エピローグ

賑やかすぎる執務室

 ミンリーは完璧にイズミア軍を撤退させた。イズミア軍の撤退に続き、ヘック大公国軍をはじめとした連合軍もサウスキア辺境伯領を去っていった。

 俺たちは撤退する彼らを追撃せず、ヤーウッドにて絶望的な戦いへの勝利に湧く。


 数日後、イズミアからの使者がやってきた。使者によれば、イズミア伯領はムスタフの甥が継承したものの、ムスタフの死によって新イズミア伯の戦意は完全に潰えたらしく、サウスキアと停戦条約を結びたいとのこと。もちろん俺はこれを承諾する。


 他国も国力を削ってまでの戦いは避けたいようだ。サウスキアとイズミアの停戦条約が決まれば、彼らもドミノ倒しのようにサウスキアとの関係回復に務めはじめた。


 もはや皇帝ノーランを殺害した逆賊の領主を成敗しようとする領主は、一人もいなくなったのだ。

 こうしてサウスキア滅亡イベントのフラグは完全に消え失せ、俺は本当の意味でのイベント回避に成功したのである。


 イベントを回避したからといって、元の世界に戻れるわけではない。ムスタフとの戦いから2週間、喜ぶのも束の間、俺はライナーとして城の執務室に缶詰めにされた。

 目の前のデスクには、領主が確認しなくてはならない大量の各種資料が。貴重な紙を無駄にしないためか、各種資料には小さな文字が余白もなくびっしりと書き込まれている。正直、それだけでモチベーションと健康度が下がる。


 資料と睨み合ってもう10日だ。毎日毎日、大量の資料を読み込む。そろそろ全部読み終わるな、と思えば新たな大量の資料がやってくる。それが10日も続いている。

 とはいえ、俺は一人じゃない。優秀な側近ロミーが、俺の隣で大量の資料を整理してくれているのだ。


「こちらは商人ギルドさんから他国との通商に関する申請書、こっちはイズミア伯領との停戦条約に関する資料ですね。それはヘック大公国との旧ボルトア領の扱いに関する資料です。あ、そこにある領民さんたちからの陳情書も忘れず目を通してくださいね」


 少しでも気を緩めればゴチャゴチャになる資料の山を、ロミーは完璧に管理している。

 それどころか資料の内容もきちんと把握しているのだから、ロミーの事務仕事能力は並の〝英雄〟以上だ。

 他方、並の〝英雄〟である俺は事務仕事に精一杯である。


「戦いの後始末がこんなに大変だなんて……」


 命のやりとりがないというだけで、おそらく労力は戦いと大差ないのではないか。

 大きなため息をついた俺を見て、ロミーは心配そうな表情で言った。


「ライナー様、お疲れですか?」


「まあまあな。戦いが終わった後も、ずっと執務室で働きっぱなしなんだ。そりゃ疲れもするさ。まったく、こっちでもデスクワークに苦しめられるなんて――」


「うん?」


「いや、なんでもない」


 無意識に前世の話をしそうになるあたり、やっぱり疲れているようだ。

 前世ではクソ上司と集団圧力による休憩など許されない空気に敗北していた俺だが、今は領主ライナーである。休憩しようと思えばいつでも休憩できる。

 だが持ち前の真面目さはなかなか抜けない。せめて商人ギルドからの申請書に関する仕事だけは終わらせようと、俺は再び資料と睨めっこ。


 と、そんなときだった。扉がノックと同時に開かれ、執務室にシャルがやってきた。

 シャルは妹シャル全開で、数枚の資料片手にデスクに体を乗り出し、満面の笑みを浮かべた顔をぐっと近づけてくる。


「お兄ちゃん! ねえねえ見て見て!」


 両手でビシッと見せられた資料に、俺はざっと目を通した。


「これは……」


「ヘック大公国の外交官と話し合ってね、短期の同盟を組む条約が結べるかもしれない段階まで進めたんだよ!」


「本当か!? 難しい交渉だったと思うが、どうやった!?」


 嬉しいニュースだ。イズミアと停戦したとはいえ孤立したままのサウスキアが、味方を増やす最大のチャンス。それをシャルが作ってくれたというのだ。

 驚きと嬉しさに包まれた俺の言葉に、シャルは胸を張って答えてくれる。


「あのね、ノーランおじさんを殺したのは実はムスタフの陰謀で、パパは濡れ衣を着せられたっていう偽情報、ヘック領内で思った以上に広まってるんだ」


「いつぞやの財布泥棒冒険者たち、結構頑張ったんだな」


「だから『イズミアに味方するような輩は、ノーラン様を殺害した逆賊の一員ということになりますわね。もちろん、ヘック大公国の聡明な皆様ならば、そのくらいのことはご存知でしょうが』って言ったの。そしたら一気に同盟の話が進展したんだよ」


 その場面、容易に想像がつく。


「さすがシャルだ。よく頑張ったな」


「フッフッフ、もっと褒めて~!」


 子供のように笑ったシャルは、俺の隣にやってきて頭を近づけてきた。

 もしかして頭を撫でろということなのか。お望み通りにシャルの頭を撫でれば、シャルは満足そうにほんわか微笑む。

 ロミーはどこか羨ましそうにしながら、頭を横に振り、側近らしくシャルに尋ねた。


「ヘックとの交渉はフヅキさんもご一緒だったんですよね?」


「うん。フヅキちゃんもすごかったよ。例え話ひとつで、シャルが精霊の壁代に送る魔力量を調整して、ヘックにだけ魔族を流入させるぞって脅してたもん。あのときのヘックの外交官の驚いた顔、お兄ちゃんとロミーにも見せたかったなぁ」


「あいつ、またそんなえげつないことを……」


 そもそも偽情報の流布だってフヅキの策略だったんだ。フヅキという女の子一人に、ヘックは散々かき回されているみたいだな。


 と、ここで再び扉がノックと同時に開かれ、執務室にフヅキとスチアがやってきた。まさに噂をすればである。

 ただし、フヅキは噂の謀略家とはだいぶ違う姿であった。彼女は木の棒を片手に手作りマントを揺らし、仰々しくもかわいらしく笑う。


「フハハハハ! 異界からの使者の登場であるぞ~!」


「参上」


 それっぽいポーズを決めるフヅキと、無表情ながらフヅキと同じポーズを決めるスチア。

 どういうことだろう。執務室に異界からの使者がやってきてしまった。


「二人とも、何してるんだ?」


「異界からの使者ごっこだよ~! わたしは異界の観測者役~! スチ姉は異界の監視者役なんだ~!」


「多元的な世界におけるあらゆる事象を観測し、監視する。それが我らの務め。という設定」


「そ、そうか……なかなか深い世界観だな……」


 天才軍師のごっこ遊びと猪突猛進系騎士の空想世界の融合、といったところか。

 性格は正反対に見えるこの二人、本当に仲良しだな。


 シャルとフヅキ、スチアのおかげで執務室は賑やかだ。おかげで俺は、少しの間だけ仕事を忘れることができた。

 とはいえ領主の仕事はわんこそば方式である。ここでまたも扉がノックと同時に開かれ、今度はウーゴとアルノルトが現れた。

 ウーゴはいかにもモブらしい見分けのつかない顔を輝かせ、俺の前にひざまずく。


「陛下! 戦人形の新たな編成計画に関する資料でございます!」


「ああ、ご苦労だったな、ウーゴ」


「ありがたきお言葉! 稀代の領主様であらせられる陛下のためならば、このウーゴはどんな苦労でも乗り越えましょう!」


「あ、ああ」


 ムスタフに勝利して以来、ウーゴはずっとこんな感じだ。とにもかくにも圧がすごい。

 それを背後から見ていたアルノルトは、おかしそうに笑った。


「ヘッヘ、ウーゴのやつ、陛下に心酔しちまったみてえだな。まあ、あんな戦いを見せられれば、領民だろうが将軍だろうが、誰だって陛下を慕いたくもなるだろうがよ」


「だよねだよね!」


「兄上の本当の素晴らしさ、皆さんにも伝わったようですわね」


「当然です!」


「おい、なんでお前らが鼻高々になるんだ」


 謎のドヤ顔で胸を張るフヅキ、シャル、ロミーに、俺は思わずツッコミを入れてしまう。

 アルノルトは「へっへっへ」と笑うだけである。

 ひざまずいたままのウーゴは、俺に資料を渡すとようやく立ち上がり、しかしすぐに勢いよく頭を下げた。


「それでは、失礼いたします!」


「じゃあな」


 暑苦しいウーゴに続いてアルノルトが飄々と右手を上げれば、二人は執務室を去っていった。


 自分を慕ってくれている人がいるというのは、なんだかんだで悪い気はしない。俺は思わず頬が緩んでしまう。

 一方で、デスクの上の資料が増えたという現実も直視しなくてはならない。


「また仕事が増えたぞ」


 きっとこんな感じで仕事は延々と続くのだろう。なんか、転生前とあんまり変わらないな。

 ただ、転生前とは大きく違うこともある。


「あ~あ、前世ならここにパソコンがあって、息抜きにゲームでも、っていう選択肢があったんだがなぁ」


 こういうときこそLA4を起動し天下統一を狙うのが俺の息の抜き方だったのだ。

 それなのに、今の俺はLA4世界での仕事に追われ、息抜きのためのLA4を欲している。


――人生不思議なこともあるもんだ。


 などと思っていた俺は気づいていなかった。ロミーたちが首をかしげていることに。


「前世? ゲーム?」


 いよいよ疑問を口にしたロミー。

 ここで俺は気がついた。俺はさっき、流れるように前世のことを声に出してしまっていたのだ。このままでは俺の最大の秘密がバレてしまう。

 ソワソワする俺を横目に、ロミーたちは手を叩き、言い放つのだった。


「わかりました! わかりましたよ、ライナー様の正体が!」


「偶然ですわ。わたくしも兄上の正体がわかりましたの」


「フハハハハハ! わたしたちの目は誤魔化せないよ~!」


「私の出番か」


 ロミーに続いて、シャル、フヅキ、スチアが次々とデスクに乗り出してくる。


――さすがにライナーの中身が転生者だってバレたか!?


 覚悟を決めなければならないときが来たのだろうか。

 元よりライナーの中身が俺という転生者であるというのは、いつまでも隠し切れることではないだろう。ならばいっそ、この場でバラしてしまった方がいいかもしれない。


 いろいろと考えて、俺は真実を話そうと大きく息を吸った。

 直後、ロミーは人さし指を立て、楽しげに言う。


「ライナー様は、フヅキさんやスチア様と同じ、異界からの使者の一人ですね!」


――正解に限りなく近いけど間違ってる!


 奇跡的な勘違いのおかげで、俺が転生者であるというのはバレずに済んだようだ。

 というか、俺が転生者であるという真実にロミーたちが辿り着く日は訪れるのだろうか。今の感じだと、そんな日は永遠に訪れない気がする。永遠に訪れないなら、もう少し真実を隠していても大丈夫だろうし、なんならその方が面白い気がする。

 結局俺はロミーたちの勘違いに乗っかり、真実を心の中に留めておくことにした。


 フヅキとスチアは、俺をごっこ遊びの一員として認めたらしい。二人はそれっぽいポーズを決めながら言う。


「このようなところに、同じ異界からの使者がいたとはな~! 異界の観測者としては見逃せないよ~!」


「監視者としても、見逃すわけにはいかない」


 独特な世界観に俺は呑まれてしまったらしい。

 異界からの使者に続いて、シャルが俺の手を取った。


「わたくしも兄上の異界の話に興味がありますわ」


 悪戯な笑みから察するに、これは無茶振りのつもりなんだろう。だが残念、俺は異界の話ならばいくらでもできるぞ。

 一方のロミーは、純粋に俺の話に興味があるみたいだ。


「いいですね! ライナー様のおとぎ話、聞いてみたいです! 仕事の息抜きにもなりそうですし!」


 たしかに、それもそうだな。


「じゃあ異界からの使者として教えてやろう。異界には大都市東京という場所があって――」


 自分の前世をおとぎ話のように語るのは、なんだか不思議な気分だ。俺からすれば、戦略シミュレーションゲームのLA4そのままであるこの世界こそ、おとぎ話のような世界なのに。ロミーたちと話している今こそ、夢のような世界だというのに。

 そう、夢のような世界。俺の目前に広がる、ロミーたちが和やかに笑った平穏で賑やかな執務室。これこそが、サウスキア滅亡イベントを回避してまで俺が守り通したものなのである。

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逆賊の領主~転生先は滅亡イベント真っ最中の辺境伯でした~ ぷっつぷ @T-shirasaka

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