平成10年(1998年)

第2話 2


 朝食を終えた潤太は、自分の部屋に戻り、今日の授業の予習を始めた。以前の自分とは違い、すぐに内容を理解できるようになっていることに驚きながらも、嬉しさを感じていた。


「これからは何でもできる気がする」


 彼は新しい自分の力に自信を持ち、これからの人生に期待を抱いた。準備を整えた後、潤太は窓の外に目をやった。1998年の東京の風景が広がっていた。薄曇りの空に、街並みが静かに目を覚まし始めている。


「1998年……懐かしいな。」


 潤太はこの時代のことを思い出し始めた。1998年は、日本にとっても、世界にとっても重要な年だった。携帯電話が急速に普及し始め、インターネットが一般家庭に浸透してきた時代だ。Windos 98が発売され、コンピュータがますます日常生活に欠かせないものとなっていた。人々は初めてのデジタル体験に興奮し、未来の可能性に胸を躍らせていた。


「確か、冬季長野オリンピックが開催された年だよな」


 1998年の初め、日本は冬季オリンピックの熱気に包まれた。長野で開催されたオリンピックでは、数々の感動的な瞬間が生まれた。スキージャンプやフィギュアスケートでの日本選手の活躍に、全国が歓喜した。


「サッカー日本代表がフランスワールドカップに初出場した年でもあるな」


 潤太はサッカーが好きだったことを思い出し、その年の興奮を振り返った。中谷英寿がイタリアのセリエAで活躍し、若者たちの間でサッカー熱が高まっていた。彼は友人たちと一緒にテレビにかじりつき、日本代表の試合を応援したことを思い出した。特に、フランスワールドカップでの試合は深夜にも関わらず、眠い目をこすりながら見守った。試合の度に繰り広げられる激戦に胸を躍らせ、未来の夢を描いていた。教室やグラウンドでは、試合の感想や選手のプレーについて語り合った。


「横浜シースターズが38年ぶりに日本一になった年でもあったな」


 プロ野球では、横浜シースターズが38年ぶりに日本一に輝いた。特に、佐々木宏浩投手の「ハマの鬼神」という異名は、強烈に印象に残っている。港浜高校の松本大輔投手が、高校野球の決勝戦でノーヒットノーランを達成したこともあり、野球ファンにとっては忘れられない年だった。


「ゲームもたくさんやってたな」


 潤太は、当時夢中になっていたゲームの数々を思い出した。GameStationが全盛期を迎え、『ファンタスティッククエストVII』や『スティールギアソリッド』といった名作が次々と登場していた。友達と集まっては、放課後や休日に熱中した。ゲームの世界に没頭し、冒険を楽しみ、時にはクリアするために夜更かしすることもあった。特に、RPGのストーリーに感動し、自分もこんなゲームを作りたいと思うようになった。自分が転生前に取り組んでいたゲーム開発の原点は、この頃に培われたのだと感じた。ゲームショップに行き、新作ゲームを手に取るときの興奮は今でも忘れられない。


「インターネットもまだまだ黎明期だったな」


 潤太は、自分が初めてインターネットに触れた時の興奮を思い出した。Yahiro JAPANが設立されたのもこの時期で、検索エンジンやメールが新しいコミュニケーション手段として広まりつつあった。彼は友人たちと掲示板で交流し、ホームページを作成する楽しさを知った。最初に作ったホームページは、簡単なプロフィールと好きなゲームの紹介だったが、それでも自分のスペースを持つことに大きな喜びを感じていた。電話回線を使っての接続で、家族が電話を使いたいときにはネットを切る必要があったのも懐かしい思い出だ。深夜にこっそりインターネットに接続し、新しい情報を手に入れる喜びは、他に代え難いものだった。


「そういえば、音楽も色々聴いてたな」


 1998年は音楽シーンも豊かだった。小林ファミリーの楽曲がチャートを席巻し、L'Arche〜en〜CielやGRAYなどのバンドも大人気だった。彼はラジオから流れる最新のヒット曲に耳を傾け、友達とカラオケに行っては歌った。MD(ミニディスク)に好きな曲を録音し、通学の途中や部屋で何度も聴いた。音楽は彼の生活の一部であり、毎日の楽しみだった。特に、友達と一緒にカラオケで歌う時間は、笑いと楽しさが詰まっていた。音楽番組で好きなアーティストの新曲が披露されると、すぐにMDに録音して何度も聴いた。


「映画もいい作品が多かった」


 潤太は当時観た映画のことを思い出した。『タイタナス』が大ヒットし、レオナルド・ディカプラとケイト・ウィンスローの演技に感動した。日本映画では『踊る警察線 THE FILM』が公開され、そのユーモアとアクションに魅了された。彼は映画館での体験を大切にし、家族や友人と一緒に映画を楽しんだことを鮮明に覚えていた。映画を観た後は、そのシーンやキャラクターについて熱く語り合い、時には映画の影響で自分の行動やファッションに取り入れることもあった。


「おもちゃやガジェットもたくさんあったな。」


 1998年はタマペットやモンポケが子供たちの間で大流行していた。潤太もタマペットを持ち歩き、学校の休み時間や放課後に友達と一緒に育てていた。また、モンポケのプレイボーイソフトを持ち寄っては、通信ケーブルで交換やバトルを楽しんだ。ガジェットやおもちゃの進化に胸を躍らせ、新しい製品が発売される度に興奮していた。モンポケのカードゲームも大人気で、友達とカードを交換したり、対戦したりするのが日常の一部だった。


「ファッションも懐かしい」


 1998年のファッションも鮮明に思い出された。ボンタンや学生帽が人気で、彼も一時期そうしたスタイルを取り入れていた。また、ダボっとしたジーンズや、スポーツブランドのジャージも流行していた。友達と一緒に街に出かけ、流行のアイテムを探し回ったり、雑誌で最新のファッションをチェックしたりしていた。ジーンズの裾を折り返し、スニーカーと合わせるスタイルが特にお気に入りだった。ネイルアートやカウボーイハット、迷彩柄の服も流行しており、個性的なスタイルが街を彩っていた。


「和歌山毒物カレー事件なんてのもあったな」


1998年には和歌山毒物カレー事件も発生し、全国を震撼させた。日常の安全が脅かされるような出来事に、不安を感じたことも思い出された。


「明石海峡大橋が開通したのもこの年だったな」


 明石海峡大橋が開通し、全長3911mで世界最長のつり橋として話題になった。建設技術の進歩に驚きと誇りを感じた。


「Z JAPANのhidoが亡くなったのも衝撃だった。」


 Z JAPANのギタリストhidoが亡くなり、ファンたちは大きなショックを受けた。彼の音楽と存在は、多くの人々に影響を与えていた。


 潤太は、自分が戻ってきた1998年という時代の可能性を感じ、改めて決意を新たにした。この時代には、まだまだ多くのチャンスが転がっている。自分が知っている未来の技術やトレンドを活かし、今度こそ最善の結果を導き出そう。


 潤太の家族は、東京都郊外の多摩市に住んでいた。多摩市は緑豊かな住宅街が広がり、公園や自然が多く、静かで落ち着いた環境だ。家は2階建ての一軒家で、周囲には広い公園や小さな商店街があり、家族連れが多く住むエリアだ。家の前には小さな庭があり、母親が丹精込めて育てた花々が咲き誇っている。庭には小さなベンチがあり、家族が団らんを楽しむ場所となっていた。


 家の内部は広々としており、リビングルームには大きなソファとテレビがあり、家族全員で映画を観たり、ゲームを楽しんだりする場所となっている。ダイニングルームはキッチンに隣接しており、食事の時間には家族全員が集まって食卓を囲む。


 潤太の部屋は、2階の一角にある。部屋の広さは8畳ほどで、壁には彼の好きなアニメやゲームのポスターが貼られている。机の上には教科書やノートが整然と並び、勉強の道具が揃っている。机の隅にはパソコンが置かれており、彼がインターネットやゲームを楽しむための大切な道具となっている。


 ベッドは部屋の奥に位置しており、シンプルなデザインのカバーが掛けられている。ベッドの横には小さな本棚があり、潤太が好きな本やマンガがぎっしりと詰まっている。床にはカーペットが敷かれており、座って本を読んだり、ゲームをしたりするのに快適な空間を提供している。


 潤太はこの部屋で多くの時間を過ごし、勉強や趣味に没頭することができる。新たな人生を始めるにあたり、この部屋が彼にとっての出発点となるのだ。


 家族は皆、温かい絆で結ばれていた。


 42歳の父の修二は、大手企業の営業部長として働いている。年収は約800万円。真面目で厳格だが、家族に対する愛情は深い。休日には、よく家族と一緒に過ごすことを大切にしている。彼の趣味はゴルフと釣りで、特に釣りに行くときには、よく潤太と俊を連れて行く。子どもたちに自然の美しさや忍耐の大切さを教えたいと考えているからだ。彼の温かい笑顔と頼りがいのある姿は、家族全員にとっての誇りであり、安心感を与えている。


 38歳の母の由美子は、パートタイムの図書館司書として働いている。年収は約250万円。優しく温厚な性格で、家族のことを何よりも大切にしている。料理が得意で、家族全員が母親の手料理を楽しみにしている。由美子のガーデニングの趣味も、家の庭を美しく彩っている。彼女は子どもたちが成長する過程を見守りながら、一緒に本を読む時間を大切にしている。特に、涼には毎晩絵本を読んであげることが日課となっている。


 12歳の次男の俊は中学1年生。活発でスポーツ万能な彼は、兄である潤太を尊敬し、いつも一緒にサッカーを楽しんでいる。彼の明るく快活な性格は、家族のムードメーカーでもある。友達も多く、学校ではリーダーシップを発揮することが多い。潤太と共に目標に向かって努力する姿勢は、修二の教育の賜物でもある。彼の無邪気な笑顔と情熱的な性格は、家族全員を元気づける。


 7歳の涼は小学2年生。元気で好奇心旺盛な彼は、兄たちを慕い、何でも真似をしたがる。昆虫採集や絵本の読み聞かせが好きで、母親や潤太に絵本を読んでもらうことを楽しみにしている。彼の天真爛漫な性格は、家の中を明るくする存在だ。涼は家族全員から愛され、特に潤太にとっては可愛い末っ子であり、彼にとっても新しい人生をやり直す上で大切な存在となっている。


 潤太は、この家族と共に過ごす時間を何よりも大切にしている。彼の家族への愛情と感謝の気持ちが、新しい人生を始める原動力となっていた。


「これからどう生きていこうか……」


 潤太は机の上に広げたノートにペンを走らせ、これからの人生設計について考え始めた。中学3年生として再び人生をやり直す機会を与えられた彼には、前世の経験と知識がある。これを活かして、未来をより良いものにするためにはどうすればいいのかを真剣に考えた。


「まずは勉強だな」


 彼は学業をおろそかにしないことを心に決めた。前世での経験を活かし、学校の授業はもちろん、独学でも様々な知識を吸収しようと考えた。特に科学技術やビジネス、経済に関する知識は、これからの人生で重要になると感じた。将来的には、トップクラスの大学に進学し、さらに深い知識を身につけることを目標にした。


「でも、勉強だけじゃダメだ。人間としての成長も大切だ」


 潤太は、学校生活を通じて友人や教師との関係を大切にし、人間としての成長を図ることも忘れないようにしようと決意した。リーダーシップや協調性を身につけるために、クラブ活動やボランティア活動にも積極的に参加しようと考えた。

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