風を感じるサメの王
碧月 葉
風を感じるサメの王
「モーント、罠だよ」
こっそり城を抜け出したつもりだったのに。
ケルプの森を抜けた所で厄介な奴に捕まった。
敵対するシャチ族の王子ながら、大海洋の平和という夢を同じくする、親友シュテルンは厳しい瞳で俺を睨んだ。
「分かってる。シュテルン……。でも行かなくては」
恋人であるゾンネが姿を消し、脅迫状が届いた。
脅迫状には王子である俺に、王家の秘宝を持ってこいと指示があったのだが、国の判断はゾンネを捨てるという無慈悲なものだった。
価値のない
早く助けに向かわなければ。
「やめとけって。君はただの男じゃないだろ、モーント・ゲボーゲンハイト。第76代のサメ族の王になる……そして、この海の未来を担う存在だ。ゾンネ嬢の事は諦めろ。きっともう……」
彼は俺よりもひとまわり大きな体で行く手を阻んだ。
「いや、生きている。俺には分かる……彼女は俺の
「モーント……」
「ゾンネの腹には子がいる。俺の子ども達だ」
まだ、ごく一部の魚しか知らない秘密を俺は伝えた。
「……そうだとしても、行くな。賊の正体は俺の兄貴だ。アイツは強くなる為に君の肝を喰うつもりなんだ。周到に罠を張り巡らせている。彼女を助けるのは無理だ」
悲痛な声でシュテルンは訴えた。
俺たちサメ族の肝はシャチ族にとって強壮剤となる。
俺のものとなれば、自分で言うのも何だが極上。喰らえば力は増し後継争いでも俄然有利となるだろう。
兄達と熾烈な争いを繰り広げているシュテルンとしては、色んな意味で俺を行かせたくないに違いない。
「頼む、退いてくれ。彼女を助けられなければ、俺は一生後悔する。なあ、シュテルン……お前にはまだ分からないかも知れないが…… この命に代えても護りたい存在なんだよ」
俺は親友として彼に懇願した。
一瞬シュテルンの瞳が悲しげに曇った。
「……分かるさ」
シュテルンが何か呟いたので聞き返そうとしたが、そんな間は無かった。
「かはっ」
不意打ちだった。
横腹に強烈な体当たりを受け、俺は気を失いそうになった。
何とか体制を立て直し、牙で威嚇しようとするが、流石はシャチ、俺とはスピードが違う。
下からの突進をくらい、体をひっくり返されてしまった。
彼はそこにのしかかる。
俺は全く身動きが取れなかった。
「これだからサメは脳みそが足りないって言われるんだよ。行ったって無駄死に、君はゾンネ嬢共々血祭りさ」
彼は薄笑いを浮べ、俺を見下ろした。
「おい! シュテルン、放せ、どういうつもりだ」
「行かせないよ。兄貴になんて渡さない……僕が君を食べたい」
「シュテルン?」
「君の肝臓はさぞかし大きくて、美味しいだろうね。それに何と言っても王子の肝だ。どれだけ強くなり、どれだけ寿命が伸びるだろう。君を喰らって……僕が兄貴を倒すさ。そしてシャチの頂点に立つ。そして平和な時代を造ると約束するよ。だから、食べさせて、お願い」
シュテルンがギュウと体重をかけてきた。
俺は全力で押し返し、彼の瞳を見た。
「悪い冗談はよせ。絶対に生きて帰るから。共に新時代をというと約束は果たす!」
そう言うと、彼はこれまでで一番優しく笑った。
「はぁ……この状況でも絶望しないんだもんな。純粋で強い瞳。まだ僕を信じてるってその顔。……馬鹿でアホでどうしようもない。…………だから好きだよ。……ごめんな」
シュテルンの牙が迫る。
口先が触れ合った。
俺のより柔らかいな……なんて場違いな感想が浮かんだ。
死にゆく時はこんな感覚なのか?
頭が朦朧として、体が痺れている。
眩い光が俺を包んでいく。
薄れゆく意識の中、シュテルンの「さよなら」という声を聞いた気がした。
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目を覚ましたら、心配そうに覗き込むゾンネの顔があった。
天国なのか?
一瞬そう思ったが、見慣れた天井に見慣れた部屋、ゾンネの隣には母上までいた。
「俺は一体……。ゾンネ、お前生きているのか? 大丈夫か?」
尋ねると、彼女は大きく頷いた。
「シュテルン様が…… シュテルン様が、
ゾンネは声を詰まらせた。
どうした、何があった?
混乱していると母上がゾンネに代わって説明をしてくれた。
俺は城の裏門の前で倒れており、それから3日間目を覚さなかったらしい。
ゾンネは、俺の姿をした何者かに救出され、その何者かは彼女を攫った一味とその首謀者と激闘を繰り広げたという。
そして今日、シャチ族の王子2人が亡くなったというと情報がもたらされたとのことだった。
「……という訳で、海の状況は大きく変わるわ。暴力で支配を試みていた第一王子がいなくなっては、シャチ族も方針を変えざるを得ないでしょう」
母上は淡々と説明したが、その隣でゾンネは泣きじゃくっていた。
「シュテルン様は、きっと海の魔女と取引をなさったのです。私達を助けるために……」
.・*・.・*・.・*・.・*・. .・*・.・*・.・*
数日後、俺は海の魔女の庵を訪ねた。
ゾンネの考え通り、彼はここを訪ねて魔法をひとつ手にいれていたらしい。
それは
『相手に触れて、一定期間その姿に変身する魔法』
だったという。
俺は口元に当たったあいつの感触を思い出した。
その夜、俺は海面近くまで泳ぎ、海から頭を出して空というやつを見た。
そこには、キラキラした小さな光が無数にあった。
「あの若者は、海のあぶくとして消え、海上に昇って『風』になった」
海の魔女はそう言っていた。
俺の鼻先を何かがくすぐっていく。
それは、何やら懐かしい匂いがした。
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大海洋に平和な時代をもたらした、サメ族第77代の王『シュテルン・ゲボーゲンハイト』には、母の胎内にいた折、シャチ族のよって攫われたが、英雄と称される父王によって救われたという伝説がある。
そこで歴史学者達は一様に首を捻るのだ。
なぜモーント王は息子に宿敵ともいうべきシャチ族の王子と同じ名を授けたのかと。
モーント王については不可解な謎がもうひとつ伝えられている。
何でも、かの王はクジラやシャチのように、時折水面近くに顔を出していたという。
「風を感じるため」
理由を問う臣下には笑ってそう答えていたらしい。
歴史学者たちは、モーント王は相当な変わり者だったと結論づけているが、果たして本当にそうだったのだろうか。
風を感じるサメの王 碧月 葉 @momobeko
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