後半

 約束の時間になり、アンナは噴水の前にやってくる。まだクロエは来ていないので、心の中で胸をなでおろした。昼間は水が陽の光を反射させながら涼やかに流れているが、今の時間は水の流れがない。それでも、水面に映る月の影はゆらゆらと揺れている。


「おまたせ。じゃあ、行こうか」

「わかりました」


 アンナはクロエに導かれ、館の裏に広がる林に入っていく。虫の音や木々の騒ぐ声を聴きながら、2人は光のない深みへと進む。


「ねえ、アンナちゃんは私のこと、どんな人だと思っている?」


 聞かれたアンナは素直に答える。


「力持ちで、何でもできるすごい先輩だと思います」

「そう? ありがと!」


 クロエは謙遜をせず、いったんはアンナの言葉を受け入れる。実際、自分がまかされた仕事はしっかりとこなしているという自覚があるのだ。


「私、このお仕事が好きなの。だから、毎日楽しいなって思いながらメイド服に袖を通しているの。でもね、アンナちゃん、さすがの私も何でもはできないのよ?」

「そうなんですか?」


 アンナには、いつも自信にあふれているクロエのこの言葉をいまいち理解することができなかった。アンナに胸を張って仕事をしているのに、できないことがあるわけがない。難しい仕事も、クロエならどうにかして片付けることができると、アンナはそう思うのだ。


「もちろんよ。何でもできる人なんて、人じゃないわ。誰にでも得意なことと不得意なことがあるの。私は力仕事は得意だけど、料理とか裁縫とか、繊細な仕事はあまりできないのよ? 頼まれたらするけどね」


 アンナは思い出す。そういえば、あまりクロエが台所に立っているところを見たことがない。


「メイド長ってすごいわよね。みんなの得意不得意を全部把握しちゃっているんだから」


 メイド長も、厳しいだけではなくちゃんとみんなのことを考えて動いているのだ。ただ、仕事を片付けることだけを考えているわけではない。


「ねえ、空を見てごらん? 星がいっぱい輝いていて綺麗だと思わない?」

「思います」

「私は、星がこんなにきれいなのは見る人との距離が離れているからだと思うの。アンナちゃんは私とかメイド長とかのことを近くで見ているでしょ? だから見え方がまぶしすぎるんじゃないかな? 他の人のいいところをいっぱい見つけられるのはアンナちゃんのいいところだけど、それだと自分が苦しくなっちゃうよ」


 クロエは、アンナの目をまっすぐに見て言った。メイド長の視線とは違う、アンナをやさしくいたわるような温かい視線である。


「私、どうしたらいいんですか?」

「まずは自分の得意なことを自覚してみようか! 私はアンナちゃんのいいところ、返事が早いことだと思うな。これって意外に難しいことなのよ?」

「でも私、敬語全然できていませんよ?」

「それでもよ。大事なのは気持ちよ。気持ちが伝わっていれば、言葉を多少間違えていたとしても、人と人は通じ合える。今日アンナちゃんメイド長に『承知いたしました』っていうように言われていたでしょ? あれ、本気で怒っていたわけではないのよ?」


 メイド長の槍のような視線には圧があるものの、不思議と敵意を感じなかったことを、アンナは理解する。あの視線は緊張感を保つための視線だったのだ。そのことに気づくと、アンナの心は軽くなっていった。


「敬語、できていなくても大丈夫なんですね!」

「もちろんできるに越したことはないけど、思いつめるほどでもないのよ」

「なんだか元気が出てきました!」

「満天の星を拝むことができたし、そろそろ帰ろうか」


 2人は林を抜け、メイド長にばれないように館へと戻っていった。

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人を見る目にメガネを ばーとる @Vertle555a

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