第7話「不朽の想い」

 過去とは、介入して小さい変化を起こしたとしても、自動でもとの歴史に修正される作用を持っているらしい。タイムマシン開発中に知ったことだ。


 和樹には、事故に遭う日にちと時間を教えた。しかし、この規模なら自動で修正される範囲に入ってしまうとも感じていた。秀哉が気を付けていても、和樹と同窓会の件で喧嘩するだろうし、和樹が気を付けていても、喧嘩のあと家を出てセンニチコウを買いに行ってしまうだろう。


 本気で過去を変えたいなら、ごっそり変更しないと駄目なのだ。そういう理由もあって、「秀哉と関わる」ことそのものを変えようと、15年前にタイムスリップしたのだ。けれど。


 一抹の期待を抱いて入った病室には、タイムスリップ前と変わらず、全身に包帯を巻いた和樹が横たわっていた。未来は変えられなかった。過去に戻ることももうできない。


 この時代に戻ってきた瞬間、タイムマシンは煙を噴出し、動かなくなってしまった。渾身の力で挑んだ計画は、失敗に終わったのだ。秀哉はふらふらとした足取りでベッド脇の椅子に座った。


 秀哉は力なく、家から持ってきたものを見た。手にあるのは、過去の和樹がもとの時間に戻る前に言っていた、紺色の読書ノートだ。和樹は一体何がしたかったのか……。


 もう細かいことを考える気力はなく、ただ虚ろな心で、0402とダイヤルを回す。すると、かちりと音がしてノートを開けるようになった。


 開くと、ちょうど最初のページの部分に、白い封筒が挟まっていた。秀哉へ、と書かれていた。きん、と耳鳴りがした。震える手で封を切り、折り畳まれた紙を取り出す。


『おかえり』


 最初に目に入ったのは、その4文字だった。


『おかえり、秀哉。タイムスリップお疲れ様。あの日、秀哉から俺の未来について聞かされたとき、絶対この手紙を書いてここに入れておこうって決めたんだ。どうか最後まで読んでほしい』


 秀哉の手紙を持つ手が震えた。和樹の言っていた、「自分自身に誓った」の意味を理解した。


『この手紙は、秀哉が教えてくれた、事故の起こる日にちの一日前に書いている。こう書くと遺書みたいに思われそうだけど、本人はそんな風には全く思っていないからな。難しいだろうけど、あまり切羽詰まった気持ちで読まないようにな。遺書じゃないならなんで手紙なんか、って思うだろう。実は、どうしても伝えたいことがあるんだ。本当ならタイムスリップしてきたあのときに言おうと思った。けど、俺はその頃まだ秀哉と会っていない。言葉に説得力が生まれないだろう。だからこの日まで待って、この日に絶対手紙を角って自分に誓ったんだ。

 秀哉、よく聞いてくれ。あんたはあのとき、俺は何も和樹に渡せていないと言った。返せていない、と。でもそれは、秀哉の錯覚なんだよ。俺は秀哉から、持ちきれないほど多くのものを貰っている』


 秀哉は目を大きく開けた。そんなもの、あげた記憶はない。


『自分じゃわからないかもしれないな。でも俺は、確かに秀哉から貰っているって感じているよ。例えば、タイムマシンだな。なんでバイクなんだろうって思った。あれ、俺の影響だったんだな。社会人になってすぐ、バイクの免許を取ったときに、あれもしかしてって気づいたよ。もし直接の原因じゃなくても、何かしら着想は得ているよな?』


 秀哉はぎくりとした。図星だったからだ。


『高校のとき和樹に連れられて見た映画でタイムマシンを作ろうと思った、って言っていたよな。実際、あの映画を見て少ししてから、秀哉のノートを見てしまったことがあるんだ。タイムマシンを作ったら和樹と行きたい時間って、ずらっと色んな年が書かれているんだ。にやけを押さえられなかったよ。嬉しかったな』

「み、見てたのかよ……」


『その他にも、貰ったものは多くある。秀哉、和樹専用だって言って、色々な発明品をくれたよな。正直いらないものもあったけど。つけるだけで自動的にお客様のカットをしてくれる腕輪は腕が変な方向に曲がりそうだったけど、スイッチ一つで硬さを自由に変えられる枕とかは有り難かったよ。ちゃんと、俺が欲しがっていたものを覚えていて、プレゼントしてくれることも多いしな。


 でも、そういう目に見えるものっていうのは二の次だ。秀哉は目に見えないものもたくさんくれた。記念日は忘れることも多いけど、今日はこの記念日って言ったら何だかんだ言ってお祝いするし、俺の誕生日を忘れたことは一度もないよな。外出の約束事の遅刻は必ず謝るし、たまのドタキャンは必ず埋め合わせするし。家事当番も、秀哉としては嫌がっているのが多い認識なんだろうけど、思っている以上にきちっと守ってやっている。


 何が言いたいかっていうと、不安に思う必要もないほど、秀哉はたくさんのものをくれているってことだ。あの日秀哉が言ったように、俺も、秀哉と一緒に、見て、聞いて、嗅いで、触れて、味わったものは、全てが俺にとって絶対になくせない、大切なものだ。何よりも、秀哉は俺が大切だって思ってくれている。目を見ればわかる。俺を見る目はいつだって、俺が大切だって言ってくれている目になってるよ』


 思わず秀哉は、自分の瞼に触れた。嘘、と思った。和樹はわかりやすい。けれど、まさか、自分もなんて。

 震えながら、続きを読んでいく。


『わかってくれたか? 秀哉と生きることは、俺の不幸には繋がっていない。誰に聞かれても、どんな状況でも、断言できる。お前は“普通”じゃないことをずっと気にしていたみたいだったけど、でも俺は、そんな秀哉を見るたびに、自分は別に“普通”じゃなくていいんだって思えた。世界に、いくらでも胸を張れた。


 あの日秀哉がもとの時代に戻っていった後、少し考えてみた。そして今も考えてみた。そうしてわかったのは、どんな世界線でもどんな時間軸でも、俺は秀哉を好きになってしまうだろうってことだ。


 逆キューピッドって言っていたよな。いいよ。何回でもやるといい。破局させようと奮闘してみろ。俺はその度に、秀哉を好きになる。どんな世界になってもどんなに過去を変えても、必ず好きになってみせる。秀哉が俺の幸せを思ってタイムスリップしたように、俺も秀哉の幸せを願っている。もしその幸せが、俺と共に生きることであるなら、俺は絶対に、先に死んだりしない。だからどうか、信じて待っていてほしい。


 長くなってしまったけれど、最後にこれだけ。今までも、これからも、今も、永野 和樹は、才川 秀哉が大好きだ』 


 手に力が入り、紙に皺が寄る。ぽたぽたと水滴が落ちていき、せっかくの手紙の文字が所々滲んでいく。

 開いた口から、あ、あ、と声が漏れていく。


「かずきっ……!」


 ぎりぎりだった。あと一歩で泣き喚きそうだった。あと一歩で意識を失いそうだった。

 何も言ってくれない和樹に縋り付くように倒れる。嗚咽が止まらない。泣いても解決しないのに、涙が止まらない。


「ごめん、ごめんなっ……」


 生きているだけでいい。和樹がこの世界のどこかで生きてさえいれば、他には何もいらない。一生、研究も勉強もできなくなって構わない。秀哉が持っているものなら、なんだって捧げられる。


 なのに和樹は、信じろなどと残酷な言葉を残していた。秀哉がその言葉を拒絶できないのをわかっていて書いたのだ。なぜならまさに今、信じたくなってしまっている。


「……ありがとう」


 いつもそうしてくれたように。13歳の和樹がそうしたように。秀哉は、和樹の手を握った。


「どんな世界線でも、どんな時間軸でも。俺も、和樹を、好きになる。ずっと、ずっと大好きだ。俺はまだまだ、和樹と未来を歩んでいきたいんだ……・」


 誰にも届かないはずのその言葉は、どこかに染みこんでいくように、静かな余韻を残して消えていった。沈黙が下りる。秀哉は和樹を握る手にわずかな力を込めた。


 ぴくり。和樹の指先が、微かな振動を起こした。


 はっと秀哉は顔を上げた。


 隙間なく閉じられている和樹の両目。そこが、窓を開けるように、扉を開くように、ゆっくりと開いていく。


 薄く開いた目の奥で、瞳が微かにこちらを向いた。ぱくぱくと、口が動く。声は出ていなかった。しかしそれは確かに、「おかえり」と言っていた。








 窓の向こうから、アブラゼミの鳴き声が休みなく聞こえてくる。外では活発すぎる太陽が世界を照らしている。だからこそ、屋内の楽園ぶりが際立つのだ。


「はー、涼しいは正義……」


 ソファの上で学術書を読みながら、秀哉は心の底から言った。ここはクーラーの風がよく当たる。聖域だ。

 そのとき、ぱあんと両手を打ち鳴らす音がした。


「そこのだらけきっている人! のんびりしてないで昼飯の準備を手伝え!」


 見ると、傍で和樹が仁王立ちになっていた。


「邪魔するなよお和樹~……。今文明の利器を目一杯味わっているんだからさあ」

「寝言言ってないで手伝えって!」

「手伝うも何も、今日はカレーだろ? あとはご飯をよそうだけだろ?」


 室内を満たすのは、涼しさと、香ばしいスパイスの香りだ。いいや、と和樹は首を振った。


「今日はカレーライスじゃない。カレーうどんだ。夏だから冷たいうどんを食べてすごそうと言って買ったうどん……。結局全然作らずに放置していたから、いい加減片付けないと。というわけで秀哉、茹でろ」

「い、嫌だ! 暑いから絶対嫌だ! うどん放置してたのだって、茹でるときに地獄の暑さ味わうからだろ!」

「俺は今までカレーという煮込み料理を作っていたから今度は秀哉の番だ!」

「俺は、ほら、脳味噌が仕事道具みたいなものだから、あまりにも暑い場所にいたら不調を来す恐れが」

「屁理屈こねる暇あるなら早く作れ、腹減ってるんだこっちは」

「絶対に嫌だ! なんならあれだ、勝負して負けたほうがうどん茹でるというのはどうだ! ってことで、論文速読競争で勝負しよう和樹!」

「それは秀哉の分野だろ! 切り絵競争なら受けて立つけどな!」

「そっちも得意分野じゃないか! 結局あの事故の後遺症も何もなかったとかなんだお前!」

「いいことじゃないか!」


 嫌だ代われと、飽きずに言い争いは続く。ダイニングテーブルの上に置かれた花瓶に咲くセンニチコウは、そんな二人を今日も眺めている。



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未来からの逆キューピッド 星野 ラベンダー @starlitlavender

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