蜃気楼〜夏〜

タカナシ トーヤ

Fata Morgana

—8月—



ジリジリと照りつける太陽のうだるような暑さに僕は身も心も参ってしまった。



長引く夏風邪で体調も優れず、部屋のエアコンの効きも悪い。


—最悪だ。夏なんか、なければいいのに。



自転車を止めて、公園のベンチに腰かけた。

リュックサックから水筒を取り出し、口をつけたが、中身は空だった。



近くには自販機もない。

でももう、動きたくもない。

僕はベンチにもたれかかった。




遠くに見える親子連れの姿。

ブランコやすべり台が灰色の地面から浮かんで揺らめいている。



足元の砂利を軽く蹴り上げていると、だんだんと頭痛がひどくなってきた。



熱中症だろうか。

心なしか気持ちがフワフワと浮かんでいる気がする。




ひどくなる前に家に帰ろうと頭を上げると、僕そっくりの青年が立っていた。



瀬川慎一せがわしんいちくん、こんにちは」



僕は僕に笑顔で語りかける。



—???




戸惑う僕に構わず、彼は言葉を続ける。



「僕は君の中にいるもう1人の僕だよ。」



「—違う、本物は僕だ。」



目の前の偽物に僕はそう答えた。




「君も僕も本物だよ。今、僕たちは半分に分かれようとしているんだ。」




「半分?どういうこと?」




「僕たちは今、純粋な心と、不純な心、どちらか半分に分かれようとしているんだ。君は、どっちを選びたい?」



「純粋な心に決まっているじゃないか」



「じゃあ、そうしよう。契約成立だ。」

青年はカバンから書類と羽ペンを取り出した。



「ちょっと待ってくれ、じゃあ君の心は僕の不純な部分だけで構成されるってこと?」



「そうだよ。君はそうしたいんだよね。」



「でも、君も僕の一部なんだろ?純粋なほうの僕が、イケナイ事を考えたら一体どうなるんだ?」



「そのときは、君の一部が僕に吸収される。僕は君を吸収することで、純粋な心を持つことができるようになるんだ。」



「じゃあ、僕が悪いことばかり考えていたら、そのうち僕は君に全部吸収されてしまうってことか?」



「そういうことだね。そのときは、僕が君の本体ということになるだろう。」



「…それじゃあ、僕がいなくなってしまう。やっぱり嫌だ。そんなのしんどすぎる。僕の方を不純な人間にしてくれないか?」



「君が望むならそうするよ。それじゃあ、僕は純粋な人間として生きて行くから、不純な君が間違って純粋な心を持ってしまったときは、その心を僕が吸収する。」



「なんだか、ずいぶんと君に都合のいい話じゃないか?」



「そんなことない。僕も君も、条件は同じだ。僕が最終的に全て君に吸収されることだってあり得る。」



「頭がこんがらかってきた。僕たちが互いに吸収せずに生きる方法はないのか?」



「僕たちの心はひとつだ。独立することはできない。嫌なら、また元通りになればいいだけだ。そうすれば、今まで通り君は悩み、苦しみながら生きることになるが、どうする?」




「……」





純粋な心だけで生き、不幸を感じずに生きることはできるのだろうか。




不純な心だけで生き、幸せを享受することはできるのだろうか。





「ぼくには選べないよ。頼む、元に戻ってくれ。」



「ふふ…わかったよ。また会おう。それじゃあね、瀬川慎一くん。」





目の前にいた笑顔の青年は跡形もなく姿を消した。

僕の胸の奥に、気持ちの悪いなにかが、グニュリと音を立てて広がった。








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蜃気楼〜夏〜 タカナシ トーヤ @takanashi108

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