啓発とはなにか。

夢はいったいなんだろう?

誰かがそう聞くとみんな黙って考え込む。

子どもの頃は簡単に答えられた質問だけれど、大人になると夢を持つことの難しさを実感する。

 いつの日か、きっとそう、いつの日かと前を向いて歩くのだけれど、叶わないものなのだと悟り歩みを止める者たちも多い。

 何か道標を見つけることができたのならば、その人は道に迷わずまっすぐに歩みを続けることができるだろう。


 ページを捲る。次の書き出しはこうだった。

『願いを強く思うこと。何よりも強く強くそれを絶対叶えるのだと信じて疑わないことが、目標に辿り着く唯一の道標である。』

「なるほどねえ。簡単なように思えてそれが難しいんだろうなあ。」

 足を組み替え、頬をぽりぽりと掻く。

窓から入る日差しが本を照らし、文字が艶々と輝いて見える。

 さらに読み進める。

『生きるということは使命を見つけることだ。生きがいを見つけられることは何よりの幸福であり、それを手に入れた時、世界は違って見えてくる。』

 もっともらしい文章だ。ただ、そんな当たり前にも思えることが、実践できていなかった。

 この本では、人の基本を追求し徹底してそれを行うまたは心掛けるということを熱く語っていた。

「それで君はこの本を万引きしたんだね?」

「は、はい。すみません…。」

男は目の前の青年に問うた。

「君の生きがいというのは本を盗むことなのかい?」

「いいえ、違います。」

「こんなにも情熱あふれる本をわざわざ万引きするかなあ!俺もびっくりだよ。」

「先生に勧められて…。でもお金が無くてそれで…。」

「いや、だめでしょ!たぶんそれ盗んだ後に読んで自省するだけだよ。何もプラスになってないからね。」

 どうやら青年は悪気があって盗んだ訳ではないようだ。盗んだ時点で悪いことではあるが。

「とにかく、なんかそういう大人向けのね?本を盗むならまだ、まだよ?分かるけど。こういう意識高い感じの本は盗むの矛盾してない?」

「でも、自分を向上させたくて。その本にも魂を磨くって書いてあるんです。」

「そうね研磨した方がいいよ。もう荒れ放題。ヤスリ使わないと無理だって。」

 しかし青年は納得がいかなそうな顔をしている。

「そもそもね?盗んだらダメなのは分かるよね?」

「はい。ほんとすみませんでした。」

「素直なのはいいことだけれど。でも君違う本は買ってたよね。」

「はい。これは絶対欲しいなって。」

 そういうと青年は机の上に置いてある雑誌に目を向ける。

『ギネス記録2024年!最新版!』

「これかよ。お金払ってまで買いたいの。しかもこれそっちの本の倍もするじゃん。むしろこっちじゃない?盗むべきなの。ダメだけどね。」

「そんな、高い本を盗んだらバチが当たりますよ。」

「そっちの啓発本もそう思って欲しかったな!倫理観に金額で線を引くなよ。」

「というか、君さ。まだ学生だよね?このままだと反省見えないから大学の方にも連絡させてもらうかね。」

「それだけはやめてください!」

「そんなこと言えた立場じゃないよ。じゃあ親御さんに連絡してよ。」

「それも勘弁してください!」

「誰となら連絡つけられるの!君だけじゃ埒があかないのよ。」

「だからすみませんでしたって言ってるじゃないですか。本はお返ししますから。」

「それは当然のことだから!君まだ責任感が無さそうだから、周囲を巻き込んでより反省した方がいいよ。」

 うう、と頭を抱える青年。

「だ、だったら、警察でもなんでも呼べばいいじゃないですか。」

「はあ?なに、もうそれでいいのね?あんまりことを大きくするのはと思ったけど、そうさせてもらうよ。」

「その代わり早くした方がいいですよ。」

「なんで?」

「この部屋で僕を扉の近くに座らせたのが運の尽きでしたね。」

「ああこいつ反省してねえな。無理だよ逃げるのは。」

「なんでですか。そういう脅しは喰らいませんよ。」

「だってここ社員証無いと出入りできないもん。」

 そういうと店長は胸にぶさらげた社員証を手に取り、彼の顔の前に出した。

「この時を待っていた!」

「なに!?」

 青年は店長の社員証を引きちぎり、そのまま扉へと駆け出した。

 後ろから店長が追いかけてくる。

社員証を読み取りにかざすと、ピッと音が鳴り、ゆっくり扉が開いた。

そう。ゆっくりと。

「遅いよ逃げるにしては!もう捕まってんじゃん。」

「なんでこんな開きの遅いんですか…。まさかこの状況を想定して…?」

「いやあり得ないよこんなこと。社員証まで万引きされるところだった。ほんと君やばいね。」

 その後、警備員が彼を連れて社屋の外へと向かっていった。後で聞いた話によると、その青年はつい2日前にもここで万引きをしていたらしい。

「あいつ出禁にしよ。」

 それから3日後、青年は店内で本を物色しているところを店長に見つかり膝蹴りを喰らったのは言うまでもない。


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