エピローグ2

 事故の日、その直後。

 車に押しつぶされ、体中痛くて、妹の秋那の泣き声だけが薄っすら耳に届いていた。

 それから少しして助けられて救急車に乗せられた頃、桜良はもう自分の身体の痛みすら感じていなかった。

 でもそのおかげで、「ああ、自分はもうダメなんだ」と認識することが出来ていた。

 そして死期を悟ると、桜良の脳裏にはいくつもの光景が浮かんだ。

 だがそれは友人である和花や御調のことではなく、優しかった両親のことでもなく、いつも一緒にいた可愛い妹のことでもなく、たった一人自分が心から愛した少年のことだった。

 きっともう会えない、声を聴くことができない、笑いあうことができない、一緒にはいられない。

 それが、本能的に理解できた。

(…………あぁ、嫌だな)

 ただ街を歩いていただけだった。なにも悪いことなどしていなかった。

 なのに突然の事故に巻き込まれ、もう助からないと自分でもわかってしまって。本当に本当に理不尽だと思う。

 もっともっと真宙と同じ時間を過ごしたかったのに。

大きな幸せなんていらなかった。ただそれだけが叶えば、それで良かった。

 ずっとずっと一緒にいると、それが当たり前だと、思っていたのに……。

 一緒にいたいと、今でも思っているのに……。

 そしてそれは、真宙だって同じだったはずだ。

 でもそれはいけないことだった。真宙は優しいから。本当に桜良のことを好きでいてくれているから。思い上がりでもなんでもない。それがよく理解できてしまっているから。それくらい桜良と真宙の気持ちは通じていたから。

だからこそ、わかる。

真宙は、このままでは壊れてしまう。

死んだ桜良のことを想って壊れてしまう。想い続けたまま生きてしまう。

(……そんなの、嫌だな)

 いつまでも想ってくれることは嬉しい。自分以外の女の子のことなんて愛してほしくない。これから先、死ぬまでずっと自分の影に囚われて、引きずって、人生めちゃくちゃになってほしい。

(……ダメだよ、そんなの……)

 だけどそこには、真宙の笑顔はない。

それはきっと、幸せな人生じゃない。

自分自身が、真宙の幸せを壊したくない。

「―――――……ちゃん!」

 もう、音も良く聞こえない。

 ただ聞こえてくるのは、妹である秋那の必死な呼びかけだけ。でもそれだって、気を抜いたら今にも聞こえなくなってしまいそうだった。

 だから桜良は最後の力を、消えかける命の炎を全て燃やす。

「――……ね、あきな……お願い……ある、の……――」

 そう自分の口から出た言葉でさえも、ほとんど自分の耳には届かなかった。

 自分はもう助からない。

 病院への到着を待たず、もう間もなく死ぬだろう。

 時間がない。本当は、こんなこと大切な妹に押し付けたくはなかった。

 でも、それでも。どうしても、これだけは諦めきれなかった。

(人生で最後の我儘……。最後のお願い……。だから、許されるかな……?)

 もう、秋那の声も聞こえない。身体の痛みもない。瞳にもなにも映らない。

 でもこれだけは、最後の我儘だけは、どうか届いてほしい。

 そう願って、最後の力を振り絞って、そこにいるであろう大事な妹へ、告げる。

「……ま、ひろ…………くんに……わすれ、て…………って……。わたしの、こと……わす……れて……って……。……おねが、い……あきな……」

 その言葉が、願いが、秋那に届いたのかはわからない。

 そしてそれを確認する術はなかった。

 瞳はなにも映さない。

 耳はなにも聞き取らない。

 肌はなんの感触も示さない。

 だからもう、ただただ伝わったと信じて。最後の我儘を秋那に託して、そして願う。

 大好きな彼に、真宙に、この願いが届きますように、と。

 桜良の意識は沈んでいく。

 暗い暗い、闇の底へと。

 そしてその意識が完全に途切れる瞬間、桜良は最愛の人の顔を思い浮かべる。

(真宙くん……。大好きでした。…………さよなら)

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願い、死神は甘く香る 花崎有麻 @syou0301

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