正気の沙汰

金魚草

1.おまけの私

一人芝居をすることになりました。

この小さな劇団に入って3年、ようやく頂いた大役です。



私は劇団『コノハズク』に所属しながら、スーパーでパートとして働いています。

演劇に出会ったのは大学生の時。

「演劇サークルです! 活動日は月水金。興味ある方、お待ちしています! 自分とは違う人生を演じてみませんか?」

惹かれました。その誘い文句に、生き生きとした表情に。

気が付けば私は演劇サークルに入っていました。裏方として。本当は舞台に立って、自分とは違う「刺激的な人生の誰か」を演じてみたかったですが、勇気がありませんでした。私は昔から、臆病者でした。



大学を卒業した私は、縁もゆかりもない土地で生活することにしました。

私のことを知る人がいない土地ならば、少しは変われるのではないかと考えたのです。

就職したのはある会社の事務職でした。

演劇とも関わり続けたかった私は、この街に劇団はないか探しました。

唯一見つかったのが、今所属している『コノハズク』です。



ここは初めにもお伝えした通り、小さな劇団です。

スタッフと演者を含め13人。

公演は年に4回します。

公演が決まると稽古が始まります。稽古はたいてい夜遅くまで及びます。また、人数に限りがあるため演者も裏方作業を行います。なかなかにハードです。

昼は会社で事務職、夜は劇団での稽古という忙しい毎日は確かにしんどかったですが、充実していると感じました。



ところがそんな生活を続けていたある日、問題が生じました。事務職の残業が増えてきたのです。仕事を放り投げて劇団に行くわけにもいかず、稽古に参加できない日が増えました。

はじめはそれでも、何とか仕事と劇団を両立させようと頑張りました。しかし残業の頻度は増え続け、ついにほとんど毎日、夜遅くまで会社に残るようになりました。



私は選択を迫られました。仕事か、劇団か。



私は劇団を続けることを選びました。迷いはありませんでした。

残業続きなこともそうでしたが、上司とのそりが合わず、事あるごとに嫌味を言われる毎日で心身共に疲弊していた私は、これをチャンスだとばかりに会社に退職願を提出しました。

この街での生活を始めて8か月目のことでした。



微々たるものではありましたが貯金のあった私は、そこからしばらく劇団での活動に専念しました。芝居の稽古に裏方作業、掃除や買い出し、洗濯をすることも。新人の私にはやらなくてはいけないことがたくさんあります。参加出来なかった時間を取り返すように働きました。忙しいのは嫌いじゃないですし、何よりサークルでの日々を思い出して楽しく活動していました。他の劇団員の方とご飯に行く日もありました。一日一日が過ぎていくのをとても早く感じました。



会社を辞めて4か月、この街で暮らし始めて1年。劇団からの収入も一応ありましたがそれだけで生活をするのは難しく、貯金もみるみる減っていきました。

朝食:もやしの味噌汁

昼食:もやしのナムル

夕食:もやし炒め

なんて日もよくありました。

さすがに劇団の収入だけで生活するのは無理だと判断した私は仕事を探しました。劇団での活動を優先して働ける仕事はないか。それがスーパーでのパート勤務でした。



正社員として働いていた時に比べるともちろん生活に余裕はありませんが、それで別にかまいませんでした。毎月できるだけ節約すれば貯金も可能です。もやし以外のものも食べられるようになりました。

そんな生活を2年続けてきました。

この街で暮らし始めてからは、3年が経ちました。



そしてその3年の間、私が舞台の真ん中に立つことはありませんでした。演じるのは脇役ばかり。もちろんそれでも有難いことです。ただ、そんな万年脇役の私が、どうして急に一人芝居を演じることになったのか。



今度の公演は、『コノハズク』初の二本立て舞台です。一本は私の一人芝居。公演時間は15分。もう一本は他の役者たちが出演するオムニバス形式の劇。公演時間は1時間30分。



本当は私ももう一本に出演するはずでした。しかし脚本が完成してから、新しい劇団員が入ってきたのです。役者希望で、私なんかよりずっと芝居が上手い人でした。そのため私がキャストから外されることになりましたが、不満はありませんでした。より良い作品を作るのには正しいことだと思います。

私はそれでよかったのに、劇団の代表が気を遣って一人芝居の脚本を追加してくれたのです。



今度私が行う一人芝居は、正直言えばおまけみたいなものです。期待もされていません。でもそれで十分です。

むしろ臆病者の私は、期待されていないことが助けのように思います。余計なプレッシャーを感じずに済みますから。ただ、ようやく頂いた、舞台の真ん中でのお仕事。

全力でやってみたいと思います。演劇に対して熱意はあれど、どこまで本気で向き合えるのか、私も試してみたいのです。

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