月極駐車場

ナナシリア

月極駐車場


「先輩、この字読めますか!?」


 夕暮れ時の街中で、後輩が元気よく看板を指さした。


「つきぎめ駐車場……。有名な難読漢字ね」


「え、有名なんですか!?」


「割と常識みたいなところはあるわ」


 後輩は衝撃を受けたみたいで、大袈裟に身体を仰け反らせる。


 後輩のこういう明るいところは、無口な私にとってはありがたい。


「先輩はどこで知ったんですか?」


「どこだったかな……」


 『月極駐車場』という漢字を、いつのまに私は読めるようになっていたのだろう。


 振り返ってもそれらしい記憶が思い出せなくて、私は頭を抱える。




 街中の、「月極駐車場」の文字が目に入り、俺は懐かしい記憶を思い出す。


 あれは確か、中学の修学旅行だったか。


 当時俺が想いを寄せていた女子に、「月極」という漢字の読み方を教えたんだった。


 彼女は俺よりもずっと賢かったから、もしかしたら知っているかもしれないと思った。


 しかし、実際に教えてみたら、彼女は正しい読み方を知らなかったみたいだった。


 ふっ、と自嘲する。


 結局彼女とは別の高校になって、それ以降はほとんど会うことも連絡を取ることもなかった。


 だから、向こうはそんなこともう覚えていないだろう。


 それなのに俺は、いつまでもこのことを覚えている。


「情けない、よなあ……」


 もう、あれから十年が経つのか。


 当時中学生だったのに、十年間引きずり続けて、今社会人になっても強く印象に残っている。


 ふう、と長く息を吐く。




 視線が交錯する。


「知らない人だと思うんだけど……」


 でも、どうしてか無関係には思えない。


 記憶にないのに、前にどこかで会ったことがあるみたいだ。


 向こうも同じように思ったのか、私と視線が合ってしばらく、こちらを見つめている。


 しばらくそうしていると、彼は不意に私から目を逸らした。


 彼は私に背を向けゆっくりと歩き始める。


 もしかしたら、人違いだったのかもしれない。


 それか、私に話しかける気にならなかったのか。


 どちらにしても関係はない、と私も彼の緩慢な動きから目を逸らす。


「先輩、知り合いでしたか?」


 後輩は私に尋ねる。


「わからない。どこかで会ったような気もするけど、覚えてないわ」

「忘れられてるなんてあの方も可哀想ですね」


 はは、と小さく苦笑する。




「まあ、そうだよな」


 道で出くわした彼女は、不思議そうにこちらを見ていた。


 どうやら俺のことは覚えていないらしかった。


 もう十年も前の話で、仕方ないことだ。


 わかっているけど、やはり切ない気持ちになる。


 彼女は後輩と思われる女性を連れていた。


 優秀な彼女のことだから後輩の世話を任されたんじゃないかと推測できる。


 そんな優秀な彼女と、末端の仕事しか任されないような俺が、交わっていいはずがない。


 だから、話しかけるという選択を取らなかった。


 薄汚れた看板に書かれた「月極駐車場」の文字が、寂しく目に写った。

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月極駐車場 ナナシリア @nanasi20090127

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