愛するキティのために
ざわめきが、動揺が広がる。
特に、先ほど彼女を引き倒して髪を踏みつけたランドルフに至っては、顔面蒼白の有様だ。
「お、おいアンタ! あの子供の言ってることは本当なのか!?」
「はい」
オズワルドが弁護士に詰め寄ると、弁護士は静かに肯定した。
そして遺言状の二枚目を開き、皆に向けて読み上げた。
「私のキティ……改め、我が娘、キャスリーン・リリーホワイトが認めた者にのみ、後見人の権利を与える」
「娘だと……?」
「ええ。ジェラルド氏が三十二歳のときに残された精子バンクの精子と、ある女性のあいだに出来た、正真正銘の実子でいらっしゃいます」
聞いていない、知らなかったと口々に言う一同を、キャシーが見えない翡翠の目で見回す。それからやわらかな微笑を浮かべてアシュリーへと顔を向けた。
「アシュリーはどうだったかしら」
「え、ええ。キャシー嬢がお爺様の娘だということは知っていました。ただ、体面を気にされて、ひ孫ということになさっていただけで……戸籍の上でも血縁関係でも、確かにお嬢さんです。僕は直接お爺様から伺いましたし、キャシー嬢も把握していることです」
アシュリーの答えに満足げな顔で頷くと、キャシーはいままでろくに顔を合わせたこともない親戚たちをぐるりと見回した。盲目であるはずの幼い双眸に射竦められた大人たちが、僅かにたじろぐ。
「おじいさまがわたしに全てを託された理由は、わたしが子供で、盲目だからです。侮られやすい人間って、目が見えなくても人の本性がよく見えるものなのですわ」
キャシーの言葉は、アシュリーにも覚えがあった。
一族の大人の中で一番若く見目が優しげで、実際に優しい性格をしているがゆえに割を食ったことが何度かあった。キャシーも、幼い身に様々な理不尽を浴びてきたのだろう。とはいえ乱暴に掴み倒されて髪を靴で踏まれるようなひどい目には、二度も遭っていないと願いたいが。
「おじいさまに代わって申し上げます。皆様、すぐに此処から出て行って。そして、二度とリリーホワイト邸の門を潜らないで頂戴」
キャシーがそう宣言すると、散々邸内で暴れ回った大人たちをSPが屋敷の外へと追い出した。何人か渋った者もいたが、弁護士の「不退去罪で訴えられても良いならどうぞ」の一言で引き下がった。
ただ、去り際にアシュリーを睨むことだけは忘れなかった。
屋敷が約半日ぶりに静寂を取り戻し、キャシーもアシュリーも、それから弁護士やメイドたちも、ホッと胸をなで下ろした。
特に若いメイドたちは通りがかりに突き飛ばされたり髪を引っ張られたり、暴言の的になったり、挙げ句に階段から落とされそうになった者もいたりで、心底安堵している。
「……ああ、思い出した」
部屋へと戻る途中、アシュリーが突然声を上げて足を止めた。
手を繋いでいたキャシーもそれにつられて足を止め、アシュリーを振り仰ぐ。
「キャシーは確か、お爺様に『私のキティ』って呼ばれていたんだっけ」
「まあ、アシュリーったら。いま思い出したの?」
「ごめん。屋敷に着いたら凄く騒がしいし、君のことも心配で頭が回っていなかったみたいだ」
くすくす笑いながら歩き出したキャシーに手を引かれ、アシュリーも歩き出す。
屋敷のあちこちで、メイドや使用人たちが忙しなく働いており、何処からか庭師を手配する声も聞こえる。散々に荒らされた庭が元通りになるには、それなりの月日がいるだろう。特に庭園は荒れ放題で、廃墟と見紛う有様だった。
部屋に入り、窓辺のテーブルセットにキャシーを導いて座らせると、アシュリーも正面の椅子に座ってそっと息を吐いた。ひどい乱痴気騒ぎが一昼夜続いたりしなくて良かったという安堵と、それから。
「……キャシー、怖い思いをさせてすまなかったね」
キャシーを外に連れ出したせいでつらい目に遭わせてしまったという、後悔。
テーブルの上で手を組み、ぎゅっと握り締める。キャシーの小さな体が、大の男の足元に転がっているのを見たとき、アシュリーの胸中を埋め尽くしたのは紛れもない怒りだった。目の前が真っ赤に染まるとはこういうことなのかと、理屈でなく実感で理解してしまった。
あれほど恐ろしい激情が自分の中にもあるだなんて、知りたくなかった。
骨が軋みそうなほど握り締められた拳に、キャシーの手が触れる。
「どうしてアシュリーが謝るの? あなたはわたしを気遣ってくれただけだわ」
彷徨いながらも伸ばされた手の温かさに、アシュリーのささくれだった心がとけていく。
「ありがとう。でも……」
「いいの。もう終わったことよ。そして、終わらせるにはきっかけが必要だったの」
それにね、と言ってキャシーは綺麗に笑って見せて。
「あのままケイトが怪我をしてしまわなくて良かった……そう思わない?」
「あ……」
泣きそうな微笑に、アシュリーは彼女が抱えていた恐怖を理解した。
大人たちが寄ってたかってケイトを追い回していると知って、どれほど心配だっただろう。どんなに部屋を飛び出して抱きしめに行きたかっただろう。
ランドルフに掴み上げられたとき、彼女はケイトの悲鳴だけを聞いた。起き上がり助けに行きたくとも髪を踏みつけられて動けない中で、無数の足音が近付いてきて、掴み合う罵声と騒音を間近に聞いて、どれほど怖かっただろう。
「そうだね。猫だって人の気持ちや言葉を察することが出来るんだ。ずっと追いかけ回されて怖かっただろうに」
「その分、これからたくさん甘やかしてあげましょう」
噂をすればなんとやら。
窓の隙間からするりと鈴の音が入り込んできて、アシュリーの膝で丸くなった。
「ケイト?」
「ふふっ。ケイトもアシュリーのことが気に入ったみたいね」
音の流れとアシュリーの反応で察したキャシーが、うれしそうにくすくす笑う。
「もちろん、わたしもよ、アシュリー」
「えっ……」
突然の告白に驚き、思わずまじまじとキャシーの顔を見てつめしまい、慌てて顔を背けた。相手から見えていないとわかっていても真っ赤になった顔を隠したくなる。
キャシーの笑みが、悪戯が成功したと言わんばかりの楽しげなものだったから。
「キャシー、君はいつからそんな言い回しを覚えたんだい」
「クラスメイトのブレンダが言っていたのよ。レディは殿方を手のひらで扱えてこそだって」
「まあ……そういうタイプのお嬢さんもいるかも知れないけれどね」
とんでもないことを吹き込んでくれたなと、内心で顔も知らないキャシーの学友に恨み言を零す。
アシュリーは軽く一つ咳払いをすると、気を落ち着けるために膝上で眠るケイトを撫でた。暫くして喉を鳴らす音が聞こえてきて、火照っていた頬が徐々に鎮まるのを感じる。
「僕はどちらかというと、素直なほうが好きかな。駆け引きは苦手なんだ」
「なら、やめておくわ。後見人さんとは仲良くしていたいもの」
顔を見合わせて笑い合い、テーブルの上で手を握る。
アシュリーの手の中に収まるほど小さなキャシーの手のひらが、いつもより僅かに熱っぽいことにも、いまは気付かないふりで。
OH! My Kitty! 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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