第7話 復元できない料理3 意外な調味料の正体 牛肉のしぐれ煮を食べた皇后様は泣いた

 そんな一連のやり取りが行われた後に任と連華は会話をしていた。二人共真剣そのものである。


「連華。皇后様のご所望の料理を作れるあてでもあるのですか?」


「ありません」


 そこで任は頭に指をやりコツコツと叩いた。


「それは困りましたね。あてがない、つまり作れないということなのではないでしょうか?」


「いえ、私はそうは思いません。確かに皇后様は北の地にお生まれになっています。その調味料はそこの特産物であった可能性もあるでしょう。しかしながらこの広い後宮の中にそれがないとは私には考えられません」


 そもそも後宮というところははるか遠方から宮女や妃を連れてくることが多い。例えそれが人さらいであろうがなんであろうがだ。そんな幅広く手を伸ばしている後宮の中にその調味料だけがないというのは考えにくい。特に郷里の料理を作るためにも色々な調味料がいるだろう。


「郷里の味を求めるのは人であれば当たり前のことだと思うので」


「となると他の妃嬪様たちがその調味料を持っている可能性があると?」


「その可能性があるとしたら、保管している場所は内膳省以外にありえませんので」


 そこで任は喉を鳴らすようにしておかしそうに笑う。


「くっくっ、あなたは日頃はぼけっーとしている感じなのに、こと料理においては異常な嗅覚を持つのですね」


 確かに任の言うとおりなのかもしれない。倒れる前までは料理を作ることは好きだったが、ここまで情熱的ではなかった。恐らく溢れ出るようなこの料理の知識の源泉がそうさせるのだろうと思った。


「それでは私は内膳省に行ってきます」


「それでは私は職務に戻ることにしましょう」


 ここで任と連華は別れ別行動を取ることになった。まだ昼の光が指す午前中も終わりに差し掛かろうとしている時間であった。


 連華は内膳省にたどり着くと帳簿を持っている宦官に尋ねる。


「すみません」


「ん? なんだ。ここに勤めている宮女か?」


 確かに連華の格好は中級妃にしては貧乏くさい格好をしている。宮女に間違われてもしかたがないだろう。


 その辺りも風輝や任は考えているので心配はないことを連華はまだ知らない。


「いえ、私はここに勤めている宮女ではございません。私は梅才人、食膳妃といいます」


 そこで宦官の顔がさっと青くなった。中級妃といえど、かの試験に最後まで残ったあの食膳妃だ。無礼は許されない。この宦官にとって連華は直属の上司であることは変わりようもない事実だ。


「こ、これは失礼足しました食膳妃様、わ、私になにか御用でしょうか……」


 消え入りそうな宦官の声を聞いた後に連華は尋ねる。


「あなたは北の嚥周というところはご存知ですか?」


「嚥周ですか、確かに知っております。皇后様のお生まれの場所だそうで」


「他の妃嬪様の中にも嚥周の生まれの方はいるでしょうか?」


 そこで宦官は少し考える素振りをした後に言う。


「確かにおられます」


「それでは嚥周の生まれの妃様たちから特別な調味料を受け取ったという記憶はありますか?」


 宦官は連華の問いかけに唸るような声を出す。


「どうだったでしょうか。特別に頂いたという記憶はあまりありませんね。味噌以外は」


「味噌?」


「はい、嚥周の味噌はおいしいので嚥周生まれの妃嬪様たち以外にも、なかなかに人気がありまして」


「少しその味噌を見せてはいただけないでしょうか?」


「ええ、どうぞ」


 それから暫くして連華は内膳省の厨房の中にいた。そこでは宦官から宮女たちに至るまで忙しく働いている。連華はそんな彼らの迷惑にならないように味噌の前に行く。


「味噌ですか……」


 連華は味噌をじっと眺める。眺めた結果別段変わった味噌ではない。連華はさらに隣にある味噌の上蓋を外して中を覗く。


「うん?」


 一瞬なにかがきらりと光った。連華はその光の正体をしっかりと見た瞬間、握りこぶしをつくり喜ぶ。


「そうですか、そういうことだったんですね。確かにこれが原因であれば魚醤などで味付けされてもまるで違う物が出きるような感じになったでしょう」


 連華はここで見つけてしまった調味料を見てから、即座に行動に移すことにした。開いてみれば種明かしは簡単であったが、これも全てこの知識による導きなのだなと思うと知識に感謝すら覚えるのだった。

 皇后との面会が許されたのは午後だった。連華と任、そして内膳省の宮女が料理を皇后の元へと運ぶことになった。


 料理を運び終えると、皇后はやせ細った顔に驚愕の表情を浮かべた。


「もうできたというのか?」


 皇后のそんな言葉に連華は深く深く揖礼すると、そうでございますと述べた。


「牛肉のしぐれ煮という料理でございます」


 そう言うと連華は宮女に合図を送り料理を皇后の隣へ運ばせる。毒味役がその料理を食べると引き締まった顔からトローンとしたほうけたような表情になった。どうやら美味かったようだ。


 そして毒味役を通り料理は皇后の元へと運ばれた。


 料理を見て香りを嗅ぐと皇后の表情が変わった。


「この香り……」


「どうぞ、お食べください」


 皇后は侍女から箸を受け取ると牛肉のしぐれ煮に手をつけた。牛肉のブラウン色にごくりと皇后は唾液を嚥下する。牛肉を熱湯にさっとくぐらせ、冷水に漬けた後に水気を切る。


 そこにしょうがを千切りし、水にさらして水気を取る。そして鍋に水、酒、味噌の上澄み、砂糖を加え、それを煮て煮詰めたところで牛肉を加える。煮汁がほとんどなくなるくらいまで煮ると、そこへしょうがを加えて煮て絡めて完成だ。


 ここでポイントは味噌の上澄みだ。暫く味噌を置いておくと発酵し、味噌の上に上澄みが浮く。それは醤油の原型と呼ばれるものだが、これが後に醤油へと変化することになる。


 皇后はじっと牛肉のしぐれ煮を見ると牛肉のしぐれ煮を箸で摘み、口の中へ入れる。


「こ、これは……」


 そう求めていた味だった。何回内膳省に作らせても決して出来上がることがなかった料理。


「内膳省はこの料理を作るにあたって恐らく魚醤を用いたのでしょう。しかし本来あるべき料理に使われるのは醤油の原型である味噌の上澄みだったわけでございます。いくら味が似ていると言っても魚醤と味噌の上澄みではまるで違うことになります。恐らく皇后様の故郷でもこの味噌の上澄みをうまく使って料理を作ったのではないでしょうか? 嚥周は味噌の特産地でございますし」


 皇后はそれを聞きながら牛肉のしぐれ煮を堪能する。牛肉の深いコクと肉汁が皇后の弱った体を癒やすかのように優しく包み込む。そんな牛肉を引き立てるのはタレだ。そんな甘辛いタレに牛肉がからみ、更に生姜の風味が料理を遥かに昇華させる。


「おおっ……」


 まだ嚥周に居た頃に家族や幼馴染とよく食べたこの味。皇后の脳裏に若き日の思い出が蘇る。幼馴染と馬に乗り、どこまででも行けるかのように草原を走った思い出。祖母が頭を撫でて、それを見た父と母が柔和な笑みを浮かべる。妹たちと何気ない遊びをして変わることのないと思っていた日常。そして後宮に入るために家族や幼馴染と別れることに、絶望のような悲しさが走った思い出。


「……みんな息災かの……」


 そう言うと皇后の瞳から一筋の涙が流れる。この後宮に入ってからは絶対に泣かないと決めていた皇后であったが、現在心身も弱っており、更に思い出がたっぷり詰まった料理を食べたおかげで感情のコントロールができなくなってしまったようだ。


 ただただ皇后は天井を見上げ涙を流す。これこそ後宮から少し離れる僅かな夢見心地の時間だったのではないだろうか、そう思うと共に連華は皇后の重圧とはどんなものなのであろうと考えるのだった。


 皇后が手を付けられたのは本の二、三口であった。それほど病気が悪化していると言っても過言ではなかった。それでも皇后の気持ちは晴れやかであった。まるで取り憑くように皇后を呪縛していた郷里の思いはもうない。


 皇后は箸と料理を侍女に渡した後に連華に向かって声を掛ける。


「後宮にきて私を初めて泣かせたのは連華、おまえが初めてだ」


「私ごときの料理がお役に立てて光栄にございます」


 皇后の顔に微笑が浮かんでいるのを見て連華は嬉しい気分になった。皇后は連華の姿をじっと見ると、

「服をなんとかしなければならぬな」

 と、誰にも聞こえない声で呟いた。中級妃にしては来ているものが宮女となにも変わらないのだから気にもするだろう。


「夜伽をせず、食事のみで与えられたのは伊達ではないな」


 皇后はそう言って連華を褒める。連華は気恥ずかしくなり、光栄でございますと深く揖礼をする。


「少し話相手にならんか連華、お主がなぜ後宮にきたのかを知りたくなった」


 どうやら皇后は梅・連華という人物に興味を持ったようだ。その後皇后と連華は他愛のない会話をしつつ親睦を深め、この場はお開きとなった。


 朱雀宮から連華と任は出ると、任は連華によくぞやったと言った。それに対しても連華は照れるしかない。


 任は誰にも聞こえない声で、


「やはり、連華は後宮内だけに留まらせるのは惜しい。その時が来たら動いてもらうしかないですね」


 と、小声で囁くのであった。


 連華はそんな任を見ながら小首を傾げるのであった。こうして皇后の料理は終わりを告げる。

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後宮の食膳妃 霜月華月 @Shimotsuki_kagetsu

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