夏の果て

パ・ラー・アブラハティ

夏の果て、君に会いたい。

 外はうだる暑さ、あと一日で終わる夏休み。すぐそこに迫る秋の背中なんて構い無しの夏は日に日にジリジリと気温を上げる。机の上には片付けられた夏休みの宿題が積まれ、終わってしまう休みの輪郭を強める。


 僕はエアコンの効いた部屋、ベットの上で呆然と天井を見上げていた。することもないから脳みそは、終わってしまう夏休みのことばかりを考え憂鬱になる。終わりの間際にこんな気持ちになるのは些か嫌だったので、外にアイスでも買いに行くことにした。


 机の上に置いておいた財布をズボンの前ポケットに入れる。二階にある自室の部屋から玄関へ階段をおりていく。リビングからはテレビの音が聞こえる。僕はサンダルを履いて、うだるような暑さの外へ繰り出す。


 扉を開けるとカメラのフラッシュを目の前でたかれたような眩しさが目を焼きつける。太陽はこれでもかと輝きをましている。コンクリートからは陽炎が登り、木々は木漏れ日を作っている。ほんの少し出ただけでも額に汗がじわっと滲む。


 僕は暑さを耐えながら二分ほど先にあるコンビニへと急ぐ。足早に住宅街を抜け、その先にあるコンビニにたどり着く。先に来ていたお客さんがコンビニから出て来てフワッと冷気が肌を撫でる。


「いらっしゃいませ〜」


 間延びした若い女性店員の声が店内に響く。額に滲んでいた汗はコンビニ内の冷気に当てられて無くなっていく。


 目当てだったアイスコーナーに着く。溶けないよう冷蔵室に入れられているアイスの多種多様な品目は、まるで豪華絢爛な宝石箱のようだ。金額が高いアイスは避け、財布に優しい金額が安いアイスの方で吟味する。


 僕の目にひとつのアイスが止まった。百八円で買えるお手頃価格のバニラアイス。このアイスはあいつがよく買っていたやつだ。気付いたら姿を見なくなったけど、再販でもしたのかな。そんなことを思いながらそれを手に取り、レジに持っていきお会計を済ませる。


 外に出るとまたあの暑さが身体を襲う。家まではすぐに帰れるけれど、せっかくだから外で食べてもいいなと思いコンビニの横にある公園で食べることにした。休みだから人が多いかと思っていたが公園は閑散としていた。ベンチに腰をかけて、アイスを口にほお張る。


 バニラの甘味が口の中に広がり涼しさが身体中を駆け巡る。天から暑さが降り注いでいるなか食べるアイスは格別に美味しい。アイスを食べ続けていると、人の足音が公園の入口の方から聞こえる。視線をチラッとそちらに移すと、白いワンピースに麦わら帽子を被った黄色髪の女性がいた。すらっとした体型でモデルみたいだった。


 美しい人だな、と視線がクギ付けになっていると女性はこちらへ向かって来ていた。


「君、私が見えますか?」


 突然女性にそう問いかけられ、僕は固まってしまい恐怖が全身を支配する。暑さで出る汗とは違う、汗が身体中から吹き出る。


「あ、いや私怪しい人じゃなくて。観光客なんですよ」


 そう女性は慌てた様子で言う。僕はその言葉を信じることは出来なかったけど、このまま恐怖に支配されていては、助かるものも助からないと思い言葉を何とか発する。


「か、観光客ですか?」


「はい、そうです。私ここら辺よく分からなくて、私が見えていそうなあなたに声をかけたんですよ」


「み、見えているというのはどういうことなんですか?」


「日本人にはそう道を聞けって母国で習いました」


「それ嘘っぱちですよ。そんな聞き方しませんって」


 僕は女性の佇まいから外国人ということに納得していた。それにこの女性からは悪意とかそういった類のものを一切感じられない。むしろ、懐かしさすら覚える安心感がある。だから、僕の心からは知らず知らずのうちに恐怖心が消えていた。


「日本語難しいですね。喋れるようにはしてきましたが、言葉の意味まではまだ分かりません」


「そこまで喋れるなら立派だと思いますけどね」


「本当ですか?嬉しいです、私」


 女性は頬を掻きながら言う。


「それで僕に何か聞きたいことがあるんですか?」


「あぁ、そうでした。ここら辺にこの街を一望できるという山があると聞いたんです。どこにありますか?」


 この街を一望できる山。きっと、古野山このえざんのことだろう。昔から絶景スポットの観光名所として多くの人が集まる。それこそ外国からの人は多い。それに古野山は告白スポットしても有名で日夜問わずカップルが生まれる名所だ。夜景が生える瞬間、夕焼けが生える瞬間、その瞬間に告白をすれば必ず成就するという噂までもある。どこまでが真実なのかは誰も知らない。


「あぁ、きっと古野山のことですね。ここから徒歩十五分ぐらいのところにありますよ」


「徒歩十五分?電車とかで行けますか?」


「いえ、ここからなら歩いた方が早いです。この公園を真っ直ぐ出て行って、すぐそこの信号を右に曲がって、商店街が見えますがそのまま素通りしてもらったら古野山です」


「……ごめんなさい、全然分かりません」


 女性は申し訳なさそうに言う。僕はせっかく遠いところから来てもらったのに、このまま古野山に行けず帰ってもらうのは忍びないと思ったので「案内します」と言う。手に持っていたアイスを一気に頬張り女性と共に古野山へと向かう。


 道すがら女性と色々な話をする。女性の名前はシー・レユニオン、アメリカ出身の三人家族年齢は僕と同い歳。日本には昔から強い憧れがあり、お金を貯めて来たそうだ。


「レユニオンさんは日本に住みたいとかあるの?」


僕はそう問いかけるとレユニオンでいいと言われる。なら僕も下の名前で呼んで、と返す。


「もちろんですよ。この美しく綺麗な街並みはとても最高です。いつか住んでみたい国ナンバーワンですよ」


「美しいかあ、住んでみたらそうじゃないかもよ」


「うーん、確かに住んでみたら今まで目に見えてこなかったものが見えてきて汚いと感じる瞬間があると思いますが、そこを超える何かがあると私は信じてますから」


 僕はレユニオンの力強さに少し黙ってしまった。この芯が一本通った感じ、あいつに似てるな。もし、この場にいたらレユニオンと意気投合してあっちへこっちへ連れ回してたはずだろう。そんな妄想が頭に浮かんで僕は微笑む。


「天馬?どうかしました?」


 レユニオンが顔を覗き込んで聞いてくる。僕はなんでもないよと返す。頭の中に溢れ出した妄想に蓋をして案内を続ける。山に近づくに連れて、どんどんと人が増えてゆく。レユニオンに離れないように、と言い人混みの中をかき分けてゆく。


 人が密集しているせいか、やけに暑い。汗が溢れ出して来る。後ろを振り返りレユニオンがちゃんと着いてこれてるか確認しながら進んでいく。


 何とか登山道の入口に着く。僕もレユニオンも山に登る前に人の山を登ったせいで、ぜえはあと息を切らしていた。


「レユニオン、こっち来て」


 僕は息を切らしているレユニオンに登山道とは違う方向に来るよう言う。


「こっちの方からも実は登れるんだ。一般的な登山道じゃないから危ないけど、穴場から見る景色は一級品だよ」


「本当ですか!?秘境ってやつですね!」


「秘境というよりかは僕たちの秘密の場所」


「秘密の場所?もっとワクワクします!冒険心をくすぐられます!」


「わかるよ、その気持ち。冒険心爆発だよね」


 息を切らしていたレユニオンはぱあっと明るくなって目に星を散らばす。


 一般的な登山道から少し離れた場所にある入口。この入口から行くと道は登山道と比べて不安定だが、人が歩く分には問題は無い。それに誰もいない穴場のスポットにも行ける。


 この入口を見つけたのは小学生の頃。あいつと僕、二人だけの小さな冒険をしていた時たまたま見つけた未知なる探検への道だった。


 もちろん、危険は伴うし命も落としかねないが小学校の僕たちにはそんなことを考える余裕なんてない。あるのは、眼前に広がる普通では無い道への好奇心と希望。気分はまるで宝探し。それからこの場所は二人の秘密の場所として、何か嫌なことがあった時や相談事をする時に使うようになっていた。


 二人の秘密だったがもう守る必要はきっとない、あいつは怒るかもしれないが。それにレユニオンからは、どこか似た雰囲気を感じるから案内してもいいだろうという気持ちもあった。


「かなり細い道だけど慎重に落ち着いていけば大丈夫だから」


「これぞまさに冒険って感じですね!燃えてきました」


「燃えてくるのはいいけど本当に危ないから気をつけてね」


 僕とレユニオンは整備のされてない細い道を進んでいく。辺りは木々が生い茂っており、足を少し滑らすとその瞬間地面を転がり木にぶつかる。命の危険はあるが、慎重に歩けばなんてことは無い。地面に落ちている葉の音がパリッパリッ、と静かな森に響く。


 ずっと真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ進んでいく。だんだんと道は拓けてきて、太陽の光が目を焼き付ける。


「着いたよ、ここが僕たちの秘密の場所だ」


 眼前に広がるは美しき風景。街が一望でき、太陽が反射する海が鮮やかに見える。誰もいないこの場所に響く音は二人の呼吸。


「す、すごいです。とても綺麗です!」


 興奮した様子でレユニオンが言う。まるで僕たちが初めてこの場所を訪れた時のようだ。


「だろ、たまに僕も来るんだ」


「……そういえば天馬は僕たちの秘密の場所と言いましたがもう一人の方は誰なんですか?」


 そうだな、と僕は間を置く。


 僕が言う、僕たちとは一年前に亡くなった海風向日葵うみかぜひまわりのことを指していた。幼稚園の頃から一緒で家も隣。親同士も仲が良く、もちろん僕たちも仲が良かった。そんなアニメのような関係を築いていた。


 うじうじと面倒臭い僕とさっぱりとした強気の向日葵。正反対の性質だったけど、僕たちは意気投合していた。いや、むしろそれが良かったのかもしれない。受け身の僕には都合が良くて、向日葵もそれが良かったのだろう。だから、凹凸がハマったみたいな感じだった。


 そして、向日葵はアメリカに留学しに行くと言って、帰ってくるはずの飛行機が墜落し亡くなってしまった。


 僕はその現実を長いこと受け止めきれなかった。活発で何をしてもしぶとく生きてそうな向日葵が亡くなった、と聞いた時は本当に信じられなかった。なんの冗談だ、とずっと思っていた。だけど葬式の時、棺桶に入った美しく化粧を施された向日葵を見て見たくなかった現実がこちらへ歩み寄ってきたんだ。


 生前と何も変わらない黒くて綺麗な髪。整った鼻にパッチリとした目。それが辛かった。こんなにも綺麗なのに美しいのにもう喋ることは無い。僕はその瞬間、堪えていた涙が溢れ出てきた。ずっと、ずっと我慢していた涙はとめどなく溢れた。


「……約束してたんだ、帰ってきたらまたここで会おうって。でも、叶わなかった。叶えたかった」


「……きっと、その向日葵さんは傍に居てくれてますよ。ずっと見ていると思います」


「そうかな、そうだと嬉しいな」


「向日葵さんのこと好きだったんですか?」


「うん、好きだった。だから、帰ってきた時ここで告白しようと思ってたんだ」


 僕は向日葵のことが好きだった。昔からずっと一緒で、楽しくて、気付いたら好きになっていた。だから、帰ってきた時この場所で告白をしようと思っていた。だけど、それは叶うことがなかった。時折、ここに来るのはその想いがまだ捨てきれてないからだった。


「向日葵さんも天馬のこと好きだったと思いますか?」


「どうだろうね、それを聞く前にいなくなっちゃうからさ分からないや」


「私は好きだったと思いますよ。女の勘ってやつです」


「……そうだと嬉しいね。そろそろ降りよっか。日が暮れると危ないし」


「あと、もう少しだけここにいさせてください」


「なら、僕も」


「いえ、天馬は帰ってください。色々としてもらって申し訳ないですから」


「そう?帰り方は来た道を戻ればいいからね」


「はい、ここまでありがとうございました。急に声をかけたのに」


「いや、向日葵ならそうしただろうなって思ってさ。こちらこそありがとう。楽しかったよ、気をつけて帰ってね」


「天馬こそ気をつけて下さい。楽しい思い出が出来ました」


「うん、じゃあね。また会えたらいいね」


「はい、さようなら」


 そうして僕はレユニオンを置いて、一人下山した。


「じゃあね、天ちゃん。会えて嬉しかった、ずっとずっと大好きだよ」


 夏の果て、私は僕はまた君に会いたい。

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