白銀の巫女姫 -蝦夷転生奇譚-

第1話

 かつて東北は蝦夷と呼ばれる民が住んでいた。

 多くの部族が存在し、それらを率いていたのが阿弖流為と呼ばれる男だった。圧倒的な武力とカリスマ性を持ち、時の朝廷との戦いで幾度も勝利に導いた。当時の東北の民にとって偉大なリーダーであった。

 そんな彼には妹がいた。高い霊力を持ち、悪しきものを浄化できる唯一無二の存在。朝廷は畏怖の念を込めて蝦夷の巫女姫と呼んだ。


 月の無い暗い夜の海岸に二人の男が立っていた。そこは町外れの海岸で街灯が無いため、月の出ない夜はとても暗い。男達は大きな石碑の前に立ち、見上げた。3メートルはあるだろうか。何か文字が彫ってあるようだが暗くて確認できない。

「結界石が崩れかけている。霊力が底をつきつつあるんだ。」

 長い黒髪を一つに束ねた、やや小柄な男がいった。中性的で端正な顔立ちをしている。石碑に触ると、表面がポロポロと崩れた。

「巫女姫様は本当に転生しているのですか?」

 もう一人の男がいった。細身の長身で坊主頭に垂れ目が特徴的だ。

「転生はしている。だが何らかの原因で霊力が目覚めていないのだろう。」

 小柄な男が目を細めると石碑の周りに黒い陽炎が揺らめく。男は宙に手をかざした。すると空間が歪み、男の背丈ほどの銀色の錫杖が現れた。錫杖をつかむと底を地面に打ちつけた。

 シャンと音が鳴り、金色の光が男から放たれた。すると黒い陽炎は弾け飛んで消えた。

「俺の力では結界は結び直せない。せいぜい寄ってくるもの達を消す位だ。」

 小柄な男は石碑を見つめた。

「急ごう。巫女姫と田村麻呂は近くにいるはずだ。」

 

 

 初夏の朝日がカーテンの隙間から差し込む。少しだけ開けた窓から若葉の薫りのする風がカーテンを揺らした。鳥の声がする。番だろうか。おしゃべりをするようにさえずっている。少ししてスマホのアラームが鳴った。ゆっくりとベッドから半身を起こし、大きく伸びをする。長い艶のある黒髪が滑るように背中に落ちた。

 この春に高校へと進学してから季節がひとつ進んだ。新しい生活にもようやく慣れてきた所だ。身支度をすると姿見の前に立つ。まだ新しいブレザーとチェックのスカートの埃を払う。黒くまっすぐな髪は腰まであり、絹糸のように滑らかだ。スラリとした体に白い肌。黒目がちな大きな瞳は見る者を惹きつける。やや小ぶりだが形の良い赤い唇は果実のように艶やかだ。

「よし!いい感じ。」

 にっこり笑った。

 階下へ降りると、母の美咲が朝食を机に並べているところだった。美咲は40代半ば。小柄で笑うとエクボができる。おっとりとしており、何事もマイペースだ。

「おはよー。」

「おはよう咲夜。今日は一人で起きたのね。」

 美咲は箸を手渡しながら軽く笑った。いつもは何度も声をかけないと起きないのだ。

「鳥の声で目が覚めた。窓のすぐ外にいるの。」

「そういえば、最近カラスやらスズメやら庭の木にたくさん留まっているわね。」

「見たこともない鳥もいるぞ。山から降りてきてるのかな?」

 そう言って父の健が向かいの席に座った。健は美咲の一つ上で、この街の市長を務めている。長身で短く切った黒髪が若々しい。美咲と対照的にしっかり物でキビキビとした性格だ。

「熊も街中に出てくるくらいだ。餌が無くて鳥も困っているのかもしれないな。」

 ここは東北の岩手県の北端にある小さな町。山と海に囲まれ自然豊かだか一言でいえば田舎だ。大きな町までは車か電車を使って1時間ほどかかる。咲夜は生まれてからずっとこの町で暮らしている。

 友達は何もない田舎だと嘆くが、咲也はこの町が割と気に入っていた。

 「ごちそうさまでした。」

 朝食を終えて席を立つ。

 「今日はおじいちゃんの家寄ってきてね。」

 美咲はそういい、弁当の包みを手渡した。

 母方の祖父は私の通っている高校の近くに住んでいる。畑でとれた野菜を持って行けと数日前から連絡が来ているらしい。野菜は半分口実で、孫に会いたいのだ。部活を理由に行かなかったが、そろそろ潮時だろう。

「分かった。帰りに寄ってくる。」

 ひらひらと手を振って家を出た。


 今日最後の授業が合わり、クラスメイト達は次々と席を立つ。教室は放課後特有の解放感とざわめきに包まれる。私も帰り支度をすると席を立った。

「あれ、今日は部活いかないの?」

同じ弓道部のほのかが声をかけた。背が低く、茶色いふわふわした髪の女の子だ。黒目がちな目で見上げられるとりすを連想してしまう。ほのかは幼少時からの友達だ。トコトコ歩いて来るのを見ると撫でくり回したくなる。

「今日はパス。おじいちゃんのとこ寄らないと。主将に伝えといて。」

「おっけー。」

 教室を出ようとすると担任が慌てて入ってきた。

「おーい、帰るのまった。今警察から連絡があって、最近この近辺で怪しい男がうろついているから帰りきをつけろよー。」

 途端にざわめきが強くなる。

「こんな田舎に変質者?」

「せんせー、その人イケメン?」

 キャハハと複数の女子が笑った。

「先生もよくわからないんだが、どうやら20歳前後の若い男らしいぞ。」

「声かけられたらどうしよう!」

「ついて行っちゃう?」

 キャーっと黄色い声が上がる。

「それと、海岸近くに石碑があるだろ?だいぶ古くて崩れかかっているみたいだから近づかないようにな。」

 (石碑なんてあったかな。)

 海岸沿いを毎日自転車で通学しているけど思い当たらない。いつのまにかほのかが近くに立っていた。変質者という単語に怖くなったのだろう。

「ほのかも今日は早く帰ったら?」

「そうしよっかな。帰り暗くなっちゃうし。主将に二人で欠席って伝えてくる。先に帰ってて。」

「ありがとう。」


 私の母方の祖父である祐太郎は70代半ばであるがとても若々しい。趣味の畑仕事で毎日体を動かしているからか、肌は陽に焼けて黒く、体は引き締まっている。見た目は60代前半といってもおかしくない。長年市長を務め、数年前に退職した。現在は私の父が市長を務めている。

 高校から10分ほどかけて移動し、門の前に自転車を停める。母の実家は代々続く地主でもあり、広大な土地に平屋の日本家屋が建っている。今は祖父と祖母の二人暮らしだ。

「相変わらずでっかい家。」

 数寄屋門の引き戸に手をかけると、少し離れた所に小学生位の男の子が立っているのに気がついた。こちらをじっと見つめている。整った顔立ちに、背中までの黒髪を一つに束ねている。白いtシャツと黒いパンツというシンプルな格好だが、不思議と品良く見えた。

「君は近所の子かな?ここに用事?」

 声をかけると男の子が言った。

「見つけた。」

ゆっくりとこちらに歩いてくる。

「これは気づかないはずだ。霊力が閉じている。自らとじたのか。」

 前に立つと私をを見上げた。

 (え、何この子。子供じゃないみたい。)

 反射的に半歩後ずさった。すると男の子はニカッと笑うと、

「友達と遊んでたら、ここのお庭に僕のボールが落ちちゃったの。中に入ってもいい?」

 可愛らしく首を傾げた。

 (さっきのは気のせい?よく見ると子供ね。)

「あぁ、そうなのね。私も用事があってきたの。一緒に入ろっか。」

 引き戸を開けると中へ招き入れた。


「おじーちゃーん。来たよー。」

 玄関で声をかけると廊下の奥から祐太郎が顔を出した。

「やっと来たな。居間で待ってなさい。ん?後ろの子は誰だ?」

「門の前にいたの。この子、庭にボールを落としちゃっんだって。」

「そうか。一緒に探してやりなさい。その間に菓子でも用意しよう。」

 そういうと祖母の名前を呼びながら奥へ歩いて行った。

「お姉さんも一緒に探すね...」

 横を見ると先ほどまでいた男の子が消えていた。周りを見渡すといつのまにか男の子は家に上がっており、ずんずんと廊下を進んでいる。

「ちょっと僕?そっちはお庭じゃないよ?」

 無言で歩みを進める。その後ろを咲夜は慌てて追いかける。すると仏間の前でピタリと止まった。襖を勢いよく開け放つと中へ進み、仏壇の引き出しを開けると木製の小箱を取り出した。大人の手のひらに乗るくらいの大きさで、古びて黒ずんでおり角は丸く削れている。封をするように札が貼ってあるが、これもまたボロボロで字が読み取れないほどに消えかけている。

「僕ダメだよ!勝手に開けちゃ。あ、こら!」

 制止しようと手を伸ばすより先に男の子は木箱の蓋を開けた。中には乳白色の勾玉が入っていた。親指位のそれは薄暗い仏間の中で淡くと光っており、意志を持つようにわずかに震えている。

「何これ。光ってる...。」

 咲夜は男の子の手を覗き込むと、まじまじと見つめた。

 (不思議、生きてるみたい。それにどこか懐かしい。)

「起きろ田村麻呂。寝すぎだ。」

 男の子は勾玉にフッと息を吹きかけた。一拍置いて、ドクンッと勾玉が大きく震える。途端に勾玉から眩い白い光が放たれた。

「ま、眩しい!」

 咲夜は光から逃れるように両腕で顔を隠した。かろうじてできた陰から光の元を確認しようと目を細める。光は徐々に弱くなってゆき、何かの姿を形作る。すっかりと光が消失すると、仏間の畳の上に長身の男が仰向けに倒れていた。

 黒い着物のような衣装に赤と白の帯を腰に巻き、白いくるぶし位のズボンを履いている。肌は焼けており、目を閉じてはいるがスッと通った鼻筋と意志の強そうな眉から精悍さが滲み出た。

(私、知ってる。)

 頬に何か伝って、手で確かめる。涙がボロボロとこぼれた。

 (どこかで会った?いつ?思い出せない。)

 心の奥底に確かに何かあるのに引き上げられない。動揺し、咲夜はその場に座り込んだ。

「巫女姫。」

 男の子は咲也の額に手を触れた。手はひんやりと冷たかったが、額は熱を帯びたように熱くなっていった。

「蓋を開けるぞ」

 キーンという音がした。そこで咲也の意識は途切れた。


誰かに呼ばれている。男は瞼を震わせた。頭も体がひどく重く、思い通りに動かせない。

「おーきーろって。」

 ペチンと額を叩かれた。その刺激で一気に覚醒する。

 目を開けると最初に飛び込んできたのは長髪を一つで結った子供だった。

「おはよう田村麻呂。気分はどうだ?」

 ニカッと笑った。整った顔に似合わない笑い方。

何度も見た親友の笑顔が重なった。

「おまえ、空海か?」

「当たりー。」

 半身を起こす。

「その姿は、」

 いいながら周りを見渡す。見慣れない部屋。見慣れない物。起きようとして何かが手に触れた。隣を見ると、少女が寝かされていた。長い髪が畳に広がり、男の手に触れたのだ。瞬間、男の脳裏に一気に蘇った。

「え、な?」

 震える手で眠る少女の顔に触れる。温かい。呼吸をしている。男の頬に涙が一筋流れた。

「その子はエナ姫だかそうではない。」

 男は空海を見上げた。

「俺達は転生したんだ。今はお前の生きた時代から1000年以上経過している。」

 田村麻呂は目を見開いた。

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