第6話愛される覚悟

 俺の部屋だよな?

 まず思ったのはこの疑問。

 一度玄関の扉を出て周囲を確認し、やはり自分の部屋だと認識して中に入ると、愛しの彼女が紺色のエプロンを付け、ゴーグルを装着、右手に菜箸という物々しい姿でガスコンロ一メートル離れて叫び声を挙げ続けている。

「何してんねん」

 近付くとガスコンロには揚げ物用の鍋がかけられており、激しく油が跳ね返っている。

「ちょっ、俺がするから離れとき」

 小夜子が慌てたように金属製の菜箸をそのまま渡してこようとする。

「あほか、そのまま俺の手つままれたら火傷するわ。そこ置いてくれる?」

 タッチ交代で油の中の揚げ物をバットに取り出し一息つく。近くにあるまな板の材料からするとどうやらレバニラを作ろうとしていたらしい。

 小夜子は後ろで小さくなって

「ごめんなさい」

 頭を下げている。

「びっくりするわ。こんな破天荒な料理の仕方する、思わへんから」

 感染防止用のゴーグルが揚げ油防止に使われるとは思わなかった。

「たまには手作り料理も、いいかなって」

「で、何でレバニラ…」

 定番の彼女の手料理とは少し離れているような気がする。

「だってこの間一緒にご飯食べに行ったとき、お店のレバニラ定食すごく美味しそうに食べてたから。好きなのかな、と思って」

「お、お前なあ」

 自分のことを考えて慣れない料理に挑戦してくれていたなんて。

(か、可愛い。可愛すぎる!)

「何であんなに油跳ねたんだろう」

「そりゃ、ちゃんと水切らずに揚げたからやろ」

 内心の興奮状態を見透かされないように努めて冷静なふりをして答える。

「もうええから、あっちで休んどき。あと俺がするから」

 言って見つめるとむっとしたような表情を浮かべている。首を傾けて回答を待っていると

「…嫌。自分で作って驚かせたかったのに、それ取られちゃったら意味なくなっちゃう」

「意味なくなっちゃうって、俺のために怪我されるんは俺も嫌やし。ていうか、悲しい」

 見つめると目の前の顔がうっすら桜色に染まって、心なしか目にはうっすら涙が溜まっている。

(そんなに自分でやりたいんか)

 河野は心の中で溜め息をついてから

「分かった。じゃあ俺、あっちでコーヒー飲んでるから」

 揚げる行程は終了しているのだから、あとは炒めるだけ。外部訪問で家事援助もしているのだから大丈夫だろう、と少しだけ背筋を伸ばして様子を窺う。時々どたばたと音のする度にキッチンのほうへ顔を向けてしまう。

(心臓に悪いわ。本当利用者やったら心臓止まるで)

 何とか出来上がったらしく、洋食皿にレバニラ炒めが装われている。辺りに食欲をそそる香りが漂った。

 一口食べて

「美味い!」

 言うと、こちらを凝視していた小夜子がほっとしたように胸を撫で下ろした。

「ありがとうな。俺、お前のこと怒らせてばっかで、こんなことしてくれる思わへんかったわ」

「私こそ愛想つかされてるんじゃないかって思ってた」

 相手の発言の意味が分からず、怪訝な顔をしていると

「だってあの娘、手作りのお菓子渡して告白してきたんでしょう。女子力も高そうだし。私なんて河野さんより、掃除も料理も得意じゃないし、もしかしたらそういう若い女の子のほうが好きなのかなって」

「ありえへんよ、というか、誰なん、そんな妙な作り話すんのは」

 確かに手紙は渡されたが断る気だったし、手作りお菓子なんて渡されていない。ここまで話を盛る職員には大体心当たりがあるが。

「え、違うの?」

 予想に反して小夜子が焼き餅を妬いてくれていたと知り、妙に気恥ずかしくなる。河野は照れ隠しに

「俺もお前に渡すもんあんねん」

 油飛び跳ね事件でパニックに陥っていた彼女の目を盗んで冷蔵庫に忍ばせていたケーキの箱を持ってくる。中を覗いた小夜子が

「わー!チョコレートケーキだ!」

 とはしゃいでいる。

「ありがとう」

 弾けるような笑顔を見て胸がぎゅっと音を立てた。

(俺はお前のその顔見られるだけで、最高に幸せやねん)

 小夜子は小さな皿とスプーンを用意して、

「河野さんもいりますよね?」

(でも欲を言うなら…)

「お前さあ、いつまで俺のこと名字呼びにするん。まさか思うけど下の名前知らんとかないよな?」

「知ってますけど、でも会社で呼び間違えたりしたら大変だし」

「その他人行儀なんもやめ。名前で呼んでみて」

「え!え、ちょっと」

「何がちょっとや」

「え、えーっと、太陽さん」

 微かな声で呼ばれて今度はこちらが赤くなる番だった。

「破壊力がすごいな」

「え?」

「いや、何でもない」

 小夜子はそれまで照れていたくせに、すぐにケーキのほうに目を向けている。それから少し心配そうに

「これってちょっと買いすぎじゃない?」

 確かにショートケーキを十個買ったが、そんなに多かっただろうか。

「一人二個ずつ食べたら明後日には食べ終わるやん」

「太陽さんも食べるの?」

 慣れない名前呼びにいくらかどきどきしながらも

「自分一人で食べる気やったんか!」

 突っ込むことは忘れない。

「明日遅出やろ。終わった後、うちにおいで」

「明日も来ていいの?」

「明日だけやないで、明後日も。いくら俺かて一人でケーキそないに食べられへんよ。それに」

「それに?」

(ケーキ食べる度にお前の笑顔が見られるからな)

 小夜子は不思議そうな顔をしている。

「じゃあ私ケーキの代わりに何か作ろっかな」

「いいよ、何も作らんで」

「え、やっぱり私の作る料理美味しくない?」

「ちゃうわ。お前が料理してるとさ、そばにおれる時間が短くなるやん。俺はそれよりこうするんがええわ」

 ぎゅっと抱き締めて唇にキスをおとすと、潤んだ瞳でこちらを見つめ応じてくれる。柔らかい感触に少しだけ理性が飛びそうになる。

「なあ」

「?」

「明後日の次もうちに来いよ。そんでその日はケーキのかわりに俺がお前食べるゆうんはどう?」

「な!!」

 目の前の顔が真っ赤に染まった。

 この後「ハレンチ」とか、「エッチ」とか罵られることは簡単に予想がついた。そうは言っても彼女がうちにやってくることも、何となく予測ができた。自分の言ったような展開になるかは分からないにしても。

 しかし最愛の女性の答えは彼の予期に反した。

「いいよ」

 これだから小夜子からは目が離せない。いつも自分の予想の一歩先を行く。

「言うたな。覚悟しとけよ」

 彼は知っている。覚悟をするのは自分の方だ。明日からどんな顔で小夜子を見つめれば良いのか、どんな仕草で家に招けば良いのか、心臓が持ちそうにない。

(惚れた弱みやな)

 口には出さず、彼女の髪をぐしゃぐしゃと撫で回したのだった。








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河野、女子高生瞬殺事件 世芳らん @RAN2023

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