愚作スパークル

サぁモンスター

第1話 火照る闇で

 この街の夜は明るい。

 夜が更けるほど火照りと輝きが増す空間で、彼女の部屋には暗闇が訪れていた。


 閉め切ったカーテン。部屋を照らしているのは映画が垂れ流されている液晶テレビだけ。

 重たい空気が、堕落した臭いが、静かに張り詰めている。

「また、だめだった」 

 彼女は独り言のように呟いた。

「才能ないからな、お前。夢見るだけ無駄」


 そう嗤ったのは、彼女と交際している青年だった。部屋に満ちる微かな光に反射するピアスを、派手な物に付け替えていた。

「そう……なのかな」

「そうだよ」

 濁点がついたような口調と似通った歩き方で、青年は玄関へ向かう。

 彼女は声を振り絞った。

「どこに行くの」

「デート」


 一瞬、奈落に突き落とされたような感覚に陥った。

 聞かなくてもわかった。もうお前と一緒にいるつもりはないと言われているのだと。

「ああ、馬鹿だから言わないとわからないか」

 それでも、青年はわざとらしく言葉にした。


「俺が帰るまでに出て行ってくれ」


 今までの関係や思い出を全て捨てるように、いや、青年はその瞬間本当に捨てたのだろう。彼女と青年を繋いでいた玄関の扉は、荒い音を立てて閉められた。


 わかっているつもりだった。予感はとうの昔からしていたのだ。

 だが、いざ自分のものではなくなった家を目の当たりにすると、途端に涙が込み上げてきた。


 彼女は母から譲り受けたワンピースに初めて袖を通し、使用期限などとうに切れたコスメで普段の何倍も濃く顔を作った。普段はつけないようなアクセサリーも全身に散らせた。


 底が削れたパンプスを履いて、何も考えずに足を踏み出す。手持ち鞄には財布とスマホ以外入れなかった。


 目の前にあるのは、部屋に閉じこもっているのが馬鹿馬鹿しくなるような、広い広い世界。この世界に連れられて、彼女の夢は始まったはずだったのに。


 涙に滲む街の色とりどりの光が綺麗。そう思える心がまだ残っていることすら悔しい。まだ生きようともがく自分が、悔しい。


 行きたい場所はない。

 騒がしい所は自分が惨めになるだけ、かと言ってネットカフェやカラオケボックスで夜明けを待つのも、人目を気にしているようで気が乗らなかった。自分を見ている人など、今は誰もいないのに。


 時間も忘れて、彼女は歩く。

 そして気が付くと、ライブハウスの前で立ち止まっていた。


「香菜ちゃん……」


 そこは彼女のきっかけの場所だった。

 いつだったか。この小さなハコの中で必死に飛び立とうとする少女に惹かれて、彼女は今まで夢を追い続けていたのだ。


 半ば無意識で地下への階段を下りラウンジで受付を済ませ、中へ入る。

 あの日のような溢れんばかりの人と歓声、そしてキラキラした女の子のステージなんてものを想像していたが、それはすぐに裏切られた。


 観客は数人、それも真剣にパフォーマンスを観ている人はその中でも限られている。ステージには、ギターとドラム、そしてボーカルのスリーピースバンドが立っていた。


 人がいないのも納得だった。

 聴いていて不快。音が合っていないというより、誰も合わせようとしていない。


 ふと我に帰り彼女はスマホを開く。着信の履歴がいくつかあった。そうだ、今日はバイトのシフトを入れていた。彼女は迷わず掛け持ちしていたすべてのバイトの連絡先を消した。

 この思考を放棄した頭でいられる内に、やらなければいけないような気がしたのだ。


 耳を貫く不快な音は止まない。

 彼女はスマホから目を離し、出口へ向かおうとした。


「——」


 その瞬間、その一瞬だけ、先程まで冷めきっていたステージから熱を感じた。振り向かずにはいられなかった。

 彼女は確かに呼ばれたのだ。

 しかし感じたことのない心に戸惑い逃げるように外に出ると、その違和感はすぐに消えた。


 まだ音がこだましている。途端に息が上がり、

 くらっ。

 視界が歪み、眩み、いきなり光がなくなったと思えば、彼女の体は地に打ちつけられた。


 何もなかったかのように、再び静寂は訪れる。

 街の光は、暗闇であるはずの空間を埋め続ける。



「おはよう」

 次の日、彼女は見知らぬ男に覗き込まれて目が覚めた。

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