宝くじ

今日から俺は外に出ない。

職を失い、家にこもっている。

ふざけるな。

会社にこれまで尽くしてきたのに、25年も働いてきたのに。

 たかだか少し景気が悪くなっただけでリストラなどと、絶対に許されるべきではない。

 しかし、それに抗う術を私は持ち合わせていなかった。

 妻はまたパートで働き始めた。今のままでは家計が持たない。私の貯金は残り300万円程度だが、ローンもあるし無収入では1年と経たず底を尽きるだろう。

 しかし私はあの会社でしか働くことができない。それだけこだわりを持ってやってきたのだ。今更他のところで働くことなどできるものか。

 無理せず少しずつでいいから働こう、と妻は声をかけてきた。しかしこれまで私が養ってきたのだ。そんなこと言われる筋合いはない!

 将来に対し一抹の不安を覚えながら、私は自分自身のプライドに手足を縛られながら、無力に日々を過ごすのだろうか…。


「へえ。それで奥さんも働いてるんですね。」

「そうなんです。あの人は頑固な人だから、一度決めたらなかなか融通が効かなくて。」

「でも会社都合なんだったらまだ働き口なんてあるでしょうに。なんだってまたそんな意固地に。」

「あの人が働いていた会社は、彼の同級生が社長をしているんです。だから余計にリストラになったのが許せないようなんです。」

「なるほど…。でもこのままじゃお二人とも辛いですね。何か力になれることがあればおっしゃってください。」

 ありがとうございますと頭を下げる。

薫子は知人の知り合いを通じて、弁護士を勤める戸田に夫との関係を相談していた。

 帰り道、スーパーに寄る。今日の晩ご飯を用意しなければならないからだ。

 収入が足りないいま、贅沢はできない。そのため買い物は半額のものを血眼になって探すことになる。

 時間は夕方で人が多い。半額シールが貼られるまで待つことも厭わない。

 最後に笑ったのはいつだろうか。

夫のことは愛していたが、最後にそう言い合ったのはいったいいつだろう。

 このままではいけない。私の方からまた働かないかと声をかけてみようか。でもあの人はプライドが高い人だから、きっと機嫌を悪くしてしまうだろう。

 また弁護士さんに相談してみよう。

そんなことを思いながら商品を眺める。

 そしてうちへと帰るのがひどく億劫に感じた。


 次の日のこと。夫は朝から機嫌が良かった。

「おい、これ見てみろよ。ほら。」

向こうから声をかけてくるなんて珍しいわねと思いつつ、夫の手元に目を向ける。そこには1枚の宝くじがあった。

「なにこれ?もしかして当たったの?」

「そうなんだよ!やっぱ買っとくべきだな!当たるときゃ当たるんだな笑」

 ずいぶんと上機嫌に笑っている。私の気など知らないようだ。

「いったいいくらなの?」

「ああ?お前はすぐ金のことばかり気にするな笑 ダメだよこれは。俺のなんだから。」

 耳を疑った。彼は宝くじが当たった喜びを分かち合いたいのではなく、ただ私に向けて自慢したかったようだった。

 結局額は教えてもらえなかったが、そのまま夫は外に出かけて夜まで戻ってこなかった。

 昼食や夕食はいるのか?と連絡を入れると、外で食べるからいらないとだけ返信がきた。

 子どものような振る舞いだ。あまりに幼稚すぎる。

 自分の分だけご飯を作りテレビを見ながら食事をする。自分が情けなくなり少しだけ泣いた。

 時刻は22時を過ぎたところ。ガチャリと玄関から音が鳴り、夫が帰ってきた。

 私は明日パートがあるので洗い物を終えたら床に着こうと思っていたが、そんなことお構いなしで彼が話しかけてきた。

「競馬ってのは難しいんだな!全然勝てなかった。せっかく倍にしようと思ったのにな〜。」

 宝くじで当たったお金を賭け事に使ったのか。怒りなどはなかった。ただ呆れるばかりだ。

「そんなことに使う余裕なんてあるの?どれだけのお金なのか知らないけど、生活費が足りないんだから少しは入れてくれない?」

 自分なりに譲歩したつもりだったが、夫は眉間に皺を寄せ、

「はあ?俺の金で買ったんだから、俺の自由に使うんだよ。生活費はお前が稼いでるだろ?」

「ちょっと、それはあまりにひどいよ。」

 流石にそんな言い方は許せなかった。

しかし口答えされたのが気に障ったのか、

「お前なあ…。俺が今まで食わしてきただろうに、ちょっと自分が働くことになったらすぐこれかよ。大人になれよ。」

 もう限界だった。これはモラハラというやつなのだろう。自分を抑えることに疲れた。

「私だって今までたくさんあなたのために尽くしてきたじゃない!それが何よ!じゃあもういい!知らないわ!」

 手は震えていた。声も裏返ってしまった。しかしあまりに耐え難い。

「なんだ?いきなりでかい声出すんじゃねえよ。ヒステリックか?」

 もうこの人は何を言っても通じないのだろう。私は洗い物も終わらないまま、彼の方を少しも見ずに簡単な手荷物だけを持って玄関を出た。

 彼はおい!なんだよ!と後ろから声をかけてくるが、決して引き止めようとはしてくれなかった。



 その日から今日で3年が経った。私は弁護士を通じて彼と離婚した。また、離婚調停の中で彼の宝くじの当選金額が明らかになり、私にもその金額の半分が手渡されることになった。

 通帳を見た時には初めてみる金額であったため目を疑った。

 5000万円もの大金を手に私はアパートを借りてそこで一からスタートすることにしたのだ。

 元夫からの連絡は何度かあった。

すまないだとか、許してほしいだとかそういう言葉を並べて謝罪してきたが、私の気持ちはもう彼から離れている。いまでは何が好きになったのかわからないほどだ。

 結局自分のことが可愛いだけの人だったのだ。

 翌る日のこと。パートから帰宅し玄関前に着くと封筒が扉の口に差し込んであった。

 手に取るとそこには、昔お世話になった知人の名前が書いてあった。

 どいうことだろう?と思い封筒を開けるとそこには1枚の紙が入っていた。

  その紙は夫の訃報を知らせるものだった。



 私と別れたあと彼はもう一度社会復帰して、私に許してもらおうと必死で働いていたらしい。自身のちっぽけなプライドも捨てて、コンビニのアルバイトから始めていたとのこと。

 そんな中で縁あってとある印刷会社に就職することができ、そのことを私に知らせたいようだったが、向こうの弁護士には止めておくよう強く言われたそうで、何とか知らせたいけど我慢していたそう。

 そこで今年の初めまで働いていたそうだけれど、体調を崩し会社を休みがちになった。

 会社自体はいい人が多かったようで、無理しないでと上司も言ってくれたそうだが、彼はまた無職になるのを恐れて体調が悪くても出社するようになったそう。

 そして先日会社で急に倒れそのまま帰らぬ人になったようだ。

 彼の家族はもう既に他界しており引き取ってくれる身寄りもないため、もしよければ遺品を受け取らないかとの連絡だった。

「なによ。もう関係ないのに。」

 しかし長年連れ去った人でもある。葬式だけでも出ることにした。

 


 葬儀が終わり、私には1通の遺言書が手渡された。彼は生前から体調がすぐれないことを気にしており、自分の最期を悟っていたようだった。

 そこには私への懺悔が3枚も書いてあった。

ほんとうに反省していたのね。

 そして最後には彼の財産分与について書いてあった。

「薫子には迷惑をかけた。俺の財産は全て薫子に渡してほしい。俺のことをもう許してなんて言わない。ただ、俺は薫子を幸せにできなかったから、少しでも彼女の人生を応援させてほしい。」

 最後まで馬鹿な人ね。私は結局彼に振り回されっぱなしだったな。

 彼のために流す涙もこれが最後よ。

宝くじがきっかけで私たちの関係は壊れてしまったけど、今ではそれが2人の心を繋いでいた。



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