3.理解
皆の稽古開始から少し遅れて、私の稽古も始まりました。
まずはただ脚本を見ながら、声に出して読むところからです。舞台上でどう動くかなどはまだ決めません。この段階では、台詞を頭に入れる、というのが主な目的です。イントネーションの確認、間の取り方や抑揚の付け方などを演出家とすり合わせる意味もありますが、これらは後の稽古でも調整していきます。とにもかくにも、まずは台詞を覚えるところから。
家で脚本を読んだ時考えていたのは、どんな物語か、演じる役はどんな人物か、でした。
今考えているのは、どうしたら『彼女』に近づけるか、いや、「なれるか」です。声に出して脚本を読むと、『彼女』がどういう人間かを強く意識するようになります。自分の口から発せられる台詞。果たして『彼女』はこんな声なのか。こんな性格なのか。こんな感情なのか。
『彼女』に近づきたい。その気持ちに反して、全くと言っていいほど『彼女』への理解は及びませんでした。私は金銭的余裕もなく、恋人がいたこともない。気が小さく臆病です。いつも人の顔色を窺って生きています。対して『彼女』は裕福で、溺愛してくれる恋人がいます。楽観的でやりたいように生きている。自由です。私と『彼女』の共通点といえば、性別くらいなものでしょうか。稽古をする中で、台詞は頭に入りますが、そこに感情が伴いませんでした。
私は劇団の代表に相談することにしました。彼は『コノハズク』の代表であり、脚本家であり、演出家です。今回の脚本を書いたのも代表です。餅は餅屋、脚本は脚本家。生みの親ですから、きっと『彼女』について一番詳しいはずです。
「あのぉ、代表。私、全然『彼女』のことが理解できないんです。私と違いすぎるので。代表は、この子をどんな人間だと思って脚本を書いたんですか?」
代表は、私が役作りに悩んでいることに気付いていたようでした。代表の中には明確な『彼女』の像がありましたが、私に教えてくれたのはその一部だけでした。
「彼女は何一つ不自由していない。」
「彼女は自分にも、他人にも、世界の全てに期待していない。」
「彼女は自分が空っぽだと自覚している。」
それを聞いて『彼女』のことが少し分かったような気がしました。私はまだ空っぽではありませんが、空っぽに近い状態であると自覚しています。私の中にある、「演劇への情熱」。これが無くなれば、私も『彼女』と同じ、空っぽになるでしょう。空っぽになるということは、生きる目的がなくなるということ。彼女が死を選んだのはそういうことかもしれません。
とはいえ、『彼女』について理解できないところもまだまだ残っています。私は少しでも不安を拭う為どうすればいいか考えました。そして思いついたのです。それはとても単純な方法でした。『彼女』っぽく行動する。もちろん金銭面などの違いから、できないこともありますが、できるだけ『彼女』がしそうな行動をとるよう意識しました。
これが意外と、単純に見えて困難な挑戦となるのです。
正気の沙汰 金魚草 @tosakinn-gyo
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