魔女の墓石あるいはふたりのロッケンデッテ

尾八原ジュージ

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 むかしむかし、今はもうない小さな国に、今はもうない町があって、そこにロッケンデッテという娘がふたり住んでいた。わりあい珍しい名前なのに、ふたりは姓も同じ(ただしこの町に住んでいるひとたちはみんな同じ苗字だった)、おまけに誕生日はたったの一日ちがいだった。

 ふたりのロッケンデッテのうち、ひとりは裕福な商人の娘で、海の近くの大きな屋敷に住んでいた。もうひとりは親のない貧しい子で、山の近くの小屋に住み、墓守をして食い扶持を稼いでいた。それで町のひとたちは、ふたりのことを「海の方と山の方」とか、あるいは「商人の方と墓守の方」とか、もっと露骨な連中は「金持ちの方と貧乏の方」だとか呼び分けていたが、当人たちはあまり気にしていなかった。というのもふたりのロッケンデッテはほんものの姉妹のように仲がよくて、たがいに呼び合う分には「ねぇ」とか「ちょっと」とか、あるいは「わたしのロッテ」だとかで十分ことが足りるのだった。


 ふたりのロッケンデッテは、毎日のようにお互いの家を行き来していた。町のひとびとは、あるときは山のロッケンデッテが海辺へ続く道を歩いていくのを見かけ、またあるときは海のロッケンデッテが仔馬に乗って、山の方へと向かう姿を目にするのだった。

 ところがある年の夏を境に、町のひとたちは海のロッケンデッテの姿をめっきり見なくなった。代わりに山のロッケンデッテが、野花の束を作りながら、海の方へゆく姿ばかりを見かけるようになった。

 というのも海のロッケンデッテは夏のうちに病気になって、屋敷から出ることができなくなっていたのだった。彼女の父母はあちこちから医者や祈祷師を呼んだが、だれも娘の病気を治すことはできなかった。


 さて、ある秋の日のこと、山のロッケンデッテは墓地の掃除を終えると、海のロッケンデッテのお見舞いに出かけた。野花の花束を作りながら歩いていくと、途中に白樺の林があって、中からコーンコーンと高らかな音が聞こえてきた。

(なんの音かしら)

 気になって林の中に入っていくと、ひとりの老婆が真っ白な石を鑿で削っていた。

「もしおばあさん、何をなさっているんでしょう」

 老婆は振り向いてニタニタ笑った。見覚えのない顔だった。

「墓石を彫っているのさ。かわいい娘さん」

 そのとき山のロッケンデッテは、この不気味な老婆が魔女だということに気づいた。というのもこのあたりには「魔女に墓石を彫られると死ぬ」という言い伝えがあって、彼女もそのことをちゃんと知っていたからだ。さらにおそろしいことには、その墓石にはなんと、ロッケンデッテの名前が彫られていた。

 山のロッケンデッテが血も凍るような悲鳴をあげるより早く、魔女は金物をひっかくような声で笑いながら、煙になって消えてしまった。あとには白い石に彫られた墓石が残るだけ。

 さて残された山のロッケンデッテは、なにしろおそろしいものを見てしまったものだから震えがとまらない。おまけに墓石に彫られた命日は、今日この日を示している。これが自分の墓石だとしたら、まもなく死なねばならないのだ。

 ところが落ち着いてよく見ると、魔女はたった一文字、すなわち死者が生まれた日付の、最後の一桁を彫り残していた。これではこの墓石が自分のものか、それとも海のロッケンデッテのものかわからない。

「もしかするとこの墓石は、海のロッケンデッテのものではないかしら」

 山のロッケンデッテはそう考えた。なぜって、海のロッケンデッテはもう三月も病気で臥せっているからだ。医者も祈祷師も治せない病気だというなら、もうその寿命は長くないのではないか。

 海のロッケンデッテが死ぬことを考えると、山のロッケンデッテは胸がはりさけそうな悲しみにおそわれた。この町でたったひとりのロッケンデッテになったのち、幸せに生きていけるような気が、どうしたってしなかった。一生うす暗い墓地の番をしながら、さびしく暮らしていくのだと思うと、この先生きていくのが急におそろしくてたまらなくなった。

「決めた。この墓石は、わたしのものにしてしまいましょう」

 そうひとり言を呟くと、山のロッケンデッテはふらふらと歩き始めた。

 白樺の林の奥には泉があり、冷たい水がこんこんとわいていた。山のロッケンデッテは泉の畔に立つと目を閉じ、心のなかで海のロッケンデッテに別れを告げて、身を投げてしまった。


 海のロッケンデッテはその日、いくら待っても山のロッケンデッテが来ないので、まず小間使いに頼んで探しに行かせることにした。ところがその日は皆が出払っていて、屋敷に残っているのは足を挫いた料理番ばかり。仕方がないので海のロッケンデッテは、ひさしぶりに仔馬に乗って屋敷を出た。

 海のロッケンデッテが山の墓地へと続く道を辿っていくと、途中の白樺の林から、コーンコーンと高い音が聞こえてきた。

 気になって林の中に入っていくと、ひとりの老婆が真っ白な石を鑿で削っていた。

「もしおばあさん、何をなさっているんでしょう」

 老婆は振り向いてニタニタ笑った。見覚えのない顔だった。

「墓石を彫っているのさ。かわいい娘さん」

 そのとき海のロッケンデッテは、この不気味な老婆が魔女だということに気づいた。というのもこのあたりには「魔女に墓石を彫られると死ぬ」という言い伝えがあって、彼女もそのことをちゃんと知っていたからだ。さらにおそろしいことには、その墓石にはなんと、ロッケンデッテの名前が彫られていた。

 海のロッケンデッテが血も凍るような悲鳴をあげるより早く、魔女は金物をひっかくような声で笑いながら、煙になって消えてしまった。あとには白い石に彫られた墓石が残るだけ。

 さて残された海のロッケンデッテは、なにしろおそろしいものを見てしまったものだから震えがとまらない。おまけに墓石に彫られた命日は、今日この日を示している。これが自分の墓石だとしたら、まもなく死なねばならないのだ。

 ところが落ち着いてよく見ると、魔女はたった一文字、すなわち死者が生まれた日付の、最後の一桁を彫り残していた。これではこの墓石が自分のものか、それとも山のロッケンデッテのものかわからない。

「まさかこれは、山のロッケンデッテのものではないかしら」

 海のロッケンデッテはそう考えた。

 これが自分の墓石ならばまだいい。というのも、自分の病はどうやら治らないものらしい。だから近いうちに死ぬということは、悲しいけれども納得がいく。

 だけど、この墓石が山のロッケンデッテのものだとしたらどうだろう。自分は親友を失ったうえ、だんだん重くなる病気の苦痛と恐怖に耐えなければならないのだ。そう考えると、海のロッケンデッテはおそろしさのあまり眩暈がした。

「決めた。この墓石は、わたしのものにしてしまいましょう」

 そうひとり言を呟くと、海のロッケンデッテは仔馬の手綱を外してやった。屋敷に帰っていく仔馬を見送ってから、彼女はふらふらと歩き始めた。

 白樺の林の奥には泉があり、冷たい水がこんこんとわいていた。海のロッケンデッテは泉の畔に立つと目を閉じ、心のなかで山のロッケンデッテに別れを告げて、身を投げてしまった。

 そして揺らめく水面の下に顔が潜ったとき、海のロッケンデッテは眼下の水底に、青白い顔で沈んでいる山のロッケンデッテの姿を見つけた。


 こうしてこの町から、ロッケンデッテという娘はひとりもいなくなってしまった。

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