皮肉屋の末路

棚霧書生

皮肉屋の末路

 目が覚めたとき、台所から聞こえる音が心地いい。鼻腔をくすぐる味噌汁の香りはいつだって俺に幸せを感じさせてくれる。

「おはよ」

「ん、はよ」

 コンロの前に立って朝食の準備をしている白崎に後ろから声をかければ、おざなりだけど俺だけに向けた朝の挨拶が返ってくる。なんでもない贅沢な瞬間。白崎と同棲している現実はまるで夢みたいに思える。とても幸福な夢。ふとした拍子に覚めてしまいかねない儚いもの、俺はそんな印象を白崎との生活に抱いている。

「おい、黒田……なんだよそんなじっと見て……。もうすぐできるから、座って待ってろよ」

「シロォ~! 好きだ!!」

「うわっ、ちょ、危なっ……座ってろって言ってんだろ!!」

「いってぇ!?」

 ちょっと後ろから抱きついただけなのに、脇腹に肘鉄を食らった。まったく高校生の頃から変わらず口も手も出るやつだ。

「いやぁ、思い出すなぁ……ぬふふふ……!」

「きっしょい笑い方すんなッ! って……なにを、思い出すんだ?」

「俺たちの青い春」

 白崎が困ったように眉を寄せた。そして、俺にとってまったく予想外の返事を飛ばしてくる。

「ああ……高校の文研で知り合った頃の俺とお前、すっげぇ仲悪かったよな……」

 一瞬、思考が止まる。思い出補正って悪い方にもかかるのかと新しい気づきを得た俺は白崎に食ってかかった。

「はぁ? 仲が悪かっただって、そんなことはないだろ」

「えっ、いや、そんなことあるって」

「ない! 絶対ない!」

 白崎が冷ややかな目で俺をじっと見る。今日の朝食は議論の時間になりそうだ。


 俺、黒田正孝と白崎光琉の出会いは高校の部活動、文化研究会で一緒になったことだった。文化研究会、略して文研はその真面目な名前の響きに反していわゆるマニアとかオタクと呼ばれる奴らの巣窟だった。活動内容はとにかく文化にこじつけられればオッケーというゆるさで、ゲーム解説をひたすらつくっている奴や漫画や小説をかいて部誌をつくる奴、ボカロで曲を作ってる奴などが集まっていた。

 俺は適当に忙しそうじゃない部活に入れればよかった。好きなロックバンドの曲の感想でも言っときゃ、それで活動したことになりそうだし、なによりも所属している生徒は根暗が多そうだから中学のときみたいに俺に喧嘩を売るような馬鹿がいなさそうなところに惹かれた。

 文研の部室である資料室にはいつも五、六人ほどがいたけれど、その日は誰もいなかった。三年は感染症で学年閉鎖になっていたり、二年は校外学習に出掛けていたり、一年の部員たちもなにか諸々の事情が重なって部室に来ていなかったのだけれど、この奇跡の偶然によって、俺と白崎は急接近することになった。

「あ、……うっす」

 誰もいないのなら今日は帰るかと踵を返そうとしたとき、細身の男子生徒とぶつかりそうになった。かすかな声が耳にとまる。振り返った瞬間に目があってしまったから仕方なく挨拶をしました、といった雰囲気がそいつからはありありと感じられた。

「よぉ、えーっと……悪ぃ、名前覚えてないわ」

 猫背で、前髪が伸びた髪型はいかにもオタクくんといった印象だった。生き物としてすごく弱そう。

「白崎です」

 白崎は俺から視線を外し、つぶやくように言った。

「俺は黒田。体験入部のときに見かけたから俺とタメだよな?」

「そうですね」

「あー……、今日は誰も来てないみたいだぜ……」

「そうですか」

 微妙な沈黙が俺と白崎の間に挟まった。主に白崎のぶっきらぼうな返答のせいだと思う。だけど、文研の奴はほぼ陰キャだからきっと悪気はないんだろう。俺は背が百八十を越えて筋トレしていることもあってかなりイカツイ見た目だ。だから、白崎はただ俺を怖がってるだけなのだと思った。か弱い小動物と白崎のイメージが重なる。よく見れば彼は童顔で、小さい顔につぶらで大きな瞳をしていた。可愛らしい子猫に構いたくなるのと同じ心理で、俺はさらに白崎に絡みにいくことを決めた。


「ちょっと待ってくれ。さっきから、弱そうとか陰キャとか小動物とか、高校生のときの黒田は俺に対してそんな失礼なことを思っていたのか?」

 白崎がソーセージにフォークをぶっ刺しながら不満そうに口を挟んでくる。 

「おいおい話はまだ序章だぜ。講評なら全部終わったあとにしてくれ」

 俺がそう言うと白崎はブスくれた表情のまま、ソーセージに食らいつき静かに咀嚼を始める。


 白崎が部室に入り、席に座るのを見るやいなや俺は彼の隣に陣取った。白崎はしばらく素っ気ない返答で通していたが、しつこく話しかけ続けると、お喋りじゃなくてちゃんとした活動をしようと言い出した。

「いいけど、なにするんだ?」

「……俺はいつも黙って文章を書いてる」

 心なしか黙っての部分に念がこもっていた気がする。が、そんなことは俺には関係ない。

「せっかく二人なんだし、二人でできることしようぜ」

「…………執筆はそれぞれでできる。言い換えれば個人作業であるから、二人でも何人でもできる」

「俺が言ってんのは、そういうことじゃなくてよぉ……」

 白崎は物凄く察しが悪い奴なんだなとそのときは思った。高校生の俺はめちゃくちゃピュアだったのだ。

「わかった……」

 俺に皮肉がきかなかった白崎はため息をつきながらも、俺の方に折れてくれた。

「それじゃあ俺の書いた小説を読んで講評してくれないか、本当は先輩たちに頼むつもりだったけど、今日は来ないみたいだしよ」

「お前、小説書くの?」

「悪いか?」

「いや、すっげぇ、ぽいなぁーって思っただけ」

「ぽい?」

「小説書いてるっぽい雰囲気してるってこと」

 白崎は目を丸くして、初めて言われたと言ってはにかんだ。このとき俺はちょっとドキッとしていた。


「黒田って、俺の顔好きだよな……」

 スクランブルエッグをつついていた白崎が鼻で笑ってくる。そんな仕草も愛らしく思えるのだから、俺も相当だ。

「当たり前だろ。世界で一番好みだよ」

「あっそう……」

 白崎は恥ずかしいのをごまかすためか、視線を下に落としてコンソメスープをゆっくりと飲んだ。


 白崎が渡してきたのはA4の紙に印刷された原稿。そんなに長くない、十分くらいで読める童話だった。内容は湖に棲む一匹の人魚と人間の少年の話できれいで繊細だけれど少し悲しい物語。俺は読み終わってから、しばし呆然としていた。俺は白崎の書いた話に感動していたし、同い年の奴がこんなに心を揺さぶるものがつくれるってことに驚いていた。それなのに、今自分が感じていることを表現するにはあまりに力が足りなかった。

「ヤバいなこれ……」

 やっと出てきたのはそんなどうしようもなく言葉の足らない感想だった。

「……ヤバいって?」

 白崎が訝しげに俺の反応を探る。

「ヤバい……すごい……」

「……すごい、本当に?」

 疑念の高まった声が俺を責める。

「マジだって!」

「じゃあどのへんがよかった?」

「それは……全体が、こう全部が良くてだな……」

「……そうか」

 白崎はがっかりした様子で俺の手から原稿を回収する。俺が感想を言うのが下手くそすぎるせいで白崎を落ち込ませてしまった。俺はなにか上手いことを言おう言おうとない頭を働かせる。だけど、やっぱりない頭はない頭で気の利いたことなんてちっとも思いつかなかった。

 ええいままよ、と俺は白崎の手を捕まえてギュッと強く握り込んだ。言葉が駄目なら行動で示せ。俺んちの家訓の一つである。

「えっ、なにっ!? 痛っ、やめ……!」

 白崎が俺の手を解こうと掴まれていないもう一方の手で引っかきをして抵抗してくるが、俺はやめなかった。

「こんくらい! いやこれ以上やるとお前の指折れそうだから本当はもっとだけど! 気持ち的にはこんくらい感動したんだって!」

 俺は伝われと念じながら、白崎の細っこい手を握り続けた。白崎がきつく俺を睨む。その瞳にはハッとするほどこちらを気圧す独特な迫力があった。

「離せっ!!」

 パチンッと頬に鋭い痛みが走る。白崎にビンタされたのだと理解する頃には、手は振り解かれ、白崎が部室から走って出ていく後ろ姿が見えた。

 この日から俺は白崎のことが気になって仕方なくなった。


「マジであんときのお前の行動、イカれてたよ」

 白崎がテーブルに肘をついてひらひらと片手を振る。あー、痛かったなぁ、とわざとらしいセリフ付きで。

「高校生のときの俺が大変申し訳ないことをしました。責任を取らせてください」

 下から白崎の手をすくい取って、手の甲に軽くキスをする。すると途端に白崎は顔を紅くして、馬鹿ッ、と言い放ち勢いのない弱々しい触れるようなビンタをしてきた。にやついてしまうのは仕方がないので、見逃してほしい。

 高校生の俺はあれから小説や評論を読みまくった。白崎がまた小説を読ませてくれたときにちゃんとそのすごさを伝えられるようにしたかったから。それに自分でも小説を書いてみたりもした。白崎に読んでほしいと頼めば、彼は警戒しつつも講評をくれた。構成とか描写とかキャラとか、最初は白崎が言ってることの半分もわからなかったけど、段々とわかるようになってくると、それだけ白崎に近づいていってる気がして、めちゃくちゃ嬉しかった。

「黒田って意外と文芸に向いてたって話なんだよな」

「シロに魅せられたから、文芸沼に足を踏み入れたって話なんだが?」

「まあ、俺はただのきっかけだよ。そろそろ出ようぜ、講義に遅れちまう」

 今日は二限からで俺と白崎は同じ講義を選択している。たしかにそろそろ出なくてはいけない時間だが、白崎の物言いに引っかかるものを感じた。

「なんか釈然としねぇ……」

「ははは、釈然なんて単語が黒田の口から出るなんて、昔は思ってもみなかったな!」

 白崎は俺の分のアウターをハンガーラックからとると、こっちに投げてよこす。俺用のは白で、白崎のが黒の、色違いでおそろいのやつだ。白崎に黙ってこれを買ってきたとき、嫌な顔をされはしたが、今は普通に着てくれている。

「黒田、固まってどうしたんだ?」

「俺は行動でわからせてやるからな、シロ!! 覚悟しろよ!!」

 白崎はなに言ってるんだこいつ、という顔で俺を見てきた。そして、なにかを言おうとしていたが俺はその前に白崎をありったけの力で抱きしめた。


終わり

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皮肉屋の末路 棚霧書生 @katagiri_8

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