孤独な魂の絆

島原大知

本編

第1章


「ただいま」

 マンションの玄関ドアを開け、相沢陽菜は小さく呟いた。返事は返ってこない。ぼんやりと明かりが灯る1Kの部屋は、冷たい沈黙に包まれていた。

 上着を脱いで、ハンガーに掛ける。キッチンに立ち、冷蔵庫を開ける。中身はスカスカだ。コンビニ弁当とカップ麺、それに水のペットボトル。独身女性の冷蔵庫の定番とも言えるラインナップだった。

 ペットボトルの水を持って、ベッドの上に腰を下ろす。窓の外は薄暗く、ネオンが淡く瞬いている。どこかの部屋からテレビの音が微かに聞こえてくる。

 一人暮らしを始めて5年目になる。大学卒業と同時に、地元の秋田を離れて上京してきた。親元を離れ、自由を手に入れたはずだった。しかし、そこに待っていたのは退屈な日々の繰り返しだった。

 仕事、仕事、仕事……。毎朝、終電間際まで働き詰めの日々。心休まる趣味もなく、恋人もいない。友人も、職場の同僚との軽い付き合い程度。休日はただ、ぼんやりと過ごすだけ。

 家に帰れば一人、誰とも口を利かずに眠りにつく。そんな生活が、いつしか陽菜の心を蝕んでいった。

 「こんな日々が、いつまで続くんだろう……」

 ペットボトルの水を飲みながら、ぼんやりとつぶやく。答えは返ってこない。いつものことだ。

 こんな虚しさを、いったいどこにぶつければいいのだろう。ストレスは溜まる一方で、まともに発散する場所もない。

 携帯電話を手に取り、LINEを開く。大学時代からの親友・里佳子からのメッセージが目に留まった。

 「陽菜、久しぶり! 元気にしてる? 今度飲みに行こうよ!」

 明るい言葉が画面に踊る。返信を打とうと思うのだが、どう返せばいいのかわからない。結局、既読スルーするのが関の山だ。

 陽菜は深々と溜息をついた。

 「私は、本当は死んでるべきなのかもしれない」

 死。

 その言葉が脳裏をよぎる。真剣に考えたことはないが、ふと思い浮かぶ。この世界から、ひっそりと消えてしまえばいいのに。

 けれど、死ぬ勇気もない。結局、陽菜は生きるしかないのだ。

 翌朝。

 満員電車の中で、陽菜はぼんやりと車窓の景色を眺めていた。見慣れたビル群が、どこまでも続いている。

 ふと、ホームの端に立つ若い女性が目に留まった。長い黒髪に、小柄な体型。スカートの裾がひらひらと風になびいている。

 その女性は、線路の向こう側をじっと見つめていた。まるで、この世界から消えてしまいたいかのように。

 陽菜は、その姿に不思議な感覚を覚えた。まるで、鏡に写った自分自身を見ているような。闇を抱えた者同士の、言葉にならない共感。

 次の瞬間、信じられないことが起きた。

 電車が駅に滑り込む中、その女性が線路に飛び込んだのだ。

 「キャー!」

 誰かの悲鳴が、騒然とするホームに響き渡る。陽菜は思わず目を背けた。

 あのときホームにいたのが、自分だったらどうしただろう。

 陽菜は、胸の奥で答えを知っていた。きっと、勇気を出して飛び込むことはできない。結局、死ぬ決心もつかないまま、いつまでもこの世界を彷徨い続けるのだ。

 そのことに、陽菜は絶望を覚えた。死ねもしない、生きる意味も見出せない。そんな中途半端な存在。

 目的地に着くまで、陽菜の脳裏からその女性の姿が離れなかった。ずっと心の片隅で、あの無言の叫びが残響していた。

 オフィスに着いた陽菜は、いつものようにデスクに向かった。隣の席の同僚・木村亮介が、ニヤニヤした顔で話しかけてくる。

「よう、相沢。なんか元気ないな」

「……別に、いつも通りですけど」

「そうかい。俺はさ、朝からパワー全開なんだけどな!」

 いつもの調子だ。適当に受け流しながら、パソコンの電源を入れる。今日も、この小さな画面に向かって働くのだ。

 仕事が始まると、陽菜の心はすぐに虚ろになっていく。上司のプレッシャーと、同僚とのどうでもいい会話。その繰り返しに、いつしか魂を削られているようだった。

 ふと、ホームで飛び込んだ女性のことを思い出す。彼女は、この世界の苦しみから解放されたのだろうか。

 真っ暗な気持ちのまま、陽菜は仕事を続けた。


第2章


 昼休み。いつものように、陽菜は1人で社員食堂でコンビニ弁当を食べていた。

 窓の外は、変わらずビル群が聳え立っている。見上げれば、狭い空に細長い雲が流れていた。

 ぼんやりと外を眺めていると、ふと昨日ホームで見かけた女性の顔が脳裏に浮かぶ。

 飛び込む直前の、あの悲痛な表情。今だって、陽菜の心に焼き付いて離れない。

「……生きるのが、辛かったのかな」

 小さくつぶやいて、陽菜は空を仰いだ。青空が、遠く感じられる。

 いつの間にか、大粒の雨が降り始めていた。雫が、窓ガラスを伝って落ちていく。

 ザワザワと騒がしくなる社員食堂。みんな、雨宿りをするように中に入ってくる。

 陽菜は、わざとゆっくりと食事を済ませた。人混みが苦手なのだ。

 雨脚が強くなってきた。濡れるのを覚悟で、陽菜は傘も差さずに外へ出る。

 冷たい雨が、頬を叩く。首筋を伝う雫の感触に、陽菜は目を細めた。

 こんな風に濡れていれば、誰にも涙は気づかれまい。

 いつからだろう。こんなにも、生きるのが辛くなってしまったのは。

 雨の中、陽菜はとぼとぼと歩き出した。行き交う人々は、皆急いでいる。

 傘の波。靴音の響き。誰もが、生きる目的を持っているように見えた。

 けれど陽菜には、そんなものは何一つ見当たらない。

 ただ漠然と、生き続けているだけ。

「……もういっそ、死んでしまえばいいのに」

 濡れた道を歩きながら、陽菜はぼんやりとつぶやく。

 そのとき、視界の片隅で人影が動いた。

 雨に煙る街角。そこで佇む女性は、昨日ホームにいた例の人物だった。

「……え?」

 信じられない光景に、陽菜は思わず足を止める。

 ホームから飛び降りたはずの彼女が、目の前に立っているではないか。

 まさか、幽霊……?

 一瞬、陽菜は本気でそう思った。けれど、幻ではなかった。

 女性は、陽菜の方にゆっくりと歩み寄ってくる。雨に濡れそぼった髪。暗く沈んだ瞳。

 陽菜は、その場に立ち尽くしていた。

「……死ねなかったの」

 女性が、虚ろな声でつぶやく。

「飛び降りたのに、気がついたらホームに戻されていた……」

「え……?」

「死ねなかったの、私」

 そう言って、女性は泣き崩れた。

 ホームの騒ぎの中で、誰かに助けられたのだろう。

 陽菜は、無言で女性を見つめていた。

 死のうとしたのに、死ねなかった。

 その絶望が、ひしひしと胸に迫ってくる。

「……よかった」

 陽菜は小さく呟いた。胸の奥から込み上げてくるものがある。

「死ななくて、本当によかった……」

 そのまま、陽菜は女性を抱きしめていた。

 初対面だというのに、まるで旧知の友のように。

 同じ孤独を抱えた者同士、言葉はいらなかった。

 しばらくして、2人は路地裏のカフェに入った。

 雨宿りがてら、ゆっくり話がしたかったのだ。

「……結城瑠璃です」

 コーヒーカップを手に、女性は名乗った。

「私は相沢陽菜です。瑠璃さんって、学生さん?」

「美大に通ってます。絵を描くのが好きで……」

「そうなんですね」

 会話を重ねるうち、瑠璃の人となりが少しずつ見えてきた。

 物静かだが芯の強い女性。けれど、心のどこかに深い闇を抱えている。

「……生きるのが辛いんです」

 ふと、瑠璃がつぶやく。その言葉に、陽菜の心が震えた。

「私だって、毎日が辛いです……」

「陽菜さんも?」

「死にたいと思うことだって、あります」

 初対面とは思えない、深い会話。

 2人とも、言葉を交わすごとに心が通い合っていくのを感じていた。

 しばらく話し込んだ後、陽菜と瑠璃は店を出た。

 いつの間にか、雨は上がっていた。

「……また、会えますか?」

 別れ際、瑠璃が尋ねる。

「ええ、また話しましょう」

 陽菜は微笑んで頷いた。

 死にたいと思う気持ち。生きることの辛さ。

 その感情を分かち合える人が、ここにいる。

 2人は、生きる絆を感じていた。

 次に会うとき、また心の内を明かし合おう。

 そう約束して、陽菜と瑠璃は別れた。濡れた路地に、夕陽が差し込んでいた。


第3章


 あれから数日後、陽菜と瑠璃は再会した。

 待ち合わせた公園のベンチに腰掛け、2人は川の流れをぼんやりと眺めていた。

 春の陽気に誘われて、人々は思い思いに時間を過ごしている。

 犬を散歩させるカップル。元気よく駆け回る子供たち。

 けれど陽菜と瑠璃の目には、その光景もどこか色褪せて見えた。

「生きるのが辛いって、瑠璃さんは言ってたよね」

「ええ……」

 しばらく無言が続いた。

 生きることへの絶望。それは、いまだに2人の胸の内にあった。

「今すぐにでも、死にたくなる……」

 瑠璃が、寂しげな声でつぶやく。

「私だって、毎日がつまらなくて」

「陽菜さんは、彼氏とかいないの?」

「いないよ。恋愛なんて、上手くいかないし」

「友達は?」

「うーん……」

 瑠璃の問いかけに、陽菜は言葉に詰まる。

 確かに、学生時代の友人もいる。けれど、今となってはめったに連絡を取ることもない。

「私、孤独なんだと思う」

 ふと、陽菜はそんな言葉を口にしていた。

 人付き合いが苦手で、どこか心を開けない。

 だから、生きるのが辛くなるのかもしれない。

「陽菜さん……」

 瑠璃の瞳が、陽菜を見つめる。

 その眼差しの先に、陽菜は静かな理解を感じた。

「ねえ、一緒に死のう?」

「え……?」

 唐突な瑠璃の言葉に、陽菜は息を呑む。

 一瞬、覚悟めいたものが胸をかすめた。

 けれど……。

「ごめん、私はまだ……」

 陽菜は、小さく首を横に振った。

 いくら絶望していても、死ぬ勇気はない。

 それに、瑠璃と出会えたことで、少しだけ生きる希望も見えてきたのだ。

「……そっか」

 瑠璃は、寂しげに微笑む。

「ごめんなさい。でも、私は陽菜さんと一緒にいると、少し生きててもいいかなって……」

「瑠璃さん……」

 気がつけば、陽菜は瑠璃の手を握っていた。

 きっと、同じ孤独を抱えているからこそ、分かり合えるのだ。

「じゃあ、私は仕事があるから」

 陽菜は瑠璃に暫しの別れを告げる。


 2人で、生きる意味を見つけられたらいい。

 そんな思いが、陽菜の中にはあった。

 川面を渡る風が、陽菜の髪をそよがせる。

 ふと、陽菜は空を見上げた。雲一つない青空が、どこまでも広がっている。


 そのとき、不意に人々の悲鳴が聞こえた。

「キャー!」

「誰か、倒れてる!」

 一瞬にして、公園が騒然とする。

 陽菜は、その方角へと駆け寄った。

 そこには、血を流して倒れている男性の姿があった。

「救急車、早く!」

 誰かが叫ぶ。

 混乱の中、陽菜は男性に駆け寄る。

「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 けれど、男性は目を開けたまま、ぐったりと動かない。

 そのとき、ふと視線の先に見慣れた人影が目に入った。

 救急隊員に事情を説明している、あの長い黒髪……。

「瑠璃さん……?」

 信じられない光景だった。

 男性を突き飛ばしたのは、他ならぬ瑠璃だったのだ。

「どういうこと……?」

 呆然とする陽菜に、瑠璃は悲しげに微笑んだ。

「ごめんなさい、陽菜さん」

「瑠璃さん、まさか……」

「私、この人を殺そうとしたの」

 その言葉は、陽菜の脳裏に突き刺さった。

 目の前で、信じられない事件が起きていたのだ。

 救急車のサイレンが、遠ざかっていく。

 残されたのは、言葉を失った陽菜と、俯いたままの瑠璃。

 そして、血痕が残る地面……。

 春の日差しが、無情にもそれを照らし出していた。


第4章


 事件から数週間が経った。

 瑠璃は警察に連行され、そのまま姿を消してしまった。

 陽菜は、信じられない思いでその日々を過ごしていた。

 優しい笑顔を見せていた瑠璃が、人を殺そうとしていたなんて……。

 陽菜の心は、深い喪失感に沈んでいた。

 ある日の夕暮れ時。陽菜は一人、事件のあった公園を訪れていた。

 ベンチに腰掛け、ぼんやりと夕焼けを眺める。

 オレンジ色に染まる空。黒いシルエットとなった木々の並び。

 その風景は、まるで陽菜の心情を映し出しているようだった。

「……瑠璃さん」

 小さくつぶやき、陽菜は目を伏せる。

 胸に、ぽっかりと穴が開いたような喪失感。

 せっかく見つけた、理解者を失ってしまったのだ。

 2人で、新しい人生を歩めると思っていたのに。

「陽菜」

 不意に、背後から声が聞こえた。

 聞き慣れた、あの声……。

「……瑠璃さん?」

 振り返った先に、瑠璃が立っていた。

 髪を切り、服装も一新している。けれど、その佇まいは紛れもない瑠璃だった。

「なんで……ここに?」

「刑務所から、出てきたの」

 そう言って、瑠璃はフッと笑みを浮かべる。

「罪を償って、生まれ変わろうと思った」

「……そう、なんだ」

 陽菜は、安堵のため息をついた。

 たとえ人を傷つけようとしたとしても、瑠璃のことは許せる気がしていた。

 きっと、あの頃の瑠璃は、心の闇に囚われていたのだ。

 それを乗り越えたからこそ、今ここにいるのだろう。

「私、もう二度と人を傷つけたりしない。これから、新しい人生を歩むつもりなの」

「……良かった」

 そっと、陽菜は微笑んだ。

 きっと、またやり直せる。

 2人で、新しい未来を歩んでいけるはずだ。

「ねえ、これからどうするの?」

「私、福祉の仕事に就こうと思ってる。困っている人たちの力になりたいの」

「すごいね……」

 きっと、瑠璃なら、やり遂げられる。

 人の痛みが分かるからこそ、その手を差し伸べられるはずだ。

「陽菜は、これからどうするの?」

「私は……」

 ふと、瑠璃に尋ねられて、陽菜は言葉に詰まる。

 今の仕事を辞めて、新しい人生を歩もうかと思っていた。

 けれど、具体的にどうするかは、まだ見えていなかった。

「陽菜も、私と一緒に福祉の道を目指さない?」

「……え?」

「陽菜みたいに、優しくて思いやりのある人、必要とされてると思う」

「……ありがとう」

 瑠璃の言葉に、陽菜は胸が熱くなるのを感じた。

 そうだ、新しい人生を歩むなら、瑠璃と一緒がいい。

 理解し合える、かけがえのない存在と共に。

「……一緒に、頑張ろう」

「ええ」

 瑠璃と手を取り合い、陽菜は立ち上がった。

 オレンジ色の夕焼けが、2人を照らし出す。

 閉ざされた心の扉が、ゆっくりと開いていくのを感じた。

 一歩ずつ、前に進んでいこう。

 きっと、生きる意味を見つけられる。

 2人の新しい一歩は、そこから始まった。


 数年後。

 陽菜と瑠璃は、福祉施設で働いていた。

 困難を抱えながらも、前を向いて生きる人々の支えとなる毎日。

「陽菜、今日の利用者さんのケア、私に任せて」

「ありがとう、瑠璃」

 優しく寄り添う瑠璃の姿を見て、陽菜は微笑む。

 充実感に満ちた日々。生きている実感を、心の底から感じられる。

「このまま一生、こうしていたいね」

「ええ、ずっと一緒だよ」

 瑠璃に手を引かれ、陽菜は歩き出す。

 オレンジ色の夕日を浴びながら、2人は肩を寄せ合って歩いていく。

 かつての孤独も絶望も、遠い過去の思い出。

 今はただ、共に歩む喜びを感じていた。

 穏やかな風が、2人の髪をなびかせる。

 その先に、光り輝く未来が待っているのだから。


第5章


 それから10年の歳月が流れた。

 福祉施設の一室で、陽菜はぼんやりと窓の外を眺めていた。

 穏やかな午後。柔らかな陽光が、緑豊かな庭を照らしている。

 ふと、ドアが開く音がした。

「陽菜、ちょっといい?」

 顔を出したのは、瑠璃だった。

 歳を重ね、少し丸みを帯びたその表情は、昔と変わらない優しさに満ちている。

「どうしたの、瑠璃」

「ちょっと、屋上に来ない?」

「屋上?」

 首を傾げる陽菜に、瑠璃は頬を緩めた。

「いいから、来て」

 そう言って、瑠璃は陽菜の手を引く。

 屋上は、いつもの憩いの場所だった。

 福祉の仕事に就いてからというもの、2人はよくこの場所で語り合っていた。

 10年前のあの日のことを。絶望に満ちていた過去を。

 そして、見つけた新しい生きる意味を。

 今日も、そんな話をするのだろうか。

 ドアを開けると、そこは花々に囲まれた別世界だった。

「わあ……!」

 思わず、陽菜は歓声を上げる。

 いつもの殺風景な屋上が、色とりどりの花で埋め尽くされているではないか。

「どうしたの、これ?」

「陽菜へのサプライズ」

 そう言って、瑠璃は人差し指を立てた。

「今日は特別な日だから」

「特別な日……?」

 オドオドと尋ねる陽菜に、瑠璃は小さく息を吐いた。

「陽菜、忘れちゃったの? 今日は、あの日から丸10年目の記念日だよ」

「……!」

 瑠璃の言葉に、陽菜は目を見開く。

 10年前のあの日。

 2人の新しい人生が、始まった特別な日。

「私、ずっと覚えてたの。だから、こうしてお祝いしたくて」

「瑠璃……」

 花に囲まれて佇む瑠璃を見て、陽菜の目に涙が浮かぶ。

 長い年月の中で、苦楽を共にしてきた盟友。

 いつしか、かけがえのない存在になっていた。

「ありがとう、瑠璃。私、すっかり忘れてた……」

「もう、陽菜はドジねえ」

 そう言って、瑠璃は笑った。

 午後の陽光を浴びて、歓喜に満ちたその表情。

 陽菜は、10年前のあの日の瑠璃を思い出していた。

 暗く沈んでいた瞳。死ぬことばかり考えていた、あの頃を。

 それが今では、こんなにも輝いている。

「ねえ陽菜、この10年間、幸せだった?」

 ふいに、瑠璃が尋ねた。

 人生の半ばを過ぎた今、改めて問われる幸福の意味。

「……うん、幸せだったよ」

 陽菜は、即答した。

 理解し合える仲間と共に過ごす日々は、かけがえのないものだった。

「陽菜がいたから、私はここまで来られた。本当に、ありがとう」

「私も、瑠璃に感謝してる。一緒に歩んでくれて」

 見つめ合って、2人は笑みを交わす。

 風が、花々を揺らした。

 色とりどりの花弁が、陽光に煌めく。

 まるで、2人の人生を祝福するかのように。

「これからも、ずっと一緒だよね」

「ええ、もちろん」

 固く手を握り合い、陽菜と瑠璃は誓い合う。

 幾多の困難を乗り越えて、2人はここまで来た。

 絶望の淵から、新しい人生を歩み始めて。

 この日々が、ずっと続いていけばいい。

 穏やかで、平凡で、でも幸せに満ちた日常が。


 夕暮れ時、陽菜と瑠璃は施設を後にした。

 いつもの河原を、ゆっくりと歩いていく。

「ねえ陽菜、覚えてる? ここ、昔私たちがよく来た場所」

「ええ、もちろん覚えてるわ」

 あの頃は、まだ人生を諦めかけていた。

 この川に身を投げようと、本気で考えたこともある。

 それが今では、こうして穏やかに歩けるのだから。

「生きてて良かった、本当に」

 瑠璃がつぶやく。

 その言葉に、陽菜は小さく頷いた。

「私も、生きててよかった」

 かつての絶望が、うそのように思える。

 2人で生きる意味を見つけられた奇跡に、改めて感謝の念を覚える。

 川面を渡る風が、頬をくすぐった。

 ゆらゆらと、夕日が水面に揺れている。

「あれ? 花火だ!」

 空を見上げた瑠璃が、声を上げた。

 夏の夜空に、色とりどりの花火が咲き誇っている。

「綺麗ね……」

 陽菜は、思わず息を呑んだ。

 打ち上げ花火が、2人の新しい門出を祝福しているかのようだった。

 生きる意味。

 それは、こんな小さな喜びの中に息づいているのかもしれない。

 日常のふとした瞬間に、幸せを感じられる心。

 2人は今日という日を、一生忘れないだろう。

 歩んできた道のりを、これからの人生を。

 そっと手を取り合い、陽菜と瑠璃は花火を見上げた。

 夜空を彩る光が、2人の未来を照らし出していた。

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孤独な魂の絆 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI

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