第16話アフター

「…」


「…」


「…」


 使われていない家具やら道具やらが放置されている空き教室。三つほどの机が2対1の対面式の少々いびつな形でくっつけられている。そのうちの1の席に瀬名は座っていた。他の2席にはそれぞれ亮太と奏斗が座っている。

 沙綾香を救出してから着替えを済ませた瀬名は廊下で沙綾香と落ち合うと教室へと戻った。その矢先、奏斗と亮太に強制連行されてこの教室へと連れ込まれたのだ。

 瀬名を見る二人の目はどこか冷ややかというべきか、少しの怒りまで感じられた。謎の状況に瀬名の脳内は困惑が加速していた。


(…なんだこの状況。なんでこんな重々しい空気なの?俺、大罪人かなんかだったっけな…)


 思い当たる節を探していると、奏斗が口を開く。


「…えー、これより取り調べを始めます。被告人、日向瀬名は月凪沙綾香とみだらな行為を致した罪に問われております」


「あー俺本当に大罪人になってるんだ」


「冗談はよせ奏斗。…瀬名、端的に聞こう。…お前ヤったのか?」


「ヤってねぇわ!そんな事聞くためだけのこんなところ連れてくるんじゃねぇ!」


 神妙な面持ちで問いかけてくる亮太と奏斗を瀬名は一蹴する。一体何が始まるのかとビクビクしていたさっきまでの自分が馬鹿らしくなってくるぐらいのくだらない質問に瀬名は特大のため息を吐いた。

 呆れた様子の瀬名に亮太が語りかける。


「いやだってよぉ…授業終わって保健室に行ってみたらいないし、教室にもトイレにも更衣室にもいないし…授業が始まっても戻ってこないし、おまけに月凪さんまでいないし。かと思えば月凪さんと手繋いで帰ってくるし。疑ってもおかしくはないだろ」


「…瀬名ぁ、先に俺に一言言ってほしかったぞ」


「だからしてねぇっての。…色々あったけど」


「う”わ”ああああああああああやっぱりヤったんだあああああああああ」


 絶望に嘆く奏斗の声が教室内に響き渡る。瀬名と亮太は両手を耳に当てて轟音とも表現できるその声を防いだ。

 

「うるせぇな…大体、瀬名が貞操を失ったところでお前になんの影響があるんだよ」


「うるせー!…瀬名の隣は俺って決まってるのに…」


「そんな決まり初耳なんですけど…」


「つーか、亮太だって気にしてたじゃん!瀬名に先に卒業させたくないって!」


「俺は心配してただけだっつーの!嫉妬するわけ無いだろ!」


「それ言っちゃう辺り嫉妬してるだろ。…頼むから喧嘩はやめろよ。俺がまた保健室送りになる」


 またもや一触即発の空気になった二人を咎めるように瀬名は声を上げる。体育の授業の件もあってか、二人はそれ以上の言葉は飛び出してしまわないように飲み込んだ。

 こほん、と咳払いを一つした亮太が瀬名を見据える。


「…まぁ、とりあえずお前に怪我が無いなら良かったわ。相手が相手なだけに少し心配だったんだよ」


 少し気恥ずかしそうに亮太は呟く。隣の奏斗も黙って瀬名を見ているあたり、どうやら同意見のようだ。


「俺も心配をかけるつもりはなかったんだがな…すまん」


 心配をかけたという点では自分に非があると思った瀬名は少し頭を下げる。その様子を見た二人はようやく安心したようで表情を緩ませた。


「よかった。ダーリンに卒業はまだ早いからな」


「そんな事ねーよ。…できないってだけで」


「なんにせよまだ早いんだよ。来るその時は俺と一緒に、だ」


「…お前結構キモい事言ってる自覚ある?」


 胸を張り上げた奏斗に亮太がつっこむ。瀬名は奏斗の言葉の真意は分からなかったが、不覚にもせめてもう少し胸があればなという変態的思考に至った。


(…これ以上の思考はやめよう。戻れないところまで行ってしまう気がする)


「…で、実際何があったんだ?」


 一度緩んだ表情を再び引き締めた奏斗が瀬名に問いかける。いつになく真剣な表情が長い髪の合間から垣間見えた。


「…やっぱお前顔綺麗だな」


「それはどうも。…らしくない誤魔化しはやめなダーリン」


 瀬名の中には迷いが生まれていた。屋上での出来事を二人に話すべきか否か。二人ほどの仲なら話しても誰かに口外することを心配する必要は無いだろうが、沙綾香のプライバシーの件や、角巻の件もある。後者に至ってはまだ不確かな情報だ。かえって混乱を招くことに繋がりかねない。打ち明けるにしても慎重に言葉を紡ぐ必要があった。


「あー、なんて言うかな…全部は言えないんだが、少し悩みを聞いた…みたいな?」


「ざっくりしすぎだろ。もっと細かく言えないのかよ」


「細かくって言ってもなぁ…月凪さんのプライバシーもあるから多くは言えないんだよ」


「はぁ…ま、今はそれで納得しておいてやるよ。…お前が俺等に伝えらないってことはそれなりのことだったんだろ?」


「まぁ、うん…」


 そんな曖昧な返答をした瀬名は気まずそうに目線を逸らす。それを追うように奏斗の視線は瀬名のこめかみ辺りを捉えた。

 普段は瀬名に甘々な彼も今回ばかりはそうはいかない。なんせ彼の身の安全に関わることなのだ。沙綾香の噂の真相を知らない奏斗には今の瀬名には妙な胡散臭さを感じざるを得なかった。


「…ただ一つ。困ったら何でも言えよ」


 ふっと奏斗は表情を緩める。いつもの瀬名に甘々な彼の表情だ。


「…最初からそのつもりだ」


「なら良し。とりあえず教室に戻ろうぜ」


「あぁ」


「あ、おい、俺を置いていくんじゃねぇ!」


 既に蚊帳の外になっていた亮太をおいて奏斗は瀬名の手を取る。引っ張られるようにして瀬名は教室に戻った。



 教室に戻るといつもの席に座っている沙綾香の姿が目に入る。やはりというべきか彼女の周りにはどことなく立ち入ってはいけないような雰囲気が漂っていて、見ただけで躊躇してしまうような一種の魅力を放っていた。

 しかし、今の瀬名が立ち止まることは無い。隣に座った瀬名に沙綾香は目元が腫れた目を向けた。


「おかえり」


「ただいまです」


「…何してたの?」


「…少し詰められました」


 苦笑いで応えた瀬名を見て沙綾香は気まずそうな表情になる。


「…なんかごめん」


「いやいや、月凪さんのせいじゃないですよ」


 瀬名がそう慰めるものの、沙綾香は罪悪感を感じているようだった。理由はどうあれ自分が原因なのは間違い無いのだから仕方ないだろう。


「…私のことは話したの?」


「話してないですよ。下手に口外していいことじゃないでしょう?」


「…ありがと」


 沙綾香が少しだけ口元を緩めて微笑む。その一瞬だけ近寄りがたかった雰囲気が鳴りを潜め、年相応の可愛らしさを彼女から引き出す。100パーセンでは無いとは言え、至近距離から向けられた異性からの好意は瀬名の心にダイレクトアタックを仕掛ける。普段見ない彼女の表情にギャップを感じつつ、瀬名は心臓の拍動を加速させた。

 瀬名は無意識の内に釘付けになっていた視線を引き戻し、なんとか表情を取り繕う。沙綾香はその様子に首をかしげたが、真意までは伝わっていないようだった。


「そ、そんなことより、月凪さんの方は大丈夫でしたか?」


 二人に別教室に連れて行かれてから瀬名の頭に残っていたのは沙綾香への心配だった。

 まだ確定情報ではないとは言え、教室にはあの角巻がいる。一人にしてしまった以上、守る人がいない事が帰ってくるまでずっと瀬名の頭に残っていた。


「別に何もなかったよ。…もしかして心配してくれてる?」


「まぁ…なにかあったら助けに行った意味が無いですから」


「素直じゃないなぁ」


「それはお互い様でしょう?」


「…かもね」


 お互いにの顔を見て二人は笑い合う。そこには今までよりも少しだけ距離が近くなった二人の姿があった。


「…なにかあったら、守ってくれるの?」


「もちろんですよ。このまま一人になんてさせませんから」


 瀬名は曇りの一切無い眼で沙綾香を見つめた。彼の言葉に嘘偽りは無い。純然たる瞳は彼の決意を彼女に伝えていた。

 数秒見つめ合ったところで沙綾香が口を開く。


「…告白?」


 沙綾香の言葉に瀬名が言葉を返すまでには数秒の硬直を要した。


「なっ!?ち、違いますよ!!」


「えー?だって一人になんてさせないって…」


「それは言葉の綾ですよ!」


「え…私の事嫌い?」


「え、いや、そういうわけじゃ…」


「…冗談でーす。焦りすぎでしょ」


 悲壮感漂う表情から一転、ぱっと沙綾香の表情が明るくなる。軽い冗談に騙されていたことに瀬名は気づく。


「…冗談とか言うんですね」


「そりゃ言うでしょ」


 沙綾香のことはまだまだ知らないことだらけ。だからこそ瀬名は彼女の横で一つ一つ学んでいけたらいいなと思ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 18:02 予定は変更される可能性があります

噂の絶えない月凪さんを変えてしまったのは俺らしい。 餅餠 @mochimochi0824

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画