第16話 思慕・爺信吉

16▼ 思慕・爺(じい)信吉


 明暦3年というのは17世紀の中頃で、家光の長男家綱が第4代将軍になっていた。その正月、江戸に大火があった。明暦の大火、振袖火事とも呼ばれるそれだ。火事と喧嘩は江戸の華などといわれるが、それは無責任者の弁で、じっさいは凄惨な地獄絵だった。この火は江戸城へも飛び本丸と二の丸も焼いた。水戸藩の上屋敷も全焼した。被災者の困窮ぶりは見るにたえず江戸の街は一挙に疲弊していくかに見えた。幕府は急遽、大坂と駿府の銀2万貫をあつめて被災者を支援した。

 被災者救済の目途が立ったとき光圀はこうも考えた。

 ――貴重な書物が消えてしまった。

 伯夷列伝に心を揺り動かされて、――あのような書物がわが国にあったならば、と信吉に語ったことを思いうかべ、『史記』への憧憬を新たにした。

 ――いまの内なら父上(頼房)も達者だ。自身が藩主になってからでは手が付けられないかも知れない。どのくらいかかるか分からないが手がけるなら今だ。

 光圀はそう思って『大日本史』の編纂に着手した。明暦3年1657年に着手した大事業は200数十年にわたってつづけられ、明治後期になってから完成を見ることになる。司馬遷の『史記』にならった形で作られ、本紀・列伝などを合わせて397巻の大著となった。

 寛文4年、頼房が没して光圀は水戸藩の第2代藩主になった。藩主になって改めて兄を超えて世継ぎになったことを思い、ずっと頭においていたことを実施する腹を決めた。将軍家光公の寛大な心で信吉と二人が切腹を免れたあの日、信吉に「伯夷列伝」を教わり、光圀の心に二つの種子が芽生えた。

 一つは『大日本史』の編纂でそれはすでに創めている。もう一つは、次の世継ぎのことであった。光圀は兄頼重を超えて世継ぎとなった。伯夷叔斉のことを考えると遣る瀬なさがつのった。それを修復したいとずっと思ってきた。兄の子を養子に貰って水戸藩の後継者とし、わが子は兄頼重のもとへ送り讃岐高松藩の後継者とするという案をあたためていた。そのときがきた、と思った。

 光圀は藩の重鎮に話し、親類一同に諒解をもとめた。藩の重鎮方は混乱のあまり絶句し、親類方は嘲笑し忿怒した。藩主の家系が別筋になるということは家臣にとっても親類の者にとっても非常な衝撃。ことに徳川御三家から讃岐の一大名の家臣に移り変わる者たちにとっては甚だ迷惑な話だから執拗な反駁があった。

 だが光圀は引かなかった。こういうとき光圀の真骨頂が発揮される。若いときから喧嘩は滅法好きだ。皆の意見を聴き終わったのち、光圀は告げた。

「皆の考えはよく分かった、よって径行(けいこう)する」

 同席した人たちは莫迦にされたと気色ばんだ。分かった、よって径行するでは、分かっていないではないかと怒号が飛んだ。それでも光圀は揺れなかった。結果、両家の子どもは互いに養子として立てられ、光圀の子頼常は高松藩をつぎ、頼重の子綱條(つなえだ)は水戸藩をつぐことに相なった。

 ――考えてみたら、みな信吉つながりだ。

 光圀はそう独りごちた。

 ――世継ぎになったのも、大日本史の編纂を思い立ったのも、兄の家系を水戸藩主に立てることも、そしてあれほど学問嫌いであった予が、これほどまでに学問好きになったのも。

 元禄3年、家光の4男綱吉・第5代将軍から光圀に隠居の許可がおりて、兄の子綱條が第3代水戸藩主になった。同年、光圀は権中納言に任ぜられた。晴れて水戸黄門になったのである。

「信吉、水戸の黄門になったぞォ。備前、天から見えるか、水戸黄門だァ」

 光圀自身は諸国歴遊こそしなかったが、大日本史を編纂するに当たり家臣を諸国へ取材におもむかせ、各藩の歴史ばかりではなく現(うつ)し世に生きる民百姓の事情を知った。このように考えると水戸黄門は志と情をもって諸国をめぐっていたと解してよいかも知れない。

 水戸藩主を退いた光圀は山里につくった隠居所へ向かうために主殿を出た。未明まで降っていた雨が上がり、やわらかな光りが射している。澄みわたった青い空を仰いで深い呼吸をすると、命が新しくなるような気がした。

「仰いで天に愧(は)じることなく、俯(ふ)して人に怍(は)じることなし」

 光圀はそう口に唱えて主殿に深々とお辞儀をした。そして、再び見送りの人たちのほうへ向き直ると、光圀はそばに控えていた二人の近習(きんじゅ)にいった。

「この足で淵明谷(えんめいだに)へゆこう。隠居所はしばらく山の毛物たちの遊び場にしてやれ」

 近習の顔に怪訝な表情をうかんだ。

「そうか、知らなかったのだナ」

「まことに畏れ入ります」

「中山信吉の爺は少年のとき、八王子の山深くで隠れすんでいたのじゃよ。敵の大将の子じゃったからの」

 その敵の大将の子を神祖家康公が発見し、その子がわしを発見してくれて今日(こんにち)がある――そんな感慨が光圀をつつんでいた。

「淵明谷にゆこう」


          *** *** *** ***

 

        いつの世も、

        少年の本当の悲しみは、

        めざす大人のいないことである。


                  (了)

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光圀の信吉 鬼伯 (kihaku) @sinigy

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