らしたり、それでも全く聞く耳の持たない母を前に絶望を味わったときの感情だけが思い出される。

 違和感がある。違和感がないことに違和感がある。母が未来を変えたとき、僕は二重の記憶の混在を感じた。いくら無視しているからと言って、母が僕に干渉しないなんてことは同じ屋根の下で過ごしていればありえない。そこには何かしらの二重の記憶が発生するはずだ。それなのに、この日を境に僕は記憶を一つしか持っていない。何も覚えていない、あの日。本当に何も覚えていないのか、そもそも覚えることができないとしたら。無。そう無だ。死の先にあるもの。身体を襲った衝撃。僕は、死んだ?

「彰人、生まれてきてくれてありがとう。私の人生はこのためにあったと言っても過言じゃない。あなたと過ごした時間と、あなたがこれから過ごす時間こそが私の宝物」僕が生まれた日に書かれた鏡文字。

 母は、僕を守った? 命を助けるためだけに自分の未来を投げ売って、過去へと進み、僕の命を守ったのか? もし、母の不可逆の逆行というものが、逆行を始めた時点で僕の命を救った未来が確定させたのではなく、母の逆行がその日その日を変化させ、彼女が実際にその日にたどり着くことでしか未来を変化させることができなかったのであれば、過去へ向かう彼女は変化した未来を観測できなかった可能性がある。母は、僕を無視したんじゃない、僕が見えなかった、感じられなかった、いや、僕がいない過去を一人で歩き直したんだ。

 僕は滂沱と涙を流した。こんなもの妄想そのものだ。僕が母に愛されなかったのを空想で曲解し、自分の心を救おうとするパラノイアの発想だ。僕は日記を手からこぼして、ただひたすらに感情をぐちゃぐちゃにした。憎しみを上回る切なさで僕は頭がおかしくなりそうだった。落ちて開いた日記のページは僕が生まれてから三日目のものだった。

「お弁当、食べてくれてるといいな」

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