「魔界銀行と消えた孫」 絆を取り戻す女性たちの冒険

神崎 小太郎

全1話


 いつもの銀行が、今日に限って異様な静けさに包まれている。給料日の朝だというのに、通常の喧騒が一切なく、ただ私とお年寄りの女性だけがATMに並んでいるのが見える。


 私は、前にいるおばあちゃんがATMの操作に手間取っているのを見て、心の中で葛藤しながらも、やがて彼女に声をかけることにした。


「大丈夫ですか? 何かお手伝いしましょうか?」


「あら、ありがとう。この機械の使い方がよく分からなくてね。孫の優斗が困っているの。一刻も早く振り込みをしてあげたいのよ」


 彼女は自らを典子と名乗り、新札の一万円札をぎっしり握りしめていた。ざっと見積もっても、数百万円はあるだろう。しかし、まだATMコーナー以外はシャッターが閉められており、周囲には銀行のスタッフの姿がなく、私たちだけがそこに取り残されていた。


「どこに振り込めばいいんですか?」


 彼女は、振り込み先の銀行名が書かれたメモ用紙を私に見せた。


 そこには、「Demon World Bankデーモンワールドバンク」と書かれていた。直訳すると「魔界銀行」。孫の優斗さんは「すぐに振り込まないと大変なことになる」と急いでいたという。これはもしかして詐欺ではないだろうか……。


 私は心の中で疑問符を投げかけながらも、お年寄りの頼みを見て見ぬふりができなかった。だが、まずは典子さんが詐欺の被害に遭っている可能性を確認する必要があった。


「少しだけ待ってください。これは、詐欺かもしれません。 『魔界銀行』なんて聞いたことがありません。お孫さんにもう一度連絡を取ってみましょう」


 典子さんは戸惑いながらも、私の提案に頷いた。そして、私たちは近くの公衆電話へと歩いていった。


 電話をかけると、彼女の孫を名乗る男が応じてきたが、その声は機械的で感情が感じられなかった。私は受話器を取り、厳しい口調で問いただした。


「本当に優斗さんですか? 『魔界銀行』に振り込めとは、どういうことですか?」


 電話の向こうからはしばらく沈黙が続き、そして不気味な笑い声とともに答えが返ってきた。


「ああ、ようやく気づいたか。俺はそこの年寄りの孫ではない。だが、その金はもうすぐ俺のものになる」


 その瞬間、電話は途切れた。私たちは顔を見合わせ、何が起こったのか理解しようとした。そのとき、電話ボックスの足元に影が落ち、振り返ると黒いマントを纏ったこの世の者とは思えない不思議な男が立っていた。


「おばあちゃん、その金を俺に渡せ。そうすれば、孫の命だけは助けてやる」


 男の声は低く、威圧感があった。


 けれども、私は彼が詐欺師であることを直感した。私はおばあちゃんの手を引き、その場を離れようとした。だが、男は私たちの前に立ちはだかり、道を塞いだ。


「逃げるな。俺は魔界から来た。優斗は今、魔界の城に閉じ込められている。金を渡さなければ、彼は限りなく魔界に囚われる」


 優斗さんは魔界の怪しいネットカジノに手を出し、大きな損失を出したという。カジノの使者は彼の欲望を見透かしたように、包み隠さず証言してくれた。


 静かな夜更け、都会の明かりが遠く霞んでいる。部屋の中はただひとつの画面からの光だけがすべてを照らし出していた。パソコンの画面に映るのは、カラフルなスロットマシンや魅惑的な音楽、そして絶え間なく点滅する “BIG WIN” の文字だ。


 だが、その背後には、見えない糸が操る危険な罠が隠されている。彼は、ただちょっとした好奇心から始めたネットカジノに、いつの間にか深く嵌っていた。

 最初の勝利は、彼に未知となる高揚感を与えた。けれど、それは欲望を駆り立てる一時的な幻想に過ぎなかった。勝つたびに、彼はもっと大きなリスクを取るようになり、負けるたびに、取り戻そうと必死になった。


「ただ一度の勝利で、すべての局面が変わる」という甘い誘惑が、彼の理性を曇らせていく。彼の貯金は徐々に減り、借金は増え続けた。友人との関係も、ギャンブルの渦に飲み込まれていった。


 ある日、優斗さんは自分がどれほど深い穴に落ちているかを悟った。画面の向こう側には、彼の人生を狂わせる怪物が潜んでいたのだ。しかし、そのときにはもう遅かった。彼は自分の全てを賭けてしまっていた。



 ✽


 私はカジノの使者の目をじっと見つめて、「人の弱みにつけこむなんて許せない!」と叫んだ。男の目には、人間とは異なる深い闇が宿っていた。この男はただの詐欺師ではないかもしれない。私の心は恐怖とともに震え上がったが、冒険を始める決意にに満ちていた。


 私は深呼吸をして、おばあちゃんの手を握りしめた。


「大丈夫ですよ、おばあちゃん。私が守りますから」


 そう言って、私はその不思議な男に立ち向かった。


「魔界から来たと言うなら、証拠を見せてください。そうでなければ、私たちはここから立ち去ります」


 男は一瞬たじろいだが、すぐに笑みを浮かべた。男を突き放そうとすると、空間が歪み始め、目の前には暗闇の地下へと続く深い穴が現れた。それはまるで、地下帝国への入り口のようだった。


「これが証拠だ。さあ、金を渡せ」


 男はマントから魔法陣にルーレットが描かれたカードを見せた。それは、魔界のカジノへの通行証だという。一度大きい当たりを経験すればするほど、のめり込んでしまうのがギャンブル。優斗さんは、大金を得られるかもしれないという欲と刺激に駆られて自分を見失ってしまったのだろうか……


 私は躊躇しながらも、一計を案じた。


「分かりました。でも、金を渡す前に、私たちを魔界のカジノへ連れて行ってください。お孫さんが無事なのを確認したいのです」


 男はしばらく考え込んだ後、頷いた。


「良いだろう。だが、魔界は危険な輩が多いところだ。覚悟しておけ」


 私たちは手を繋いでその黒い穴に向かって歩き始めた。穴の中は冷たく、暗闇が私たちを包み込んだ。そして、次の瞬間、私たちは全く異なる世界に立っていた。


 魔界は異様な美しさを湛えていた。空は深紫の一色に染まり、星々は赤や緑の光を放ちながら蠢いている。地面は黒曜石のように光り輝く石畳で覆われ、その割れ目からは時折、青白い炎が噴き出していた。


 遠くには、骨のように白く、尖塔が天を突くようにそびえ立つ魔性の城が見える。城の周りには、霧のようなものが漂い、時折、その窓から、カジノに明け暮れる不気味な形をした魔物の影がちらついていた。


「さあ、行くぞ」


 男はそう言い放ち、私たちを魔性の城へと導いた。城の中は迷宮のように複雑で、多くの部屋が連なっていた。


 魔界のカジノの扉を押し開けた瞬間、私たちはまるで異世界へと足を踏み入れたかのようなひときわ目立つ雰囲気に包まれた。


 目の前に広がるのは、金儲けに取り憑かれたかのような悪魔の眼差しを持つ若い男女たち。彼らは怪しげな煙をくゆらせながら、シャンパンを片手にコインを賭け、バカラに興じている。


 その良からぬ集団の中には、肌を露わにし、「これ、痺れちゃうわ!」といった誘惑的な声を上げる女性もおり、カジノは禁断の魔力で満たされていた。


 おばあちゃんは怒っているのか、手がわずかに震えているのが見て取れた。彼女の目は孫を探す焦りで潤んでいたが、同時に未知への好奇心を隠しきれていない様子だった。


「大丈夫ですか?」


 私は彼女の肩を優しく抱きしめた。


「ええ、でも……ここは一体……」


 彼女の声も震えていたが、その瞳は孫を救い出すという強い決意で輝いていた。


 私たちは互いの手を固く握り、カジノの奥へと進んでいった。道すがら、私たちは励まし合い、恐怖に立ち向かう勇気を共有した。そして、孫のいる部屋の扉を開けた瞬間、おばあちゃんの顔に浮かんだ安堵の表情は、見る者の心を打つものだった。



 ✽


 部屋の中は薄暗く、壁には愚かな人々を見下ろす神秘的なスフィンクスの象徴が描かれていた。部屋の隅っこでは、鎖に繋がれた若い男性がひざまずき、その目には明らかな恐怖が宿っていた。


「おばあちゃん!」


 彼は叫んだ。その声には、深い絶望が込められていた。


 おばあちゃんは涙を流しながら前に進み、孫の手を握った。


「大丈夫よ、私たちが来たわ」


 私は案内した男に向き直り、言った。


「これが最後の警告です。優斗さんを解放しなさい。そうでなければ、私たちは力ずくでも彼を助け出します」


 男は一瞬躊躇したが、ついに頷いた。


「分かったよ。お前たちの勇気に感銘を受けた。彼を解放する」


 一瞬、魔界の空気が震え、鎖が解け、優斗さんは自由を手に入れた。私たちは急ぎ足で外界に続く黒い穴へと戻った。振り返ると、魔性の城は暗闇に呑み込まれ、跡形もなく消え去っていく。


 ところが、魔界の門が閉じる前に、私たちは最後の試練に直面した。背後から迫りくる魔物たちの群れと、崩れゆく城の瓦礫。私たちは手を取り合い、必死に逃げた。

 途中で、おばあちゃんがつまずきそうになったが、優斗さんが機敏に支えた。「大丈夫だ、一緒に帰るんだ!」と彼は叫び、私たちはついに現世への門をくぐった。


 この世に戻った私たちは、しばし言葉を交わさずに立ち尽くした。周囲の人々はいつもの日常を送っているかのように見えたが、私には全てが新鮮で、生き生きとして映った。ATMの列、通り過ぎる車、遠くで響く子どもたちの笑い声。


 おばあちゃんは優斗さんを抱きしめ、涙を流しながら「よかった、よかった……」と何度も繰り返した。


「これからはもっと孫のそばにいるわ」と彼女は言葉を続けた。優斗さんも頭を下げて「おばあちゃん、ごめんなさい。もう二度と手を出さないから」と謝罪した。


 私たちはその場を後にし、再びATMの前に立った。おばあちゃんは口座にお札を入金し、孫を救った安堵感と未知の世界への一歩を踏み出した興奮で目を輝かせた。そして、私に向かって微笑んだ。


「ありがとう、あなたのおかげで孫を助けられたわ。そして、家族はいつも支え合うべきだという大切なことを学んだの」


 私たちはこの経験を通じて深い絆を感じ、私もまた多くを学んだ。日常には予期せぬリスクが潜んでおり、時には勇気を持って一歩踏み出すことが必要だ。私は微笑みを返し、「いいえ、おばあちゃん自身の勇気がすべてです」と答えた。


 私たちは別れを告げ、それぞれの日常へと戻っていった。私は心の中で思った。これはただの詐欺事件ではなく、魔界との出会いだったのかもしれない。しかし、この一件は私たちの心にかけがえのない経験として、永遠に刻まれることだろう。



 《 完 》



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「魔界銀行と消えた孫」 絆を取り戻す女性たちの冒険 神崎 小太郎 @yoshi1449

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